田宮さんが亡くなって6年以上が経ちますが、また思い出したことがあったので、書き残しておきます。
彼が亡くなる一年まえでしょうか? 都心の大学病院にお見舞いに行ったことがありました。
お見舞いに行くとわかってると、田宮さんは他の人とバッテイングしないように、もちろん家族の人も、病室には誰もいないようにしてました。
このころは、車椅子には乗っていましたが、まだ緩和ケアが始まる前で、いやはじまってたのかな...? それでも私には普通に見えました。
個室をとって、結構自由な生活をしてるなと思いました。喫煙家の彼はしょっ中、
隠れて、外にタバコを吸いに行ってるみたいでした。
「鎌田、飯食いに行こう。」と誘われたので、昔の編集者と漫画家みたいに病院の外に出ました。ただ私が車椅子を押しているのが、違いますが...
病院の門を出ると、まずいっぷく、一応病院の敷地内では吸わないという礼儀は持ってるみたいでした。交差点を渡ってすぐ近くの中華料理店へ、昼飯時間はとっくに過ぎていたので、ゆっくり食事して、いろんな話をしましたが、病状のことはついに深く聞けませんでした。田宮さんから話してくれるのかなと思っていましたが、性格なのか意地なのか最後まで弱みを見せませんでした。治らない病気だとわかってはいたからでしょうか... 俺に話してもしょうがないと思ったのかな... でも、多分、見舞いに行った人はそれほど多くなく、しかも、自負するわけじゃないけど、気楽に話せる相手は俺ぐらいしかいないと思ったのだけど、泣き顔は見せませんでした。
食事が終わって支払いをするときに、編集者の性(さが)なのか、田宮さんは自分でレシートを取りました。「田宮さん、ここは俺が払うよ。どっちがお見舞いに来たのかわかんないじゃないか」と言ったら照れ笑いしてました。
そうなんです....俺はこうやって、この人に助けられて漫画家になれたんです。たとえ
最終的には、出版会社から金が出ていようが、この人のおおらかな気持ちで、デビューと当時の苦しい時期を乗りきれたと思います。
病院に戻る前、暗くなった門の外で、車のライトが流れるのを見ながら、田宮さんはもう一度タバコを吸いました。俺は車椅子の後ろから、前からずっと言おうと思ってたことを言いました。「タバコやめたら(今からでも遅くないよ)」と。
でも、「...いいんだよ」と返って来ただけでした。 後ろ姿なんで、表情はわからないんだけど...... 今も思い出します。