愛しの黒ねこへ




13年前だったかな。君は、僕の前に現れました。



当時働いていた、銀座のクラブのお姉さんから話がきたんだ。



その約一年前に、ナナが家に来たんだけど、ちょうど僕の仕事がいろいろ軌道に乗ってきた頃で、ナナをひとりぼっちにしておく時間が長くてね。


誰かナナの相手をしてくれる猫はいないかなあと思っていたときに、そのお姉さんから、



「よかったら飼ってくれませんか」



というメールが来たんだよ。




普通、そういうときの写真って、とっておきの、写りが最高にいいやつを選ぶと思うんだけど、そのときの仔猫の写真は、お世辞にもかわいいなんていえなくて。


汚い仔猫が写っていて、思わず笑ってしまった。



どうやらそのお姉さんの友達が猫好きで、千葉県の柏にある公園で君を保護したらしい。



その数日後、初夏だったのかなあ、そのお姉さんが、件のお友達と一緒に、君を連れて家にやってきました。


「写真写りは悪いけど、実物は結構かわいいのが来るんじゃないか」


そんなことを思っていたけど。



やっぱり君は、小汚なかった(笑)



小さくて汚い、黒い塊が、ニャオニャオ言いながら、家を歩き回っていました。



当時ちょうど、矢沢あいさんの、『NANA』が流行っていて。


小松奈々が「ハチ」と呼ばれていて。


当時青森の実家には六匹ねこがいて、それで君のお姉さんは『ナナ』になったんだけど、君は八番目だしなあと思っていたところにちょうどそのマンガを読んだので、君は『ハチ』になりました。


実家の親には『女の子なのに可愛くない名前つけて』なんて言われたけど、なんとなくハチっぽかったよ、やっぱり君は。





何しろ君はマナーが悪くてね。



ゴミ袋を噛んで中身を引っ張り出したり。


壁で爪を研いで壁紙を大変なことにしたり。


ネズミのおもちゃなんか、咥えたら離さない。


取り上げようとすると、ウーーーって唸って怒って。


柏で苦労してきたんだろうね。


食い意地も張っていて。


フライドチキンは骨ごと噛み砕いて、僕を心配させました。





でもね。


しばらくしたら、見違えるように君はキレイになって。


なんだろう。オリエンタルな雰囲気をたたえ、モデルのように手足の長いねこになりました。


あんなに食い意地も張っていたのに、いつの間にか少食になり、ゴミも散らかさなくなりましたね。





ただひとつ。




黒猫なのにあんまり黒くないねえと僕にバカにされて、不満な顔をしていましたが(笑)






「こんなにかわいい猫はみんなに見せないと」






当時の僕はバカだったんだねえ。


散歩に君を連れていこうと思いました。



万が一がないように、首輪に紐をつけて、さらにハーネスにも紐をつけて、手首に固定して。



道路に置いた瞬間。



君は、僕のカラダを駆け上がり、肩に乗りました。



「黒猫が肩に乗っているなんて、まるで魔法使いみたいで、これはこれでイイ!」


なんてバカなことを考え、肩に乗せた君と、お散歩に出かけましたね。



君は嫌だっただろうなあ。ごめんね。



でも、原宿の竹下通りを一緒に歩いたときは、君のかわいさに、君の後ろに行列ができたことを覚えていますか?


親バカってのは本当に厄介な病で、カワイイカワイイとみんなに言われている君を見て、なんだか僕は嬉しかったんだ。




池袋の、犬と入れるカフェに君と行ったとき。




「犬と入れると書いてありますが、猫でもいいですか?」



店員さんは、怪訝な顔をしながら、「はい…」と言った。


なんであんな顔をしたのかわかる?


