マジック・ドラゴンが
アジア・タッグに
挑戦した公式記録は
ありません。

しかし、
84年10月の
ジャイアント・シリーズ開幕前に
ドラゴンが確か
佐藤昭雄をパートナーとし、
阿修羅・原、石川の
アジア・タッグに
挑戦するという記事を
確かに目にしたのです。

しかし、実際には
試合は行われず、
まるで最初からそんな予定は
なかったことのように
黙殺されました。

ただ、当時の
週刊ゴングに
観客が凄くガラガラな
大会の写真が
掲載されてました。

原因はプロモーターが
失踪したからと
書かれてました・・・


最近になって
どうやらその大会の
プロモーターが
阿修羅・原だったという
記事を読みました。


これで辻褄が合いました。

プロモーターであり

チャンピオンでもあった
阿修羅・原がいなくなったら
試合ができる訳ありません。

こうしてドラゴンの
アジア・タッグ挑戦は
幻に終わりました。

プロレスにはこの手の
「あれは一体何だったんだろう?」ということが
山ほどあります。

さて、ようやく
マジック・ドラゴンに
チャンスが廻ってきます。

84年3月(確か)
マイティ井上の持つ
インターJr.タイトルに
挑戦が決まりました。

その時の自分の率直な感想。
「多分、勝てないだろうなぁ~」

理由はまず
井上はアジア・タッグを
返上させられ、
Jr.の体型に絞り、
二回目の挑戦でようやく
チャボ・ゲレロを下し、
今回は初防衛戦ということ。

そして、やっぱり「格」かなぁ・・・

試合は予想通り・・・

井上がオースイ・スープレックスで
フォール勝ち。

ちょっとここで
ど~でもいいことを
熱く書きますが、
この技、
スープレックスではない!

逆さ押さえ込みのような
クラッチ・ホールドの
部類だと思います。

そして、日本名は
「欧州式原爆固め」
と表記されましたが、
この技は
オーストラリア出身の
カンガルーズが
得意としてたので、
本来ならオージー。

だから「豪州式」!

プロレス好きな方ならば

自分の好きなレスラーが勝ち名乗りを受け

手を挙げているシーンを何度も見ているでしょう。

むしろ、そんな勝ち名乗りを

何度も見ているからこそ

ファンになったのだと思います。

しかし、私はマジック・ドラゴン

もしくはハル薗田の勝ち名乗りを

受けている姿は見たことがありません。

・・・と、本来は書くつもりでしたが、

昨日、休みでネットで調べていたら、

なんと勝ち名乗りを受けている映像を

観ることができました。

(自分にとっては中国漁船より衝撃映像!)


ドラゴン・渕vsマッハ隼人・三沢
http://www.youtube.com/watch?v=3PdmVhId2cE

http://www.youtube.com/watch?v=KNRCQHGYfm4&feature=related

当時「フレッシュ・ファイト」といって

土曜日の朝9時から放映してた番組で、

若手の試合を中心に

数ヶ月に一回のペースで放映してました。

余談ですが、フレッシュ・ファイトに関わらず

ベテランの極道コンビの試合を放映してたという

都市伝説がありますが実際のところどうなんでしょう?

半ドンの土曜日のため、

学校でしたから観ることはできませんでした。

(その後、一回だけ番組を観れました)

さて、その試合なのですが、今観ると、

当時の全日Jr.が「地を這う空中殺法」と

揶揄されたのが分かる気がします。


けれど三沢だけ抜きん出て

センスがいいなぁ、というのが明白です。

けれども、四半世紀の時を過ぎて

ようやくマジック・ドラゴンがフォール勝ち、

そして勝ち名乗りを受けるシーンを

初めて観ることができたことに嬉しくなりました。