任期満了に伴う石川県知事選挙は8日投開票され、無所属で現職の馳浩(64)を破り無所属新人で元金沢市長の山野之義(63)が初当選した。
どちらも胡散臭い話題には事欠かない、目くそ鼻くその選挙と言っていい。
山野之義さんと言えば、家が長坂台で牛乳屋さんをやっていて、金沢市議会議員の頃と金沢市長時代に何度か会ったことがある。
知人のS社長のJCつながりで、山野さんが奥さんと一緒に鞍月でやっていた主催イベントに来てくれて、この時にはじめて会った。
この頃のJC(金沢青年会議所)には子どもつながりの岡田直樹元国務大臣もいて、S社長に紹介してもらい話したことがあるが、素朴で欲がなく、影が薄い印象しかない。
S社長によれば「担ぎやすい便利な人間」とのことで、私が入居していた「ITビジネスプラザ武蔵」の指定管理者の問題で、市議という立場で閉鎖を主張し、武蔵に来たことがある。
この時はK館長にコンコンと説教され帰ったらしい。
あとで話を聞くとビジネスプラザ武蔵がどういう施設かも知らずに来て、何が問題なのかも本人自身が理解していなかったため同じ話の繰り返しで説教になったとのこと。
これをS社長に聞くと、「注射打たれて(入れ知恵されて)鉄砲玉になった」と言い、「仕立て上げた人間も知ってる」と言っていて、最後に聞いた話しか頭に残らないらしい。
そして2010年11月9日に市議を辞職し、金沢市長選挙に立候補する。
立候補はいいが、主な主張は「山出保さんの多選」で、金沢を具体的にどうするかの主張はなかった。
同じ様に「山出保さんの多選」を批判し、さらに若さを主張して立候補(多分したと思う)したのが川裕一郎さん。
この選挙は、はじめてSNSが選挙で使われ、話題を呼んだ選挙でもあった。
知人のデザイン事務所をやっていたY社長が盛んにTwitterで選挙に関与し、何やらビジネスになっているという噂もあった。
ちなみに私が主催していたWDFにはこの事務所の女性2名が来ていて、内情はかなり正確に知っていた。
最終的に彼女らはY社長を相手に給与未払いで調停し、裁判も視野に入れていたから。
この時の、「山野陣営のネット戦略担当者と山野の秘書が告示後にTwitterを利用して山野への投票を呼び掛ける運動をしていた」というのは今回の知事選でも同じ構図になってる。
この時の石川県警は「ネット選挙解禁の方向で議論が進んでいることもあり判断が難しい」として対応を見送った。
今回はどうなんだろう。
詳しくはこちら。
山野之義の金沢市長時代の功績というと「金沢マラソン」とちょこっと「公共無線LAN」くらいで、これと言った成果はないのではないかというのが正しいと思う。
経歴の華と言われているソフトバンクについてもたったの4年しかいない。
これを箔に金沢市議会議員選挙に立候補し初当選したわけだが、4年で何ができる?という話。
市長時代も市の職員の評判も悪く「東日本大震災」の対応は今も語り草になっている。
市職員の知人も多かったので色々と噂を聞くと良い話はなく、育友会で一緒だったYさんによると「仕事の仕方を知らん」「後先を考えず根回しもなく突然、思いつきで話をする」と言っていた。
山出保さんは「文化都市金沢」を形づくった人で、今もこの遺産は残っているが、山野さんがやったのは、山出さん時代にありつけなかったいかがわしい人らが徘徊するようになったくらいかな。
2000年代に入りJCでは「押し付けられた憲法」が叫ばれはじめ、山野さんがいたのもこの頃で、彼の周りもそのスジの人が多く、行儀が良いとは言えない人らが多かった。
実際、市長になると金沢市で育鵬社の教科書を採用したり、尹奉吉の石碑の撤去で頑張ったけど駄目だったと議会でも答弁してる。
ちなみに育鵬社の教科書は金沢が全国初で、当時は反対運動も盛んだったが反対集会の会場利用を認めなかったのも山野市長。
そして尹奉吉についても、メディアは「テロリスト」との見出しを使うが、事件当時は日本軍と中国軍は戦闘状態にあり、彼の行為は「日本軍への敵対行為であり、単なる戦闘行為ではない」というのが日本の公式記録となっている。
だから白川義則陸軍大将の死を「戦傷死」と認定している。
尹奉吉は上海臨時政府の一員として参加し、停戦協定成立前の上海事変で日本軍と戦った結果なので白川の死は「戦傷死」ということ。
川裕一郎さんもこの口で、拉致問題をことさら利用し、米朝首脳会談がらみでアンサンブル金沢の指揮者である井上道義さんが訪朝した際にも拉致問題で騒ぎ、井上さんは金沢を去ることになった。
初めて会った時は気のいいヤツという感じで、無害無臭の人間が得体のしれないそのスジの人間に担がれ、選挙を通じて特定の層の意向をくんで行動するようになる。
山野さんが市長に立候補した時代はアパグループも勢力を拡大していた時代になる。
ちょうど倫理法人会もこの頃から勢力を拡大しはじめた頃で、山野さんはこの波に乗ったんじゃないかな。
倫理法人会といえばアパグループで、会長の元谷外志雄さんは、第1次政権発足前(2006年以前)から安倍晋三氏を支援し、「安晋会」の副会長や「安倍晋三を総理にする会」を通じて親交を深めていた。安倍氏は首相時代から、元谷氏が主催する「勝兵塾」や関連団体の会合・講演会にたびたび参加していた。
石川県小松市出身の縁から航空自衛隊小松基地の民間親睦組織「小松基地金沢友の会」に関連して活動していた。2007年には同基地でF15戦闘機への体験搭乗も実施している。
1998年4月にアパホテル金沢駅前が開業するんだが、日航や全日空でもできなかった「JR金沢駅金沢港口(西口)から徒歩1分」の好立地の土地をどうやって取得したのか。
ちなみにこの物件の資金は日本開発銀行から出ていて、民間企業のホテル建設に、どうやったら日本開発銀行かお金が引っ張れる?という疑問は当時の北陸金融業界では誰もが知ってた公然の秘密である。
姉歯事件では市の担当者が頭を抱えた。
そして元谷外志雄会長の古巣である信金はとある業界のために、日曜日に本店大金庫を開けたという伝説が残ってる。
失われた30年と右傾化した30年が符合した結果、山出さんから山野さんへの切り替えで、古いしがらみが消え、新しいしがらみになり時代が大きく変わったというのが実感。
この時代の変化の中で山野之義という人間が出てきたということではないかな?集大成みたいな感じで。
目くそ鼻くそを競ったというたいとるなので馳浩さんのこともちょっと書いておく。
馳浩さんは1984年のロサンゼルスオリンピックレスリング代表を経てプロレスラーになった経歴がある。
この時に日本代表で一緒に活動をしていた人間がサラリーマン時代の部下で、馳さんの鳴和中学校の同級生が付き合いがあった司法書士ということで高度な噂は聞いてる。
出身が小矢部市ということもあり県境の東原町でも多くの逸話を聞いたことがある。
そして石川県が誇る郷土の誇り森喜朗の舎弟でもあるので、逸話にかんしては枚挙にいとまがない。
その森喜朗元総理の姪子が岡田直樹さんの奥さんになるわけで、世間が狭すぎる。
ということで、あれやこれやを書来出すと止まらないので、今日はこの辺で置いときます。
ちなみに馳浩さんへの県職員の評判は良いと言っていい、これは副知事の存在が大きいと思うが。






