※今回の記事には、途中でハチの遺体の写真が出てきます。


見るに堪えないとかそういったものではありませんが、苦手な方はこの先を読むことをご遠慮ください。












今回の記事、特に写真をどうするか、最後まで迷ったのですが。



ハチのことを最期まで心配してくださった皆様に、いろいろありのままにお伝えすることにいたしました。


僕自身の備忘録を兼ねたブログですので、大丈夫な方だけお付き合いください。




















つい数ヶ月前まで、何事もなく生活していたハチは、突然如月の前からいなくなってしまった。



妙に冷静に現実を受け入れる瞬間と、全てが嫌になってわめき散らしたくなる瞬間が交互に訪れる、この数日はそんな感じで。



冷静になった瞬間に考えることは、やはり今後のことであった。

つまりは、ハチのなきがらをどうするのかということである。


青森で暮らしている頃、猫の臨終に立ち会ったことはあった。


だけどやはり、その時と今回は全く別で。


うちの親が、猫のその後の手続き、例えば、どこに持っていったら猫を火葬してもらえるかとかを全部手配していたので、如月は何もやることがなかった。

それに、うちの実家の猫は全て動物用の共同墓地に埋葬されているので、遺骨が手元に戻ってくることもない。

今回はそんなわけにはいかない。

物心がついたときにはすでに「いた」猫ではなく、自分で望んで飼った猫が亡くなったわけで、その始末は当然自分でつけなければならない。



調べてみたら、最近は「移動火葬車」というものがあるという。

動物を焼くための設備が備わった車が家に迎えに来てくれて、周りを走り回っている間に火葬をしてくれるらしい。

もちろん、それ自体は悪いことではないし、なんの問題もない。

むしろ、きっとそれは大変便利なものなのだろうけど、聞いた瞬間に思ったのが


「石焼き芋じゃあるまいし」


ということだった。

こういう、瞬間的な違和感はどうしても消えない性分で、やめておこうとなる。


いろいろ探した結果、人間の火葬場の隣にペット用が併設されているところがあり、なんとなくそちらの方にお願いしようと思った。

単なるイメージなのだが、きちんとやっていただけそうな気がした。



火曜の夜にハチが亡くなり。

翌日の午前中までそればかり調べていた。


決まると早いもので。

電話したらすぐに火葬してくれるという。



水曜日は抜けるような青空で。


どうやって現地まで運ぼうかと考えた末に。


ハチと最後のサイクリングをすることにした。

ねこを運ぶための、ハチが病院に行くために何度も利用した緑のリュックにハチを入れる。

いつもと唯一の違いは、魂が抜けてしまったということである。


着いてからハチを入れるための段ボール箱を、たたんで背中にくくりつけて。


涙で景色が滲むサイクリングだった。

ただ、空は本当にきれいだった。



現地についてから、ハチを段ボール箱に移しかえる。















やっぱり、うちの黒ネコには、赤がよく似合う。


ハチは、いつも通り眠っているだけに見えて。

実は、何かの間違いでまだ生きていて、今にも目を覚ますんじゃないか、それなら当然、火葬なんかしちゃダメなんじゃないか、そんな途方もなくバカなことを本気で考えていた。




…検査のために剃られた毛、今にまた生えてくるさなんて言っていたけど、結局それまで間に合わなかったね。




そんなことを考えていたらまた涙が出てきて、なかなか係の人にハチを引き渡せず、きっと困らせただろうと思う。


ヘタレな如月は、立ち会いでお骨あげをする度胸なんかなくて。


肝心なところをあちらにお任せすることとなった。

結局、現実を直視する度胸がなかったのである。


さらに、粉骨といって、お骨をパウダー状にしてもらうことになっていたため、当日はハチと帰ることはできず、2日後に再度迎えにくるということになった。


それだって、いかにも遺骨が返ってきた感を少しでも減らすためのヘタレ対策でしかない。


口では、

「これからこういうことが何度もあるだろうから、少しでもかさを減らしておかないと、置くところがなくなるよね」

なんて、誰も聞いてやしない独り言を言っていたが、


本当に自分の意気地無しさには毎度情けなくなる。


ハチを置いて、その日は火葬場をあとにした。



夜は、なんだかわからなくなるまで、独りでお酒を飲んだ。



ココは、ずっと、付き合ってくれた。