チュ・ヨソプが1935年に発表した短編小説「愛の客と母」をモチーフに孫探しをユーモラスに描いた「会うべき人は会うことができる」という作品で、原題「사랑방 선수와 어머니」は直訳すると「愛の部屋-選手とお母さん-」といったところかな。
「舎廊(サラン)」は朝鮮語で「사랑방(サランバン)」というらしく、朝鮮時代に男性が学問をしたり客をもてなしたりした居間を指す言葉。
これを「사랑(サラン)」=「愛」とかけ合わせたんやろうな。
「선수(選手)」は漢字語で、悪いことに優れる人、恋愛では遊び人である男性を「選手」と表現することもあるらしい。
ということは母親に反抗ばかりしていたオッキは実はオモニのことが心配で、早く幸せになって欲しいという願いを込めたタイトルになる。
邦画でもそうだが、やはりタイトルの意味は大事ではないかな。
ストーリーはこんな感じ。
年老いたおばあさん(キム・ジヨン)は、金融業を営むキム・ドッグン(チョン・ジュノ)に、生き別れになった孫探しを依頼する。しかし、ドッグンは詐欺グループの一員で、おばあさんを騙そうとしていた。
ドッグンは、民泊を営むキム・ヘジュ(キム・ウォニ)が探している孫ではないかと疑い、獣医を装って彼女の家に宿泊する。
ヘジュはドッグンの見た目に惹かれ、次第に恋心を抱くようになる。ヘジュには15歳の時に生んだ娘のパク・オッキ(コ・ウナ)がいたが、二人の関係は決して良好とは言えない。
やがてドッグンはおばあさんを施設に預け、ヘジュのお金を持ち逃げする。
捨てられたヘジュを見かねた青年会会長のソンチル(イム・ヒョンジュン)は、彼女に片思いをしていたことから、ドッグンに談判しに行くが、この過程で、「キム・ヒスこそがキムヘジュだった」ことがわかりめでたしめでたし。
エンドロールが韓国らしく、キム・ウォニがいかに体を張ったかがよく分かる。