津波のニュースを繰り返し見ていたせいか、水の夢を多くみるようになって、心が夢の中に引っ張られるように、いやな気持ちが現実にまで延長されてしまうことがこのところ増えた。
乗っていた飛行機が湖に墜落する夢。
「せっかくあの地震で助かったのに・・・・・・!」と思っているうちに、飛行機がぐらんぐらんと揺れて、
頭から垂直に突っ込んだ。
窓が割れ、ものすごい勢いで水が浸食する。
緑色の水に包まれて息が苦しくなってもがいた。
大量の水を通して見えるのは水面の向こうで私より後方に座っていた人達が必死で座席につかまっている姿だった。
生の世界に手を伸ばしながら、私はゆっくりと死んでいく。
「あともう少し頑張れば私も生きれるのに!もう少し手を伸ばせれば――」
生と死の境界線を踏み越えてもなお、意識があって、救助される乗客たちを水の底から眺めていた。
「死んでも意識は残るんだ、ずっとずっとみんなの生きている姿を見続けなきゃいけないんだ」と私は絶望した。
「死んでも無にならない」ことに絶望していた。
そこで目が覚めて、自分呼吸が荒くなっているのがわかった。
夢でさえこんなに怖いのに、津波で流された人はどれほど恐ろしかったんだろう。
何も考える間もなく飲み込まれた人もいれば、「あともうすこし強く柱につかまれたら」「もうすこし前の方を走っていたら」という思いを抱えたまま、「死にたくない」と叫びながら亡くなった人もいるはずだ。
つらかっただろうな、苦しかっただろうな、とかそういうありきたりな同情の言葉しか出てこないのが申し訳ない。
私が考えつく限りの想像ですら甘いと思う。
何を言ってもそんなつもりはないのに偽善的になってしまう。
この夢をみて、自分が「死んだら無になる」ことを望んでいるのに驚いた。
今までいくつかの死を経験して、「その人は天国で幸せに暮らしていてほしい」とか「空から見守ってほしい」とか、無宗教でありながら心のどこかで死後の世界の存在に救いを求めていると自覚していたのだけれど、夢の中の死に際の自分は死後の世界を望んでいなかった。
うなされるような夢を何度も何度もみるので、ついに先週の日曜に飯盛山にいって「頭の登れば悪夢を消滅させるという獏」の銅像に登ってみた。
いや実際は飯盛山に行ったら偶然見つけたんだけど、どれどれと登らせていただいたところ、それ以来悪夢をみなくなった!!!!!!
なんと!
だから今夜も私は悪い夢をみないのです。
悪い気に引っ張られるような時は、おまじないでも何でも信じてやってみるのが心にとっては良いのかもしれない。
うちのひいばあちゃんは、薬を飲んでもちっとも具合がよくならなかったのに、こっそりそれを彼女の大好きなラムネに変えてから(お医者様の承諾を得て)元気になったらしいし(笑)