香淑と汐見についての考証ー虎に翼 | 三匹の忠臣蔵

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香淑と汐見について考証の崔先生が丁寧に解説してくださってるので、ここに置いときます。
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雲野先生がおっしゃったとおり、今日色々明らかになったヒャンちゃんの事情(文字数の関係で以後香淑とします)。説明するポイントがたくさんありすぎてうまくまとまらないのですが、できる限りわかりやすく・簡単にお話しできればと思います。

 

香淑と圭さんは戦前の朝鮮で結婚した「内鮮結婚」夫婦に該当します。内鮮結婚は今でいう国際結婚とは文脈が違いますよね。朝鮮総督府は同化政策のため内鮮結婚を推奨しますが、政策としてはあまりうまくいかなかったようです。

とはいえ日本あるいは朝鮮で内鮮夫婦は存在していました。

 

日本での内鮮結婚夫婦は、1944年の調査によると、朝鮮人夫・日本人妻の夫婦は計10,428組、日本人夫・朝鮮人妻の夫婦は計107組。一方、朝鮮での内鮮結婚夫婦は1942年の調査で朝鮮人夫・日本人妻は1,606組、日本人夫・朝鮮人妻は1,009組。このように日本と朝鮮で組数にかなりの差がありました。

 

今日の放送で多岐川さん・圭さんが朝鮮から日本に引き揚げるとき、最終的に香淑は夫についていきます。

密航では?不法では?というポストも散見されましたが、1952年サ条約が締結されるまで香淑は日本人ですので、日本に「戻る」ことに何の問題もないと言えます。

 

なお朝鮮人・台湾人の「国籍」や処遇については、段階的に制度が変わっていきます。

トラちゃんが涙を流しながら読んでいた新憲法公布の前日、1947年5月2日に「外国人登録令」が出され、旧植民地出身者には登録義務が与えられますが、日本国籍は維持されるというあいまいな状況に置かれます。

 

内鮮結婚夫婦のこの時点での処遇が私が調べた限りはっきりわかる資料が見つからないのですが、香淑が放送時点で日本にいることについて、在留資格的には特に問題はないと考えられます。

とはいえ社会の偏見により出自を隠し通そうとし、トラちゃんとの再会を心から喜べない香淑の辛さが身に沁みます。

 

昨日の名前についてのポストにつなげると、汐見夫妻の結婚がいつかはわかりませんが、朝鮮総督府は皇民化政策の一環として1940年に創氏改名制度を実施します。

これは朝鮮式の姓と名を改め、日本式の氏(うじ)と名を名乗らせるものです。圭さんが「名前を変えた」といったことに繋がりますね。

 

サディ・ライアン・タッキーなどと久藤が英語名の愛称を呼び占領下であることが意識されますが、皆日本人の名前は保てている。しかし香淑は嬉しそうに話した「チェ・ヒャンスク」も「さい・こうしゅく」も名乗れず、汐見香子として生きている。

その対比も明確にドラマで描かれていたと思います。