夏の庭を読んでばあちゃんのこと思い出したら、ぐあっと書いてしまった。
誤字脱字誤文法アリ。めちゃくちゃです。
私のおばあちゃんの話です。
フィクションとノンフィクションの狭間です。
人が亡くなる話です。小説じゃなくてチラ裏日記です。
それでも良かったら読んでください。
友人とお酒を飲みながら、酔った勢いで人生論のような話になった。
「私ね、死んだあとは何も残したくないの。骨も財産も思い出も、何もかも。」
唐突な彼女の言葉を聞いて、アメリカの大富豪か何かに影響を受けたのだろうかと私は思った。
「どうして?」
私が尋ねると、彼女は椅子の背もたれに寄りかかって、両腕を頭の後ろに持っていった。
「だって悲しいじゃん。後ろ髪引かれる思いはしたくないし、させたくない。何かを残して死ねるとしたら、私は欲張りだから、残された人がそれを見てどういう表情をするのか知りたくなる。気になって、きっと死ぬことなんてできない。死んだらそこで終わり。何もなくなるから安心して死ねる。そう、息が止まって心臓も止まって、脳みそも動かなくなったら、やり残したことも、やりたかったことも全部なくなるから死ねるんじゃないかと思う」
私は彼女の言っていることを半分も理解できていなかったかもしれない。
ただ、彼女の話を聞きながら、ばあちゃんが死んだときのことを思い出していた。
ばあちゃんが死んだのは、高校二年になる春だった。
春と言っても、東北の三月というのはまだ雪が残っていて、やっと除雪なしに道を通れるようになる頃だ。
少し気恥ずかしいけれど、私はばあちゃんが大好きだった。
私の家は田舎には珍しい核家族だったから、ばあちゃんに会うのは連休とか、長期休みぐらいだった。
その休みに入るとすぐに、母親に「ばあちゃんちに行きたい」とせがんでいた。
私が家に着くとばあちゃんは車の音に気付いてもう玄関から出てきていて、決まって私たちに「おかえり」と言った。
それはもうこぼれおちそうなくらいの笑顔。
ばあちゃんの家に行く度に、私の身長は伸びているから、外国人みたいにばあちゃんは私に抱きついて、「また大きくなったことー」なんてまた笑う。
ばあちゃんはいつも濃い紫の前掛けをして、ごちそうを作って待っていた。
ずいぶん早くにじいちゃんは亡くなっていた(私が生まれるよりもずっと前だ)から、ばあちゃんはお母さんが結婚して家を出てからずっと広い家に一人暮らしをしていた。
だから余計に、孫の顔を見るのを心待ちにしていたんだと思う。
ばあちゃんは本当に子ども好きで、その十倍は子どもに好かれていた。
近所の子が自分のおばあさんそっちのけで懐いたし、私のいとこたちもみんなばあちゃんが好きだった。
時代が時代だったら幼稚園の先生にでもなっていたんじゃないだろうか。
本当に小さい頃は、ばあちゃんの上にまたがってお馬さんごっこ(今思うとひどい話だ)もしたし、
雪がたくさん降った日は、階段を作って一緒に小屋の屋根に登ったりした。
小学生になっても、ふたりでテレビゲームをしたくらいだ。
ばあちゃんはマリオカートが格別に弱くって私は先生になった気分で手ほどきした。
お母さんが迎えに来て、そろそろ帰らなくてはいけないのが分かると、涙をこらえるのがやっとだった。
それだけばあちゃんっ子だった私も、中学に入って新しい友達をつくって、新しい遊びを覚えると、あまりばあちゃんのことも思い出さなかったし、高校に入ったらなおさらだった。
彼氏ができて、来年は受験で、冗談抜きで自分のことしか考えていなかった。そんな矢先だ。
ばあちゃんは癌になった。
私は病院が学校から近いのもあって、毎日のように顔を出した。
病棟は古く、湿っていて独特なにおいがした。病院食や排泄物や薬や点滴の、明らかに他とは違うにおいだった。
死のにおいという表現が一番しっくりくるような気もした。
病院の薄暗い廊下を歩きながら、ひどい罪悪感に襲われた。
自分が忘れていたから、ばあちゃんは癌なんかになってしまったんじゃないかと。神様はわざと、私じゃなくてばあちゃんに災いをもたらしたんだと思った。
だから私は、これまで会いに行けなかった期間を埋めるように、かかさず見舞いに行った。
それまで会いに行かなかったことへの単純でちっぽけな償いだった。
入院したばかりの頃のばあちゃんは、昔と変わらない笑顔で私の心配をした。
お腹がすいていないかとか、暗いから帰りは気をつけなさいとか。その優しさがすごく痛くて、私は時折顔をそむけ、病室の窓から外の桜の木を眺めた。
三月の初めで、花はもちろん咲いていなかった。つぼみすらも、まだ顔を出さずに眠っていた。
「早く桜咲くといいね」
その日私は、冷蔵庫に入っていたコーヒー牛乳を飲みながら何気なくつぶやいた。
本当に何気なく、だ。
ばあちゃんはベッドを少し後ろに傾けてうとうとしていたのだけれど、私の言葉を聞くとゆっくり目を開けて、言った。
「今年の桜は、見れないかもなあ」
テレビから流れる夕方のニュースの音に、かき消されてもおかしくない、小さな声だった。
私は、聞こえないふりをした。