君があまりにも自然に肩に乗っていたものだから、猫だと思わず、黒い毛皮を首に巻いていたと思ったんだってさ。




料理を運んできた店員さんがようやく君に気づき、 


「あっ!」


と叫んで、ウィンナーの入ったスープをひっくり返しそうになっていたね。


毛皮と間違えられるぐらいの毛並みになったかあと、一人で僕はニヤニヤしていたんだよ。





つかず離れずの距離感を保ちたくて、抱っこも嫌いなナナと違い、君は抱っこも好きで、毎日僕にくっついて寝てくれました。



「今僕は、猫と一緒に住んでいるんだなあ」



そういう実感を初めて与えてくれたのは、君でしたね。


働いていたマジックバーで嫌なことがあって、家に帰って荒れていると、いつも隣でニャオニャオ言って励ましてくれました。




当時、青森でお仕事があったついでに帰省したときなんかは大変で。


左側にナナの入ったケージを肩からぶら下げ、右肩には君の入ったケージをぶら下げ。


右手で仕事道具の入ったキャリーを引っ張り、左手にはお仕事で使うハトが入ったケージを持ち。


ところが新幹線で君はよく鳴きまして。


席にいると君の鳴き声で迷惑がかかるので、せっかく指定席を取ったのに、3時間君たちを連れてずっとデッキにいることになりました(笑)




地元のホームセンターに、君を肩に乗せて行きましたね。


ペットコーナーに行ったら、ガラスケースの中の猫や犬達が君のことを不思議そうな表情で見ていて。


君はその子達を、もっと不思議そうな顔で見ていました。



あの子達は今、幸せにしているのかなあ。


そして、君はあのとき、幸せだったかなあ。


僕は、肩に乗った君を見ながら、幸せだなあと思っていたよ。




いろいろなことがあって心と体を病み、マジックバーから離れることを決めました。


前よりも一緒にいれる時間が増えて、君は喜んでいるように見えましたね。







そんなある日、突然また僕は、汚い、目も開かない白黒の仔猫を拾ってきて、君をまた驚かせてしまうことになるわけで。



悪かったと思ってるんだけどね。


何しろ、死にそうだったんだよ。


君も同じような立場だったんだから、わかってくれると思ってね。





しばらくはその仔猫にかかりっきりになり、君はさみしそうでした。




「ココ」と名付けられたその白黒ねこは、君の子分になるどころかものすごく悪いやつで、よく君に飛びかかっていって、君にあしらわれていましたね。


嫌がりながらも、きちんとココの相手をしてくれて、ありがたいなあと思っていました。


でも僕は、礼儀を重んじるからね。


ほどなくして奴は君より大きくなってしまい、君がケンカで負けて逃げてきたときは、ちゃんと僕は君の味方をしたでしょう(笑)?



ココがナナにちょっかいを出していると飛んできて、


「やめろ!」


と言いにくる。



長幼の序をわきまえた、義理堅いねこでしたね。




僕と寝るのは君の専売特許だったはずなのに、奴が来てから3人で寝ることになり。


君は不満もあっただろうに、文句を言わずに3人で寝ることを許してくれましたね。







結構な繁華街に住んでいたので、パトカーの音で寝ている君が起きることも多く。


ついに、僕らがいるマンションでおそらく殺人事件が起こり、警察が聞き込みに現れました。


それを機に、もう少し静かなところに引っ越そうと、4人で暮らせるところを探しましたね。


年末の忙しいときに、引っ越しも入って、君も大変だったろうと思います。





荷物が多すぎて、とりあえず空いている部屋にどんどん荷物を押し込んでいったら、住める部屋が一つだけになってしまい、1ヶ月ほど、8畳ぐらいの部屋ひとつに、僕と君たち3人で暮らしていましたね。



あのとき、なんだか僕は、狭いけど楽しくて。



このまま、荷ほどきをしなくてもいいんじゃないかなあと思った。



あの部屋は、オーナーが破産して競売にかけられるというビックリすることが起こり。


しかも新しいオーナーは賃貸ではなく物件を売りたい会社だったので、あっという間にまた引っ越さなければならなくなりました。


あんなこともあるんだねえ。




2年も経たずに引っ越した新しい家では、ああ見えて物怖じしないナナが、不思議そうな顔をして新しい家のなかを歩き回っている中、君とココは、トイレの手洗い場の中に二人ではまりこんでオドオドしていました。


