この頃も私は相変わらず女性関係が激しかった。








都内で飲みに行って気に入った子がいれば必ず口説き落とした。








ヒモを長年していたこともあり女性の扱いには慣れていたし、そこそこ羽振りも良かったためまず落とせないことはなかった。









特に都内は田舎から出てくる女性が多く、昼職をしていても物価に給料が追い付かずに夜や風俗で働く場合が多い。









キャバクラなんかはタレントやモデルの卵の巣窟といってもよかった。









そんな女性4、5人と常にお付き合いをさせて頂いており、彼女たちが住む都内のマンションを泊まり歩いていた。









そこを根城に都内で徘徊していた。










飲みに行くのは六本木なのだが、ひとりで徘徊するのは新宿か池袋だった。









新宿や池袋は遊ぶのが面白いというのもあるが、なにより商売のヒントがある。









違法・合法を含めて様々な業種が横行しているため勉強にはもってこいだ。










当時そこら辺りに乱立していた遊び場に‘10円ポーカー’というのがあった。









要はポーカーゲーム屋と呼ばれるもので、テーブル型のTVゲームを使った博打場である。









バブル期の頃にゲーム喫茶というものが流行したのだが、その進化形である。









バブル期に流行ったポーカーゲームのレートは殆どが1点100円、ピンと来ないかもしれないがこのレートで一晩中遊んでツキのない日なら300~500万負けることだってある。








逆に馬鹿ヅキしたなら同額を勝てるわけだが、そんな日は殆どない。







殆どが負けるわけだから経営者は儲かる。








儲かるといっても半端なく儲かる。








どれくらい儲かるかというと、1日の売上を持って帰ると万札で浴槽が満タンになるほど儲かる。









ただ、そのぶん破滅する客も多いわけだから社会問題にもなった。









だから警察は壊滅作戦を行ったのだが、これまた警察に内通者がいたりして上手くかわす者もいたのだが、赤坂の所轄が大がかりに関与していたことがバレてしまい警視庁も躍起になって検挙し都内から絶滅した。










それが数年の時を経て再びブームを起こそうとしていたのだ。









といっても時代に合わせてレートは10分の1である1点10円になった。











そして検挙されにくいように以前と違い風営法許可を取得して営業する。







いわばゲームセンターとしての許可を取って営業するのだ。









営業許可を申請する公安や取締りをする警察の防犯課もうすうす単なるゲームセンターでないことは分かりながらも、レートが安いからお目こぼしをする。








娯楽程度の麻雀なら賭博罪に問われないのと同じようなものだ。









この時代でおおっぴらに賭博場ができるなんて裏の人間にとっては非常に魅力的であったので、その件数は都内で増え続けていた。










私もポーカーゲームは好きだったので、新宿や池袋で毎夜のように通った。











もちろん遊びだけではない、次に名古屋でやる商売に向けての勉強も兼ねて通い続けた。