「シナオシ」の伏線に関して
先日、幻影の書庫 さんの記事で、拙ブログの「シナオシ」の感想 を紹介して頂き、ここ数日アクセス数が急に伸びております。
今読み返すと、読了時の興奮も冷めぬまま勢いで書いた感想なので、ずいぶん滅茶苦茶で恥ずかしいのですが、ともあれありがたいことです。
これを機に、「シナオシ」に興味を持っていただける方が増えれば、嬉しいことこの上ありません。
そして、今更なのですが、若干伝わりにくい(と言うよりは説明不足)箇所があったので、それに関して少し補足させて頂きます。
注意:以下には田代裕彦「シナオシ」及び、麻耶雄嵩「鴉」のネタバレが含まれます。一応背景色で書いておりますが、未読の方はご注意ください。
先の感想で、自分は
>途中に麻耶雄嵩氏の「鴉」のような、あまりにも大胆な伏線があるのですが、この「?」が解ける瞬間の爽快感は凄いです
という様なことを書いていたのですが、この部分がどこなのか、というご指摘をとある方から頂きました。
これについて、自分が思っていたのは、(以下、「シナオシ」ネタバレ)
第六章、中でも本書158ページの「今、僕とあいつは二人きり」という文章です。
第七章を読むと、「トラック事故の現場」には、<僕>とかずみだけではなく、舞という三人目の人物がいるとはっきりわかります。
しかし、第六章を読む限りでは、明らかにその場には二人しかいない。
この時点で、第六章と第七章の舞台は別である(時間的か、空間的かはともかく)か、その他の「仕掛け」があることは判明します。
ただし、自分はその時点で、そこまで考えが及びませんでした。
<僕>の視点では二人なのに、<私>の視点では三人。
この違いが、大きな違和感となって残っていました。
これが、先に書いた「鴉を彷彿とさせる伏線」です。
実はこれだけではなく、前半部――<僕>が学校で最初彼女に声をかけるシーン――にも、これと似たような違和感を感じました。
ただこれは、トラック事故ほど明らかな差ではない(それでも良く読むと明らかにおかしい)ので、作者のミスか何かだと思ってそのまま読み進めていたのです。
このような違和感の積み重ねが、解決の爽快感へ結びついていったのだと思います。
(以下、「シナオシ」及び「鴉」ネタバレ)
蛇足だとは思いますが、自分がこの伏線に対し「鴉」を例に挙げたのは、「鴉」のラストにおける「死者が唐突に蘇る」という伏線が本書に近いものに感じたからです。
二つの視点は一見同一軸にあるようで、実際は全く別の舞台であった、ということを示す大胆な伏線。
もちろん、鴉のほうが「大胆さ」という点を含め、様々な意味で伏線の出来が良いのは確かですが。
これほどあからさまな違和感を読者に突きつけておきながら、なお仕掛けには気づかせない。
この試みは、大変素晴らしいものだと思います。
また、「鴉」「シナオシ」共に、違和感の元が「いないはずの人間がいる」ところにある、という点も似ているかと思います。
・・・・・・やはり、いつものごとく長くなってしまいましたが。
「シナオシ」は、確かに「推理するための伏線」には欠けるかもしれませんが、後で読み返して「納得するための伏線」は十分に張られている、と思います。
しかし、本書はやはり時間物のSFにも興味がないと辛いのかもしれませんね・・・・・・。
何しろ、難解なほどに複雑なので。
それでも、そういったものが好きな方は読む価値があると思うので・・・・・・・未読の方は是非、この機会(?)に。