君たちは怖かったんだと思うけど、僕はなんだか微笑ましくて。


洗面台に埋まっている君たちの写真を、何枚も何枚も撮り、君たちから顰蹙を買いました。




新しい事務所にも入り、いろんな仕事をさせていただき、ぼちぼちテレビにも出してもらえるようになりました。




そんな中、今度は僕は、仔猫を3匹保護するためにわざわざ青森まで行って、その子達を家に連れ帰り、また君たちを驚かすことになってしまいます。



正直、君が、あんなにも仔猫たちの面倒を見てくれるとは思わなくて。


もちろん、あんまり気乗りしていなかったのは僕だってわかってるけど、本当にありがたかったなあ。


また、仔猫たちも、誰より君になついていましたね。


あの子たちは今、三人ともとっても幸せにしてるんだってさ。



君のおかげだね。


本当に助かりました。






かと思うと、その数年後に今度はまた、近所からケガしたトラ猫を拾ってきて、本当にこの人は何やってんだと思っただろうなあ。




あいつは『ゴン』という名前なんだけど、結局一度も君にきちんと紹介できなかったねえ。



未だに、あいつがきちんと家族になったとは自信を持って言えないんだ。


見守ってくれるかな。









…。







一年ぐらい前だったかな。寝ていた君が起きあがったとき、コロンと転びました。


僕もビックリしたけど、君も「あれ?」って顔をしていたね。



ネットですぐに調べて、どうやら猫も足がしびれることがあるらしいということがわかり、安心してたんだけど、今考えれば、あのときから君の病気はきっと始まっていたんだね。



君は、たまに足に違和感があるような仕草をする以外は至って元気で食欲もあり、なんともないような毎日を送っていたので、僕もあまり気にしていなかったんだ。




それだけに、君がある日、ふらふらと歩いて、バタンと倒れてしまったとき、僕はもう、天地がひっくり返るぐらいに驚いてしまって。




1日かけて君の検査をしてもらったとき、迎えに行ったら君は、ケースの中で、あちこちの毛を剃られて、ぐったりと横たわっていました。



本当に、君からしたら意味がわからなくて、嫌なことをされたと思うよね。



でも、本当に本当に、君に治ってほしかったんだ。




麻酔からなかなか覚めなくて、朦朧としていた君。


そんな中でも、君の名を呼ぶ僕の声を聞いて、僕の方に向けて手足をバタつかせる、そんな君の様子を見て、涙があふれて止まらなかった。



そんなに辛い思いをさせたあげく。



結局、手術はできない場所だから、投薬で様子を見ましょうという、ピンと来ない回答しか得られなかった。



『マジシャンにならなければよかった』



なんて思うことはないのだけど、あのときばかりは、僕が獣医だったらなあと思いました。


あんなに勉強したことを、君のために使えるなら、マジシャンよりよほど意味があるだろうと。


なんにもできなかった僕を許してください。






祈るような気持ちで毎日、君に嫌な思いをさせながらも薬を飲ませて。



「きっと効く、ぜったい効くからね。

これを飲めば治るからね。」



あれはもう、君にというより、僕に向けた叫びだったように思います。




「薬石効なく」



黒い縁取りのあるハガキでしか見たことがないフレーズですが、本当にその言葉がぴったりくるほど、君は目に見えて痩せていき、僕は、薬を飲ますことだけが上手くなりました。




