ちなみに手形事件が一段落してから3ヶ月ほど経過したこの時期に、借金の残債は4億円ほどあったと思う。








銀行に2億円ほど、街金やサラ金に5千万円ほど、闇金に5千万円ほど、そして自己破産した大塚の連帯保証をしている分や金利を延滞している分を合わせると約4億円だった。







これだけ借金があってもCICなどの信用情報機関に登録されているようなものについては、月の支払いをきちんと払っていた。







ただ単にブラックにならないように真面目に払い続けていた。







なので月の返済額は最低でも300万はあったし、がむしゃらに働いて支払っていた。








信用情報機関に載せないような街金には金利を待たせていたし、闇金についてはその支払いを拒否していた。






街金がなぜ信用情報機関に載せないかというと、一言でいえば脱税するためだ。







とにかく表に出せば税務署も嗅ぎ付ける。






ゆえに脱税するために裏で貸し付けていたのである。






だから煩い催促はあるが、今は苦しいから暫く待ってくれと頼むと渋々ながら待っていてくれていた。







対して闇金は、こちらが踏み倒し宣言をしているだけに完全に敵対していた。







闇金は当然の如く暴力団がらみであるため、通常であれば荒っぽい取り立てをしてくるのだが、私が阿蘇グループにいることを知っていることもあって仕掛けてはこなかった。







一番金利のキツイところはミッカイチだった。







ミッカイチとは三日で1割の利息、百万借りたら3日おきに30万の利息を支払わねばならない。







その他トイチや月イチの闇金からも借りていたので、まともに払っていたらキリがない。







そんなところにも借金が5千万ほどあったと思うが完全に踏み倒していた。







そんな状況下にあるため、もはや堅気の医者に戻ることは五体満足に生きていける保障がないどころか、三途の川を渡るも同じであった。