ただ、盛川はことあるごとに
「Gくん、あんたには手形の処理分の貸しがあるさかいに頑張ってもらわなあかんで」
と言った。
それに呼応するように側近の金谷が
「そやで、会長に借金しとるわけなんやから、ちゃんと儲けて返さなあかんで」
といつも傍で睨みを利かせていた。
これが実に鬱陶しく、盛川はともかく金谷に偉そうに言われるのが腹立たしかった。
金谷ともう1人、河本という男が盛川の側近を務めており、北の居なくなった阿蘇グループでこの2名は盛川から非常に信頼されていた。
二人ともガタイも良く、人相も悪く、どこから見ても堅気に見えないタイプであり、手形事件の頃から私に吠えてくることが多かったため、お世辞にも好きとはいえないし、共に仕事をするのも不愉快であった。
二人とも
「北のアホは会長の義理の息子やから気を使っとったけど、あいつのせいで俺らも大迷惑や」
というのが口癖であった。
阿蘇グループに入ってから私が懸念したのは、この二人に偉そうに言われること、そして私が目標にしたのは、この二人とまずは同等の立場になることであった。
過去にも書いたが、私は北を阿蘇グループで盛川の次に実権が握れるように色々と模索し、当時の社長の不正を暴かせ失脚させたことがあった。
それと同じように、この二人を何とか潰してやろうという考えが芽生えはじめていた。
それにはこの二人より盛川の役に立って、盛川から認められねばならない。
私がこの二人を観察していて、私の方が勝っているものを考えた時、それは【人脈と金脈】であった。
私は手形の処理で、あらゆる金策をし、それも限界がきたため最終月にお手上げをしたわけだが、それはあくまで借金できる方面に八方手を尽くしたということであり、誰にでも借金を申し込んだわけではない。
あくまでカネを貸すことを業にしている者や、無理を言える仲の者に対してしか頼んでいなかった。
それはプライドもあり、借金を申し込むようなことでその人物との関係が断たれることは絶対に避けたかったからである。
これが個人的な借金の申し込みではなく、投資話ならば持って行ける相手、そんな人脈ならかなりの人数がいた。
この頃、盛川の口癖は
「ほんまここんとこ投資投資で、銭がなんぼあっても足りんわい」
であったので
「会長、差し出がましいようですけど、現在阿蘇がやっている事業は非常に魅力的だと思ってます、良かったら資金調達のお手伝いさせてもらいましょうか?」
と申し出た。
盛川は
「あんた手形の件で走り回っとったのに、まだそんな人脈あるんかいな?」
と聞いて来たので、借金と投資は違う旨の説明をした。
これに盛川はえらく感服したらしく、是非とも頼むと言った。
そして私はその日から、借金の金策ではなく、投資の金策に日夜奔走することになった。