あなたは自分が誰かわからないの?
彼はわからないと言っていた。記憶喪失かと尋ねればそうではない気がするという。子どもの頃のことを思い出そうとすると、頭に靄がかかったようになってしまうのだそう。もしとても不幸だったら、人はその辛さから逃れるために本能的にその記憶を消してしまうことがあるとは聞いたことがあった。だから、そうかもしれないよ? と言ってみたのだけれど、
「覚えていないわけだから、よかったか悪かったかはわからないはずなんだが、なにか大切なものを失くしたままになっている感じになるんだ」
「じゃあきっと嫌な記憶ではないのかもね。でもしょっちゅう思い出そうとするということは、あなたに必要なことなのよ」
「そうだよなあ、きっと」
「どこかの国の王子様だったのかもよ」
「本当は次期国王なのかもな。そりゃあいい」
そんな会話をよくしていたわ。わたしはといえば、子供時代そのものはきっと普通だったけれど、十代に差し掛かる頃にいろいろ複雑になっていったわ。人生って本当に何があるかわからないものなのね。