
デビューして3年目に、私は完全にフリーになりました。それまでは講談社の専属という形で幾らかの契約金を貰い、講談社以外の雑誌には描かないという契約書を取り交わしていたのです。
どうせ物理的にも才能的にも描けないのだからいいのだけれど、私はこれが、嫌で、嫌で、しようがなかった。なんか準社員みたいな、中途半端な感じで、編集部に原稿を持っていっても、ヤングマガジンの編集部内では歓迎されていても、他の編集部を通る時、お前はどこの誰だ?という感じで見られるのがとても嫌だった。
しかし、フリーになっても、はたして他の出版社から声がかかるのか?.......
ヤングマガジンの田宮さんは、漫画の欄外に私の連絡先を「ヤングマガジンの気付け」から、当時の住所に替えてくれました。つまり、私がフリーになった事を公にしてくれたのです。(こういうところにも田宮さんには感謝するところ大です)
一番先に連絡をしてくれたのが、双葉社の「アクション」でした。担当は小山氏、そして松尾氏、この二人には漫画の作り方を一から教わり直したという感じです。
ネームの作り方は、1ページ目から最後まで、人に話して聞かせるように、実際に言葉にして作ることを学びました。重要なセリフはその場で完成させました。頭の中で、18ページの原稿がほとんど出来上がってしまうのです。どんなに眠くても、最後のシーンまで打ち合わせは終わりません。当時,週刊だったので、筆の遅い私は四日間の作画と二日間のネームで回していました。
小山氏は自腹を切って資料を集めてくれました。松尾氏は編集長と戦ってくれました。
この二人にも、感謝してもし切れませんまん。 松尾氏は一昨年この世を去りました。彼も早すぎる死でした。漫画のために身を削った編集者の一人です。
小山氏は引退し、たまに連絡をとっています。