2 0 0 7 年を振り返る | 恵の演出メモ

恵の演出メモ

マグダレーナの情報源

1 月。今年は正月早々から第一回サンポート演劇フリーダム参加の「郵配達・・・・」の稽古に入った。これまでの週3 日の稽古ではとうていいつかず連夜の稽古が続いた。出演者は疲労困憊していただろうがそれも懸命に応えてくれ、アマチュアとしてはこれまでにないジャンルに怯ことなく挑んでくれ、確かな成果をもたらしたと思う。 2 月。2 月初の公演が終わると休むまもなく、次は岡山演劇祭での「祭子・・・」の稽古が待っていた。公演日まで1 0 日ほどしかなかったがこれは前年秋に公演していたので復習しながらの稽古だった。私はそれ平行しながら劇団エルダーキャッツの台本を仕上げなければならない。回は仁尾の医者 中村恭安という実在の人物だけに資料探しが大変で、成したのは2 月の終わりだった。エルダーキャッツの役者にとっては初ての時代劇なので稽古期間も十分に取りたかったが遅れに遅れてしまた。 初めての岡山での公演だったが十分な手ごたえを得て帰ってきた。 3 月。6 月のアーツフェスタには前半にマグダレーナの「沈黙のオモニ後半にエルダーキャッツ「いもがさ恭安」と2 本の公演を抱え, 更に8 には昨年末から検討していた8 . 1 5 戦争体験を語り継ぐ会の公演があその台本も作らねばならない。何を題材に選ぶか。思案するが全く思いかばない。 4 月。エルダーキャッツは立ち稽古にはいったが遅々として進まない。リフ量がこれまでよりはるかに多いのと時代劇特有の所作が大変なのだマグダレーナの稽古も同時に開始する。慰安婦を描いた韓国の作家の長詩を全て覚え自分の言葉として伝えることにした。何ページもある詩をえるのは大変だが、やはり間違ってはいなかった。台本を読むのとではるきり伝わり方が違うのだ。 当初は詩だけで構成するつもりだったが、この慰安婦問題がアメリカの会で可決された事でにわかに慰安婦バッシングが展開され、連日メディを賑わせはじめた。 このまま詩だけの暗誦ではインパクトが薄いと判断し劇構成に変えるとにした。 5 月。公演まで1 月しかない。

マグダレーナ、エルダーキャッツとも