14年ほど前でしたでしょうか。。。日本で右の胸にしこりが。。
えっっっ???
顔から血の気がすぅーーーっと引いていき、頭の中がぐるぐると。。。
うちは代々癌の家系。母も叔母も祖母も乳がん経験者。早速、病院に飛んで行きましたが、外来なわたし、乳腺科で8時間ほど待たされましたか。。やっと回って来た順番で、先生、「様子を見ましょう。」と。
この「様子見」、白黒はっきりしないので、いろいろと考えてしまうんですよね。数ヶ月〜1年のこの「様子見」の後、針生検をすることに。そして、わたしが心に思っていたのは、、これで白なら、アメリカに留学しよう、でした。
。。。そんなこんなで、アメリカに来てから12年、毎年1回、日本に帰る度に自発的に乳がん検診をして来たはずなのに。。。
仕事のスケジュールとVISAの移行手続きの関係で、しばらく日本に戻れない間に、またもや右胸にしこり発見。またか。。また良性だといいなぁ。。早く、日本に帰りたいなぁ。。くらいに思っておりました。
が、今回のは、ずきんずきんと痛く、日が経つにつれ、心なしか大きくなっているような。。。アメリカで、病院などには行く機会がなかった私。痛みがあるしこりは癌ではない、というようなネットの情報もあり、我慢してましたが、その痛みは日に日に増していくばかり。次に日本に帰れるだろう日は半年以上先。うちの彼の知り合いの病院関係者の方に情報と紹介をもらい、直接、Surgion のオフィスにアポを取ったのでした。
アメリカでは、まず、かかりつけのPrimaryドクターのところに行って、その後に専門医へと紹介されるのが普通なのですが、Primaryドクターすらいないわたし、、まずはどうすべきなのかと、調べるだけででも結構な時間がかかってしまいました。
電話で、最短日に予約を。3週間ほど先の日になりました。
そして初診の日、オフィスでは、お目当のドクターの前に、アシスタントのドクターが問診、触診、エコー検査を。「3cmくらい切ってしこりのみを切除する手術になるでしょうかね」と、アシスタント先生。やっぱり癌じゃなかったのね。。。とホッとしたのもつかの間、私のサージォン先生が登場し、エコー検査を始めてすぐ、彼女の面持ちがシリアスに。。。「念のため、針生検をしましょう。スケジュールが取れ次第、連絡します。」と。数時間後に、連絡があり、2日後に針検査が決定。
そして針検査の翌日の金曜日、仕事中にサージォン先生から私の携帯に電話が。。。「がんでした。一緒に治して行きましょう。」と。泣いてる時間もなく、事務アシスタントの方り携帯に連絡があり、MRIなどの追加検査と、セカンドオピニオンの希望の有無、トーリトメントチームの編成と紹介スケジュールなど、より事務的な作業へと。。
こうして、翌週の半ばには、私のオンコロジー・トリートメントチームとの顔合わせとなった次第です。この時点では、HER2についての結果がまだ出ておらず、リンパ節への転移がMRIで確認されたものの、そのリンパ節へのBiopsyの追加検査もまだの状態でしたので、少し待ちの状態になったのですが、それにしても、これらの段取りの早さには驚きました。何より、電話で乳がん宣告を受けるとは。。。
私のトリートメントチームは、先生が4人。乳がん切除手術担当のサージォン先生、乳房再建手術担当の先生、キーモセラピー担当の先生、放射線担当の先生。それぞれの先生にアシスタントの先生と事務アシスタントさんがついていて、いつでもメールや電話で相談ができる、というのもアメリカならでは、ではないでしょうか。。
この他に、遺伝子セラピーの先生と婦人科医の先生も入れたら、6人ですね。全て同じ病院の先生なんですが、町の中に点在するいくつもの病院ビルの中に、クリニックのような先生別の小さなオフィスがたくさんある感じです。これら全ての先生が、わたしの情報を共有してくれている訳です。
アメリカで勉強したとはいえ、医療英語は今ひとつです。アメリカの医療システムも良く知りませんでしたし。。乳がんについても勉強不足でした。仕事も繁忙期の真っ只中だったですし、バタバタとしており、事の重大さに気がついて泣いたのは少し先でしたね。何より、最初に泣いてたはわたしの彼でした。
乳がん宣告の電話以来、全てのドクターとのアポイントメントについてきてくれた、英語が母国語の彼に、本当に感謝です。