あの薬、ゴンには劇的に効いたんだよ。




だからきっと、君にも効くさ。





今に、目に見えて、良くなる…


また、僕の膝に飛び乗ってくる…


君をまた、肩に乗せて…










一昨日は、朝から明らかに君の様子がおかしかった。


認めたくなかったけど、お別れの予感を感じていました。



朝から君が舌を出してハアハア言い始め。


あわてて連れていった病院の先生が、沈痛な面持ちで、


「安楽死という選択肢も、考えなければならないかもしれません」



ついにそのワードが出てきたかと思いました。




でも、



「お願いします」



なんて言えなかった。


本当は、その方が君は楽だったのかもしれないのに。


僕のエゴで、どうしても言えなかった。





予定をキャンセルしてもらい、君に付き添うことにしました。


突然あの日だけ、君との思い出が頭の中にどんどん湧いてくるのです。



やめてくれよ、縁起でもない。


きっと、治るんだから。


頭の中が、君との思い出でぐるぐる回っていました。




夜になり、いよいよ君は具合が悪そうで。


手足をバタつかせるようになりました。




もういい。もうたくさんだ。


早く君を楽にしてあげてくれ。




こんなに治ってほしかったのに、そんなことを祈ってしまってごめんね。


無信仰の僕なのに、一体何に対して祈っていたんだろう。


人間なんて勝手なものです。






…。



そして。







ゼイゼイ言って動いていたお腹が段々動かなくなり。



最期に君の黒目が、すうっと大きくなった瞬間を、僕は一生忘れられないと思います。












虹の橋を?


星になった?


天使になった?



なんでもいい。



また会えるならなんでもいい。


君に会いたいです。





次どこに引っ越したら、君は喜んでくれる?


どこでも喜ばないよなあ、なんて話していたじゃないか。


僕を置いていくには、早すぎるじゃないか。







今僕は、君が使っていたワインの箱の前にいます。



段ボール箱だと、ふらついた君が倒してしまうから、重みのある木箱にしたんだよね。



箱からは木の匂いと君の香りがして、なつかしいなんて早すぎるのに、なつかしい気持ちになります。



この中で君は、不自由な体を横たえ、どんなことを考えていたのかな。



体が元気な頃は、毎日僕とココと一緒に寝ていたのに、さみしい思いをさせてしまったよね。




昔からどうも写真映えがしなくて、ブログにあんまり載せることはなかったけど、スマホの中はたくさんの君の写真であふれています。


想い出の香りでむせかえりそうなほどに。






まだ君が小さい頃、君と一緒に寝るときに僕が毎日歌っていたのは、『黒ネコのタンゴ』といいます。


君に赤い首輪がついていたのは、そういう理由です。



あの歌を口ずさんでは、泣いてばかりの情けないパパです。





僕の恋人は黒いネコ。





本当に君は、そんな風に僕と接してくれました。





昨日、冷たくなった君を緑のリュックに寝かせ、サイクリングに出かけましたね。




とっても、とってもいい天気で。





「あ、猫だー」


なんて言ってた子供たちは、君がただ寝ているだけと思ったんだろうなあ。






昨日からやたらに君の妹の白黒ねこが、何もないところを凝視しています。


君が来てくれているの?


だとしたら、とても嬉しいです。




カラダがうまく動かず、もどかしく辛い思いをさせたね。


ゆっくり休んでから、また僕のところに来てください。


イヤかもしれないけど、また、黒ネコのタンゴを踊りましょう。


大好きだったレーザーポインター、いいのを買って用意しておくから、また、グルグル回って僕を笑わせてください。



あ。



フライドチキンの骨は、刺さって危ないから、食べちゃダメなんだぞ。






そして。



たまには夢に会いに来てほしいな。



ちょっと、君が生まれ変わってくるまで、長くなるかもしれないでしょ?




うーん。


たまにと言ったんだけど、訂正させてくれる?


よかったら、今夜会いに来てほしいな。


君のパパは、この数日、いつもにも増してブサイクになっているからかわいそうだろ?


キリッとした顔で仕事ができるように、僕を笑わせに来てください。



よろしくね。







ねえ、ハチ。



僕といて、幸せだった?





僕は。


とっても幸せでした。


君がいてくれて、よかった。





本当に。



本当に。



大好きだったよ。














ねえ。




ハチ。




ハチ。