いわずとしれた韓ドラ名作中の名作「マイ・ディア・ミスター ~私のおじさん~」。
そうそうと、すごく納得した記事があったので感想を書いときます。
原題は「나의_아저씨」で日本語で「私のおじさん」。
このドラマは放映開始前から「若い女性と既婚男性の恋愛もの」という誤ったイメージが先行し、低視聴率でのスタート。
このタイトルならそうなりますよね。私も「良いドラマ教えて」と言われ、この作品を紹介すると「私のおじさん?」と怪訝な顔された経験あるので。
その後、回を追うごとに「人生ドラマ」として推す声が大きくなっていきました。
ではなぜこんなタイトルにしたのか、誤解の元となった「アジョシ(おじさん)」という言葉についてフォーカスします。
このドラマは「人生の重みに苦しみながら生きる『おじさん三兄弟』と、恵まれない環境で傷つきながら育った一人の若い女性が、お互いを通じて治癒されていく物語」(NAVERのドラマ紹介)とある。
ジアンは職場にもかかわらず、ドンフンを「アジョシ」と呼びます。
韓国でのアジョシは「おっちゃん」と言うよりもう少し広範囲で「大人の男性」全般を指す言葉らしく、言葉そのものには性的な意味合いは一切ありません。
それは、ここ一番で炸裂するOSTのタイトル「어른(オルン=大人)」からも明白で、この曲が流れると涙腺崩壊した人も多いのではないかと。
韓国人における「大人」とは、対象年齢はミドルエイジ以上で、尊敬に値する人格の持ち主で、目下のものや守るべきものを守る、責任を果たす、懐の深さを感じさせる、文字通り「立派な大人」を指します。
そういう意味で、このドラマはイ・ジアンという若者の成長物語と、もうひとつ、実は大人たちの成長物語とも言えます。
ドンフンは、会社の権力闘争と妻との関係でズタボロ状態。それでもジアンの手伝いをすることで、少しずつ自信を取り戻していきます。
でも「気の毒な子を救ってあげたい」「自分はこの子に比べたら恵まれている」という気持ちとはまた違う。
同情ではなく責任、「大人としての社会的責任」であり、社会には大人だからできること、すべきことがある。
これがこのドラマのもう一つの核心ではないかと。
という事で「OST 어른」の歌詞を置いときます。
♬♬♬
疲れ果てた一日の終わりに、涙が落ちる
私はどこへ向かっているのだろう
多くの痛みを感じたと思ったけれど
まだまだ長い道のりがあるようだ
この広い世界で一人のように
誰も私の心を見ようとしない
誰も
目を閉じてみれば
見える自分の姿
疲れることなく
ちょっと休んでみろと
手放すことのできなかった
濃い私の闇は
私を離れれば
すべてがなくなるだろうと思った
笑っている人々の間で、異邦人のように
一人で全てを失った表情
休むことなく長い間走ってきたのだろうか
今、夢はあまりにも遠くなってしまった
この長い悲しみはいつか終わるだろうか
いつか、暖かな日差しが
降り注ぐのだろう
私は私自身になる
星は永遠に輝き続ける
眠ることのない
夢を見ている
愚かな私は
私がなりたい自分にはなれないことを
目を開けて初めて
それに気付くのだろう
どんな日、どんな時間、どんな場所で
私の小さな世界は笑顔になるのだろうか
♬♬♬