『シー・セッド その名を暴け』 | 三匹の忠臣蔵

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トランプ大統領の1期目の政権下(2017年)で起きた、ハリウッドの本物の大物プロデューサーによる「セクハラや性的暴行」に立ち上がったことで世界中で起きた「#MeToo運動」のきっかけになった事件を描いた作品。

2016年、ドナルド・トランプ現大統領からのセクハラ被害を告発したことで、猛烈なバッシングや脅迫の圧力を受け、精神的に追い詰められていたレイチェル・クルックス(エマ・クレア・オコナー)を、ニューヨーク・タイムズ紙の記者ミーガン・トゥーイー(キャリー・マリガン)が取材していたが、ミーガンも脅迫や嫌がらせを受けていた。

そして冒頭のプロローグが「ドナルド・トランプが大統領選に勝利しました」で終わると、「これは現実に起きた話だ」という世界観へ、一気に引きずり込む。

ミーガンの同僚ジョディ・カンター(ゾーイ・カザン)は、ファミニストの活動家からハリウッドにはびこる性的虐待の実態の中に、ハーヴェイ・ワインスタイン(マイク・ヒューストン)が居ることを知る。

ワインスタインは数年前にも告発されていたが、昔の話と思っていたが、取材をする過程で現在も続いてることを知り、アシュレイ・ジャッド(本人)の存在にたどり着く。

さらにワインスタインの「元部下」や「示談金による口封じのシステム」に迫っていく。

 

 


 

 

セクハラが起きるが職場には黙認する人間がいて、権力者がお金で被害者を黙らせる。
莫大な資金と「秘密保持契約」で被害者の口を完全に封じる。さらに法的・組織的な罠で黙殺する。

スポンサーが降板するがシステムは変わらない。
権力者寄りのメディアもあり、FOXは今も変わらない。検察も証拠の録音テープがあるにも関わらず事件化されない現実。
事実を報道すべきメディアや、正義を裁くべき検察が被害者を「絶望的な四面楚歌」な状況追いやる。

こんな時代背景で女性たちが声をあげることなできない。
それでもあえて声を上げたという切実さを淡々と描いてる。

 

この映画のすごいところは、関係者がすべて実名で登場すること。
冒頭でもトランプから直接、圧力電話が入ったり、共和党上院議員の名前。
ニューヨーク・タイムズ紙の記者はもちろん、すべての事件の元凶となった加害者ハーヴェイ・ワインスタインも実名。

実際に被害を実名で告発したハリウッド女優アシュレイ・ジャッドも、本人がその役どころを演じてる。

要所要所で、小さなカタルシスを噴霧させてくれるのが、編集者のレベッカ・コーベット(パトリシア・クラークソン)と編集局長のディーン・バケット(アンドレ・ブラウアー)のプロフェッショナルな上司たち。

レベッカは記者たちが焦ったり壁にぶつかったりした時に、「まだ証拠が足りない」「事実を固めなさい」と冷静に導き、上からの圧力やワインスタイン側の妨害からは部下を完璧に守り抜く。

そしてワインスタインとその弁護団に対峙するバケットの振る舞いは痺れる。
ワインスタイン側が巨大な権力とお金、最強の弁護団を盾に、脅しや圧力をかけてくるのに対し、バケットは一切怯まない。
彼らを部屋に招き入れて対峙し、百戦錬磨のメディアの長として「我々は事実を掴んでいる。引き下がるわけがないだろう」という態度を毅然と突きつける。

日本ではありえんが、これは確固たる証拠で裏付けられたすでに公的な事実であるためと同時に、本人が裁判で有罪判決を受けていたので、映画側が実名でその悪行を描いても法的な問題が生じなくなったから。

何でも訴訟になる“裁判社会アメリカ”で、ここまで実名で踏み込めるのは信じれん話なんだが、いくら権力者でも、社会がそれを許さないということなんやろう。
そもそも本人たちはなんとも思ってないような気がする。

当時は、ここまでできたのに、今のトランプに対して何故沈黙(そう感じる)なのかが最大の疑問で、アメリカ社会そのものが変質したということなんやろうね。

日本でも、テレビでタレントが嘘・ヘイトを垂れ流し、へずまりゅうや埼玉県戸田市の河合悠祐。その総本山と言っていい参政党の躍進。
右左を飛び越えて、秩序そのものがなくなったことで、かつて機能していた社会のブレーキが、今なぜ壊れてしまったのかということを見せつけられた感じかな。

 

 


 

 

最後に映画が好きだからいうお小言。
『福田村事件』を撮った森達也監督が言っていたが、アメリカ・韓国映画を筆頭に海外では自国の恥部を堂々とエンタメに昇華させて世界に発信する。

これが役者の演技力の修練になってたり、脚本・撮影技術の向上につながってると思う。
観客側も知ってるから本気で見てくるので、作り手も本気にならざるをえない。
そこから演技や脚本の“強度”が上がっていく。

 

だから誰もが知る”傷を描く”ことは、生半可な描き方では作品としては耐えられない。

でも日本では、“傷を描く映画”は「売れない」ことを理由に、作ること自体が難しい。

結局、『福田村事件』はクラウドファンティングでお金を集めて自分で作った。
逆に日本美化の愛国ポルノだとお金が付く。
これは健全なことではないと思うな。

 

 

 

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