1978年の釜山で実際に起こった誘拐事件を映画化した作品。誘拐された少女の生還のために手を組む刑事コン・ギルヨン(キム・ユンソク)と導師キム・ジュンサン(ユ・ヘジン)の孤軍奮闘を描いた作品。
この映画は、児童誘拐事件の解決に刑事と導師がタッグを組んだという異例の事実が話題となり、映画化に至ったとも言われています。
まず感想として一番に上がってくるのが胸糞警察、何アイツラ?。
この作品に限らず韓国映画では検察・警察をとにかくこき下ろす作品が多い。
古典的な手法だが、コンテンツ作りの手法として、何か映画作りのフォーマットのようなものがあるのではないかと。
昔読んだ本に「第三項排除効果」という概念があり、検察・警察の描き方が差別の構造に似ていると考えたので、私見として書いてみる。
この理論では、集団、トップ、そして差別の対象という3つの関係性が差別を説明する鍵となります。集団は自分たちがまとまるためにリーダーを必要とし、そのリーダーは集団をまとめるために、いけにえが必要になる。
つまり、集団が標的とする対象が必要で、その対象を差別することで、他のメンバーは団結し、結束を強める事になる。これは、目的を達成するための手段としても機能する。
この「第三項」を映画作りに当てはめると、集団=観衆、トップ=主人公、差別の対象=検察・警察、マスコミ、同僚、上司etc...。
そして、この差別の度合いを高める要素が「共感」。
差別を通じて形成された共同体のメンバーが同じ価値観を共有することがとても重要。
この作品の冒頭、「南営洞1985」を彷彿させるようなキム導師が拷問されるシーンがあります。
この事件が1978年、光州事件が1980年であったことを考えると、このシーンは”共感醸成コンテンツ”として十分すぎる演出になる。
ちなみに、この「共感」は事実かどうかに関わらず、むしろ嘘や作り話の方が強く作用する。これは今流行りのSNSのフェイクニュースと通じるところがあるのではないかな。
この作品に話を戻すと、最後はにいけにえの皆さん(警察とキム導師の師匠}を復権させることで、胸糞をなかったことにする。あえて観てるものの気持ちを逆なでするような終わり方をする。
映画を観終わり外に出て、眩しい日差しに目を細め、おもむろにポケットから出したタバコに火をつけ口から吐く、白い煙とともに「警察って最低嫌な」の言葉が出れば脚本家からすると、してやったりでございます。