一昨日の夜から、昨晩まで、死んだようになっていた。


というか、死んでお詫びをしなければいけないのではと思っていた。


もちろん故意ではないのだけど、とんでもないことをしてしまったのである。



一昨日の夜は帰宅してから、食事に行くために自転車で再度家を出た。

坂の下のお店なので、自転車で道の左端を走っていたら、刹那、左側の家から何か黒っぽいものが跳び出してきた。

「猫だ!まずい!」と思い、慌ててブレーキを踏んだ。


のだけど。



間に合わなかった。



あまりにも飛び出してきたのが直前過ぎた。

ブレーキを踏んだにも関わらず、如月の自転車の前輪は、猫の背中を思い切り轢いてしまった。

猫の「グェッ」という声が今でも耳に残っていて、柔らかいものを踏んだときの感触がタイヤに残る。

前輪は、完全に猫を踏み越えてしまったのである。


もうパニックだった。



猫は大慌てで元の家にダッシュしていき、消えた。

カラダ中の血が逆流する思いだった。

気が遠くなっていきそうだった。

できる範囲で猫を助ける活動をしているはずが、この手で猫を轢いてしまったのである。


もう食事どころではない。



消えた猫を探すのだが、どこにもいない。


人間の足なら、自転車に踏み越えられても、大したことはないだろう。

だが、相手は、成猫とはいえ、人間とは違って小さな動物である。

走れるんだから大丈夫とかそういうことではない。

最期の力を振り絞っただけかもしれないのである。


取り返しのつかないことをしてしまった。

猫は、家の庭の方に逃げていったように見えたが、さすがに人の敷地に勝手に入ることはできない。

時間も遅かったので、完全に不審者になってしまう。

塀の外から探したが、見つからないので一旦家に戻るしかなかった。


震えが止まらない。

頭が働かないが、一生懸命考えてみる。


如月は、間違いなく猫の背中を自転車で踏み越えてしまった。

当たりどころが悪ければ、猫は無事では済まない。

ただ唯一の救いは、自動車ではなく、自転車であるということだ。

そして、ブレーキをかけて必死で体重を後ろにかけた状態で踏み越えたので、前輪にはこちらの全体重はかかっていないはずだ。

それでなくても、2輪あるわけだから、重さは分散されているはずだ。

そして、本当に一瞬のことだ。

などと、少しでも希望的観測で考える。

だからといって、何も安心はできない。

当たりどころさえよければと、祈るしかなかった。

カラダの震えは全然止まらなかった。



結局、夜中に何度か同じ場所に猫の様子を見に来たのだが。

先程の家のところに、猫がいた。

ココ丸のような、白黒の猫だった。

元気そうに伸びをしている。


冷静に考えてみた。

暗闇でも、白黒とわかるわけだ。

さっきの猫は、少なくとも、黒い何か、という感じだった。

黒か茶色で、どちらかといえば毛が長い猫であった。

今目の前にいるのは、白黒の短毛種である。

これは、如月が轢いてしまったのとは、別の猫だ。

目の前に、のんびり庭に寝ている白黒がいるのだから、この子だと思い込みたかったけど、違うものは違う。

とぼとぼと家に帰った。


翌朝、また見に行ってみるも、やはり該当する猫の姿は見えない。

当たりどころが悪く、どこかで身を隠して苦しんでいるのか、あるいは、もう如月のせいで死んでしまったのか。

暗澹たる気持ちになった。



昨日の仕事が終わって、夜にまた猫を探しに行った。

白黒の猫は、またそこの家にいた。

しかし、黒か茶色の猫はいなかった。



ひとつ覚悟を決めて来ていた。

猫が跳び出してきたところのお宅を訪問して、聞くしかないと思っていた。

急にいなくなった猫はいないか、あるいは、ご近所の猫や野良猫に心当たりはないか。

もしかして、こちらで飼っておられる猫かもしれない。

いきなり変な奴が来て、猫のことを聞いたら嫌がられるかもしれないし、不審に思われるかもしれないけど、もう何度もこちらのお宅の庭を見に来ている時点で充分に不審なのだから、仕方ないと、覚悟を決めた。

人見知りとか、そんなことを言ってられる状況ではない。

散々お宅の前をうろうろして勇気を溜めて、インターフォンを押す。

インターフォン越しに用件を言うと、女性の方がわざわざ玄関まで出てきてくださった。

助かった。こちらのことを、不審者とは思われていないようだ。

最初から警戒されてしまったら話も出来ないので、第一段階はクリアである。


ところがありがたいことに、出てきてくださった女性は、こちらが考えるより遥かに親身に話を聞いてくださった。

「お向かいの猫ちゃんじゃないかしら」とおっしゃってくださる。

なんと、その女性は、如月をお向かいの家まで連れていってくださり、その家の方に、状況を説明してくださったのである。

出てきた女性の方に、また状況を説明する。

ご主人と思われる方も出てきてくださった。

皆さん優しそうな方で、心底ホッとしていたが、肝心の猫がまだ見つかっていない。


お話を聞いてみると、そのお宅が2匹猫を飼っておられて、1匹は白黒ということだ。

如月が見た猫はそれだ。お向かいの家の庭にお邪魔しているところを見たわけだ。


お願いして、もう1匹の猫の写真を見せてもらうことにした。

その家の女性の方は一旦家にお戻りになり、スマホを持って出てきてくださった。

その画像には。



如月がずっと探していた、黒と茶色の間ぐらいで、毛が長めの猫が写っていた。

暗闇だったけど、間違いない、この子だ。



「この子は今、どこにいますか!?」

「うちで普通に元気でいますよ。」

「昨晩から何か変わった様子は!?具合が悪そうとか、どこかかばっているとか。」

「大丈夫です。全くどこも悪くなく、元気にしています。」


この言葉を聞いて、心の闇がようやく晴れていくようだった。



物事には100%はない。

如月がぶつかったのは、別の野良猫という可能性もあるにはある。

ただ、あの猫には見覚えがあった。

生きていた。元気だった。


最初に伺ったお宅の女性は、ずいぶんと如月のことをほめてくださった。

別に如月が悪いわけではないのに、わざわざ猫のことを気にして訪ねて来てくれるなんて、なかなかあることではないとおっしゃってくださった。

どちらかといえば、それをしないと如月の精神衛生上悪すぎるので勇気を振り絞ってやったことなのだが、認めていただいたようでありがたかった。

全く大丈夫そうだけど、何か様子がおかしそうだったらすぐに近所の動物病院に連れていってくださるということで、丁重にご挨拶をしてお別れしてきた。


最初のお宅の奥さまが全面的に協力してくださったのが本当に大きかった。

東京には、ご近所付き合いなんてあまり無いと思っていたが、それはマンションとかの話で、一軒家同士なら、今でもきちんとそういうお付き合いはあるんだなあと、なんだか嬉しくなった。




ということで、一昨日から昨晩まで、生き地獄を味わっていたが、なんとか復活しました。



猫ちゃんが外に出たがる、というのはすごくわかるんだけど、また今回のようなことがあるとも限らないし、そのときに運悪く自動車だったら今度は助からない。

完全室内飼いにしてくれないかなあ…と思った(>_<)

ただ、とにかく、猫が無事で本当に、本当によかった。






家に帰ってから、ココ丸と二人、祝杯をあげたことは、言うまでもない。