年が明け、1984年の
全日新春シリーズ恒例のバトルロイヤル。

最後の二人に残ったのは
マジック・ドラゴンと「アカプルコの青い翼」リスマルク。

流れ的には日本人の
ドラゴンが勝つと思った。当時の自分は・・・

しかし、
後楽園ホールの観客は一斉に
「リスマルク」コール。

耳を疑った。
「お前ら日本人を応援しないのかよ・・・」そう思った。

正直、そのときの
ドラゴンは
リング上でどう思ったのだろう。

仕事として割り切っていたのか。

切なくなる・・・

リスマルクが当時、
日本のマニアの間で既に有名で、
待望の初来日だと知ったのはまだまだ後の話。

結果はリスマルクがエビ固めで
フォール勝ち。

この試合で自分は
マジック・ドラゴンという
一人の中堅レスラーが気になりだした。




(追伸)リスマルクvsマッハ隼人です
http://www.youtube.com/watch?v=IjBakruEN8Y
やっぱリスマルクかっこいいや。

今の自分だったらリスマルク・コールしてる・・・

1983年、
自分が小学3年生のときです。

初代タイガーの引退は
多くのチビッ子ファンを
プロレス界から連れ去って行きました。
まるでハーメルンの笛吹き男にように。

自分のクラスの男子も次第に
プロレスを観ない子達が増えてきました。

しかし、自分はプロレスを見続けました。

純粋に初代タイガーの試合を楽しんでいた自分も
この頃になると小学生向けプロレス名鑑とかで
テレビに出ない若手の名前や
マニアックな知識をどんどん吸収していきました。

その年の暮れ、
全日蔵前大会だったと思いますが、
テレビを観てたら、
リングサイドに
白っぽいマスクマンが観戦してました。
一番前に謎のマスクマンが座ってれば
そりゃあ気になります。

アナウンサーが
次期シリーズから
「園田一治がアメリカで変身した
マジック・ドラゴンが参戦します」なんて
喋ってたので謎が解けました。

「園田一治」という名前は
既にプロレス名鑑で自分の頭にインプット済でした。

当時、マスクマンは皆、
正体不明が当たり前だと思ったのですが、
正体バレバレのマスクマンということに
逆に新鮮に感じました。
今、自分は
ドランゴという名前で
ブログをやっとりますが、
ブログやる前は
マジック・ドランゴという名前で
たまにプロレス関連のサイトに
書き込みとかしてました。

でも、そんな名前じゃ長いので
ドランゴという名前にしたのです。

エル・カネックのエルを
とったようなものです。

昭和な人には
お気づきになられたかもしれませんが、私はマジック・ドラゴンという
マスクマンの虜になりました。

それは初代タイガー引退や
猪木失神事件のあった
1983年のことでした。