1975年の公開年は中学生の頃で、キャロルはよく聞いていた。
肌感覚でいうと在日は、朝鮮人から韓国人といい出した頃で、世間では朝鮮人と言っていたと思う。
米倉斉加年はこの後に「モランボンのジャン」のCMに出て、凄まじいまでの朝鮮人差別にあうんだが、韓国人差別とは言ってなかったし馴染みがなかったと思う。
というのもこの時期の韓国は朴正煕による軍事政権下で、日本の知識人の間でも韓国には負のイメージがあり、中村敦夫もそうではないかな。
事実として韓国の民主化運動を日本から支えていた人々も多くいて、光州事件なんかも岩波書店の「世界」や、朝日新聞の記者が伝えていたし、富山妙子さんは韓国の勲章をもらったことは知っておいた方がいいと思う。
北への帰国事業も終演を迎え南は軍事政権だったけど、北からも南からも情報は入ってきた。
朝鮮総連もかつてのような勢いがなくなり、民団は軍事政権から大統領が暗殺され「それ見たことか」と、どっちもどっちのような雰囲気があった。
だから総連と民団では仲が悪かったが、朝鮮学校から建国に転校した友達もいたので、子どもどうしはさほどでもなかった。
しかし、はじめから建国に行ってる子は、言葉も知らないし文字も書けない、というのが朝鮮学校の誇りであった。
この文字や言葉が一つの民族リトマス試験紙になっていた。
帰化することが裏切り者のような描き方も、どっちつかずからの選択肢で、帰化すると総連・民団のコミュニティーから弾かれる。
自分からコミュニティーからでていき、帰化もせずアイデンティティを忘れず生きていく選択肢を選ぶことに孤独感はあったが、差別する人間だけではなく、受け入れてくれる日本社会もあった。
この時代を李學仁監督がどう捕らえていたかを、この映画を通じて何となく分かる気がする。
はじめてみたのは確か10代の頃で、どっちつかずの違和感というか、迷いがあるツクリモノ的な感じがした。誰から見た話なのかが中途半端で、在日朝鮮人の身分としての中途半端な感じがみてとれる。
結局、監督自身も在日が必ず遭遇する”自分が何人か”、”何人として生きるのか”、”祖国とは?”を問うていたのではないかな。
この心の葛藤は捕らえ方ひとつで、逆に言うと何人で生きるかを”選択できる”ということでもあるので、何事も捉えよう一つではないかな。
と今になって思えるようになった。
差別がなければこのような葛藤もないわけで、逆に元々日本人として生まれたなら、このようなことは考える必要もきっかけもない。
そういう意味で自分は恨んでもないし後悔もない。むしろ考えながら生きたことは良かったことで、SNSでよく見かけるようになった日の丸をアイコンにしてる民主主義や愛国を勘違いしてる人らをみるにつけ、そう思うことがある。
終盤、李史礼(ジョニー大倉)がギターを弾きながら歌う「봉선화(ポンソンファ)」、日本語では鳳仙花となる。
この曲は朝鮮民族の悲劇的な運命と希望を歌っていると言われている。
作詞:金享俊・金護経
作曲:洪欄坂
울 밑에 선 봉선화야(垣根に咲いた鳳仙花)
네 모양이 처량하다(お前の姿が痛ましい)
길고 긴 날 여름철에(長い長い夏の日に)
아름답게 꽃 필 적에(美しく花が咲くとき)
어여쁘신 아가씨들(花も恥じらう乙女らが)
너를 반겨 놀았도다(お前とたのしく戯れた)
어언간에 여름 가고(いつの間にか夏が去り)
가을바람 솔솔 불어(秋風そよそよ吹いてきて)
아름다운 꽃송이를(美しかった花びらに)
모질게도 침노하니(残酷にも襲いかかり)
낙화로다 늙어졌다 (散り落ちながら枯れてゆく)
네 모양이 쳐량하다(お前の姿が痛ましい)
북풍한설 찬 바람에(雪降る冬の北風に)
네 형체가 없어져도(お前の姿消えようと)
평화로운 꿈을 꾸는(平和の夢を見続ける)
너의 혼은 예 있으니(その魂はここにあり)
화창스런 봄바람에(うららかな春風に)
환생 키를 바라노라(よみがえる時を待ち望む)
第1節で美しく咲く鳳仙花と乙女たちの様子を描き、第2節で秋風に襲われる花の姿を通じて植民地支配下での苦難を暗示し、第3節で厳しい冬を越えて再び春を迎える希望を歌っている。
記憶があやふやなんだが、実はこの「鳳仙花」をモチーフにした「항쟁의 거리(抗争の街)」という楽曲があり、北に帰国した東京朝鮮中高出身の人が管弦楽として作曲した。
これを吹奏楽に編曲したものを、高3の競演大会で自由曲として演奏したいと顧問に相談したが叶わなかった。理由は破滅を意味しているということだった。
ラストで方順紅(佳那晃子)が対馬行きの船に乗ったけど、予算の関係で本当は韓国へ行くことを描きたかったのではないかな。
ちなみに僕らの時代は在日だけに分かる隠語のような言葉に”顔面登録”という言葉があった。
そのノリでお言わせてもらうとジョニー大倉は見るからに朝鮮人だが、堀が深い佳那晃子はどちらかというと沖縄の人っぽい顔をしている。
大阪の大正区から兵庫県の尼崎の湾岸エリアには沖縄から来た人々が多く住んでいて、差別されながらも生きていた。
そして劇中に年配者が喋るのは朝鮮語だが、発音がカクカクしていて習ったような言葉に聞こえる。
少なくとも我々の親世代の発音ではないので違和感違和感。(笑)
と、映画の内容とは全く関係ないことを長々と書いてしまったが、こういったレビューも許して欲しい。