香り高き華は確かに咲いていた、日本映画の名作「香華」 | 三匹の忠臣蔵

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第一部 吾亦紅の章

須永家の一人娘・郁代(乙羽信子)は、田沢家の一人息子と結婚したが夫を亡くし、3歳の朋子(岡田茉莉子)を母・須永つな(田中絹代)に預けて高坂敬助(北村和夫)の後妻となる。
再婚を考え直すように言う母つなに対し、郁代の潔いほどの身勝手さが見事で、母つなとのやり取りから郁代は家の犠牲になったような振る舞いに見える。

 

 

しかし幼い朋子にとって母の花嫁姿は美しいもので、この気持ちが後の朋子の成長に大きな影響を与えていると思う。

 

乙羽信子


敬助と郁代の間には安子(岩崎加根子)が生まれるが、そんなある日、「ハハキトクすぐ帰れ」の電報に対して「死んだんですか?」「まだなんですか?」という郁代は、葬儀にも行かなかった。
しかし金のために朋子を引き取ることを思いつき、遊廓「叶楼」に半玉として売り飛ばす。
芸者衆の部屋に取り残された朋子は遊廓に連れてきた敬助の後を追うが、表情が可哀想で見ていて辛い。

 

 

母・郁代と同じように朋子も親の犠牲になったが、芸事に励み、めきめきと頭角を現す。
演じてる子役の名前が分からないが、とにかくいい演技をしていると思う。
岡田茉莉子が霞んで見えるほど。

ある日、なんと母・郁代が借金のカタで「九重花魁」として叶楼に現れ「敬助とは離縁して売られた」という衝撃的な展開。
母・郁代のために売られてきたのに、その郁代も売られる。郁代からすると自業自得だが朋子からするとやりきれない、自分は何のために売られたのか。
朋子は郁代を「お母さん」と呼ぶことは許されない、郁代は自分の娘だと気づいているはずで、娘の成長を喜んでいるように見える。

 

乙羽信子

 

鋭い眼光から郁代を演じる乙羽信子の凄まじさが伝わってくる。
一時は美貌を武器に派手な衣装をまとっていた郁代は、捨てられた敬助の子を身ごもっていたことがわかり、朋子は健気に世話をする。

やがて17歳になった朋子は、赤坂で神波伯爵(宇佐美淳也)に水揚げされ、津川家の力添えもあり、「小牡丹」という名で一本立ちを果たし、郁代を呼び寄せるが感謝どころか彼女はヒモとして暮らす。

 


そんな折、朋子は士官学校の生徒・江崎武文(加藤剛)と出会い、恋に落ち、江崎から「芸者をやめることはできないか」という言葉を受けた朋子は、神波伯爵の世話によって「花津川」という名の置屋を開業し、自立への道を歩み出した矢先の大正十二年九月一日、関東大震災に被災する。
この特撮シーンは見事やな。

第二部 三椏の章

大正十五年十二月二十五日 大正天皇崩御
昭和元年
静岡から赤坂で育った朋子と紀州育ちの郁代の設定だが、乙羽信子の関西弁が綺麗。
震災を機に花柳界から足を洗い旅館を営んでいる朋子。
朋子の旦那・神波がこの世を去る、しかし妾に600坪の旅館を残すってすごいな。
朋子は八年も待ったのに江崎から結婚できないことを告げられる。
芸者をやめると結婚できると思っていた朋子は、郁代のことで結婚ができないことを知る。
母と娘、妾と女郎と芸者の戦いのあと、やっと郁代が出ていった。

と思ったら終戦後、また一緒にいるのには笑ったが、朋子は郁代をしばらく預かって欲しいと異父妹の安子(岩崎加根子)を訪ねるが断られ、結局、郁代は復員した八欄と大阪へ引き上げる。
そんな折、江崎はB級戦犯で絞首刑になることを知り、収容所に訪ねていくが、家族ではないので会えない。

あれから三年、旅館を見事に再建すると、また郁代が訪ねてくる。
やっと江崎に面会できた朋子に対する面会時の空気感。
そこに八欄が訪ねてくる。
朋子は郁代と八欄に出て行けというが、下足番として居残る八欄と郁代。
そして江崎の刑が執行される。

死んだら夫と同じ墓に入れてくれと言うが、その戒名も知らない郁代。
郁代が死んだことを知った朋子が布団をかぶったけど、あれは笑ったのではないかな。
そして最後の電話は何を言おうとしたのか、気になる。

この人の人生は何なんだろう。
あえて誰が悪いというなら母・郁代かな。
郁代は朋子の天井の壁というか、逆らえない運命かな。
良くも悪くも親は人生の重しで、親は変わらない。
だから死ぬことを待つしかない。

行く当てがないと訪ねて来た安子を迎え入れたが、客と姿を消した恩知らずの彼女は郁代と似ている。
では朋子は誰に似たのか、祖母のつななんだろうけど、父親の顔を見たかった。

タイトルの「香華」からすると、ラストはお香と花を供える仏がいなかった。
それとも郁代と朋子は、形は違えど共に香り高き華ということなんかな。