正直な話、私は根っから商いが好きだったし、どちらかといえば裏稼業をやっている時が最もイキイキしていたという自覚があった。










ゆえに本来は、医者とは正反対の気質だ。








だから医者の道を挫折しながらも、阿蘇グループの社長として数年間働いていた北のことを羨ましく思っていた。








今度は自分が阿蘇という巨大なバックの元、存分に商いができるということに心が踊った。








もちろん商いといっても、単に商品を作ったり売ったりするものではなく、常に駆け引きを必要とする複雑な事業なわけで、自分の力がどこまでなのか、平たくいうと会長の盛川にどこまで認められてどこまで大金を手にすることができるかというのが目標であった。







しかも常に危険と背中合わせのスリリングなビジネス。







手形の決済に追われてスリリングすぎる数ヶ月を送った人間なら普通は懲りるもんだが、全く懲りていなかった私は水を得た魚のように日に日に元気が蘇り、盛川の指示で働いた。









今思えばやはり盛川には先見の明があった。









阿蘇グループで新しく興した会社の主要な業務内容はクレジットカード関連であった。








盛川いわく、これからはキャッシレスと情報の時代がやってくるから、一人が一枚必ずカードを持って、そのカードに自分の個人情報などもインプットし、身分証明書としても使えるようにするのだと言った。








それで買い物は勿論、電車の自動改札も通過でき、信用がなくクレジット機能があるカードを作れない場合はチャージ式にするという。







さらにカードには本人の既往歴もインプットし、医療機関を受診する際に診察券としても利用でき、その人物が過去にどんな病気を患って現在どんな薬を飲んでいるかなどの情報をも把握するようにできるカードを作ると言った。








まだ電子マネーなどが全くない時代であったし、そんなカードは現在でも普及されていないのだから、当時からかなり先を読んだ計画を企てていたといえる。








そして興した新会社の名称がOCCカードシステム、役員名簿には政財界のそうそうたるメンバーが名を連ねた。








私はその内の役員のひとりとして籍を置いた。







大阪の一等地にビル一棟を事務所に構え、東京や海外からやって来る大物と連日会議したり、会食は吉兆やなだ万などの高級料理屋や高級中華、身体に悪いんじゃないかと思うほど毎日毎日高級料理を食べる日が続いた。








酒も抜ける日がなく、盛川が歩いても息切れするほどの肥満体であったのも納得できた。








勿論、ヤクザの大物やチャイニーズマフィアのボスなどとも会食や飲みに行く機会も多く、スリリングな日々が絶えなかった。