以前、家族で5年間暮らしていた都市に、先週末から滞在しています。
テキサス州オースティン。
日本の皆さんにはあまり馴染みのない都市かもしれませんが、先端技術が集まる都市でもあります。
今回ここに滞在して、改めて感じていることがあります。
それは、英語は人と人とをつなぐための道具なのだ、ということです。
今回の滞在先はAirbnbで借りたゲストハウスです。
そのため、到着前からオーナーの方とは何度もメッセージをやり取りしました。
飛行機のトラブルで到着が大幅に遅れることを知らせたり(成田に逆戻りした💦)、滞在中に設備について尋ねたり、思いがけないトラブル(孫がドアをロック状態にして閉めてしまい、バスルームに入れなくなった💦💦)で助けをお願いしたり。
そして、今回最大の「事件」は、私がiPhoneを紛失したことでした💦💦こんなにトラブル続きは人生初。
Uberの車内に置き忘れたのではないかと思い、Uberに連絡し、Appleの「探す」機能で位置を確認し、滞在先のオーナーにも事情を説明して、何度も英語でやり取りをして助けていただきました。
というのも、Appleの「探す」で確認すると、iPhoneはどうやら滞在先のすぐ近くにある。でも家の中にはない。
いったいどこに?心配で夜も眠れない。
最終的には、オーナーの隣人の方が拾ってくださっていたことがわかりました!
その感激といったら!
こういう緊急時のやり取りに使ったのは、自分の英語であり、AIにpolishしてもらった英語であり……。
職業柄、英語を書くのはものすごく速いので、やり取りはバンバンできます。
ただ、そこに常にあるのは「今の状況を正確に、そして失礼のない丁寧な言葉で伝えたい」という気持ちです。
STEAM英語とは、またちょっと違う心掛けが必要です。
もちろん、こんな緊急時だけではありません。
スーパーで買い物をするときや、Uberに乗ったときにも、短い会話を何度もします。一つひとつは、ごく簡単な英語です。
挨拶をして、ちょっとした言葉を交わして、最後に “Thank you.” と言う。
ほんの数分間でも、そこには人と人との小さなやり取りがあります。
一方、今回、場所から場所への移動には、Waymoの自動運転車にも何度か乗ってみました。
運転席には誰もいません。
車は自分で走り、曲がり、止まり、目的地まで連れていってくれます。
Uberでは、ほんの短い時間でもドライバーとの会話があります。ところがWaymoでは、その会話がありません。
最新のテクノロジーによって、言葉を交わさなくても目的地に行ける。
その便利さと面白さを体験すると同時に、普段なら何気なく交わしている人との言葉について、逆に意識する機会にもなりました。
ちなみに、Uberのアプリを日本語表示にしていると、Waymoに乗車したときには日本語で挨拶してくれます(車内の案内は英語だけ)。人はいないのに、日本語で迎えてくれるのも不思議な感じです。
そして今回、楽しみにしていたことの一つが、昔のアメリカ人の友人との再会でした。
約〇十年ぶりに会い、お茶を飲みながら、昔のことをたくさん話しました。
当時まだ幼かった子どもたちの話。あの頃どんなことをしていたのか。そして、その子どもたちが今どこで、どのように暮らしているのか。
いわば、〇十年前からの「成長記録」の続きを、お互いに報告し合ったような時間でした。
〇十年という年月が流れても、共通の思い出があります。その記憶を一つずつ言葉にしていくと、過ぎてしまった時間が現在につながっていきます。
言葉には、離れた時間をつなぐ力もあるのです。
さらに今回は、カリフォルニアに住む娘の家族も合流して、数日間一緒に過ごすことができました。(そして冒頭のドアロック事件発生)
娘はバイリンガルなのですが、孫たちは、新しい言語に囲まれる生活が始まって、まだ2か月ほど。
孫たちにとって英語は、まず「勉強する対象」なのではなく、日々の生活の中で「使いながら育っていく」ものです。
見ていると、どうやら話すことよりも、聞いて理解することのほうが先に進んでいるようです。
そんな様子を見るのも、とても興味深いことでした。
英語はツールです。
けれども、「ツール」という言葉だけでは、少し足りないようにも思います。
言葉は、自分の中にあるものを外の世界へ届ける手段であり、同時に、相手の世界を自分の中に取り込む手段でもあります。
そして、人と人をつなぎ、過去と現在をつなぎ、時には世代と世代をつないでくれます。
言葉の先には、いつも人がいる。
今回の旅で私が持ち帰るものの一つは、その実感であり、再確認なのかもしれません。