先週末は3連休

お天気は今ひとつだったのだけど

 

日曜の朝

夫が不意に思いついて

ゴッホの家に行かないか?と提案

 

そこはパリから車で40分ぐらい

 

パリに来て間もなかった27年ほど前に

私は友人たちと電車で来たことがあるのだけど

 

夫は来たことなかったらしい

娘も一緒に行くというので

3人でふらっと出掛けてみた

 

確か

思ったより質素で

すぐに見終わってしまった覚えがあり

 

場所も

駅を出てすぐに行けるのだけど

郵便局以外に何もなかったような記憶が。

 

 

久しぶりに来たその辺りは

見覚えがないぐらい色々と出来ていて

なんとなく新しい

 

 

これがゴッホが最期を過ごした

ホテル兼レストラン

右上に見える、小さな灯り取りのある窓の部屋だと思う。

彼が亡くなったお部屋。

 

 

下のレストランは生憎とお休みだったのだけど

今も営業しておりランチもカフェも出来るらしい

 

ゴッホが定席にしていた席も再現してあります。

 

 

レストランを通り過ぎ

右に折れて裏の入り口へ向かいます

 

この大きな家も関係あるのかと思ったら

普通に誰かの家だった。

 

こんなにひっきりなしに

観光客が来るところと隣接して

自分の家があると

落ち着かないなあ。私なら。

 

 

 

この階段は出口になります。

 

 

入り口にはゴッホの生涯が紹介されているのだけど

若い頃は教職や、神父さんの学校に入ってたり

してたことを知りちょっとビックリ。

 

 

 

ゴッホの部屋は7平米しかない部屋で

今でも薄暗い気配が残ってて

 

亡くなった後は

縁起の悪い部屋として

誰にも貸せなかったらしい

 

 

畑で銃身自殺を試みて

死にきれずこの部屋まで歩いて帰り

約2日後に亡くなるなんて

痛くて苦しかっただろうなあ。

 

レストランから歩いて10分ぐらいのところに

お墓もあるというので行ってみたのだけど

 

お墓へ行くまでの道は

畑が広がっていて

本当に田舎な感じ

 

普通の墓地の、

それもよく見ないと気が付かないような

左側の隅に

そのお墓がありました。

 

生涯ずーっと生活の援助をしてくれていた

弟のテオと一緒に。

 

夫が家に戻って調べたら

ゴッホが亡くなった1年後に

 

弟も亡くなったらしい。

 

 

お墓はカエデの葉っぱに覆われて

下の墓石が全然見えない

 

ところどころにあるヒマワリは造花。

 

 
お墓を後にしながら
考えていたのは
弟のテオのこと。
 
今でこそ
ゴッホは有名になってるけど
 
生存中は働くこともなく
弟に生計を助けてもらい
絵の道具もお金がかかっただろう
 
自分の家族に
こんなお兄ちゃんがいたら
結構大変だっただろうなということ。
 
お兄ちゃんは37歳で自殺し
自分は34歳で死んじゃうなんて
 
ちょっと悲しい人生だなって
ぼーっと考えてました
 
こんなこと
27年前には思いもしなかった
 
家族なんて
100年前のその頃も
今の時代も
 
感じる幸せやら
抱える問題の本質って
変わらないのかもしれない。
 
そんなことを考えちゃったプチ観光でした。
 
ここはパリから列車でも1時間ちょっと。
ゴッホや田舎が好きな方にはオススメです。