CS進出をかけた楽天戦。
先発今井達也が踏ん張れない。。
「たっちゃん、頑張れ!!」
何度も何度もそう叫んでも、届かない無念さ。
東北だから、
遠いから、
そういった物理的な問題は当然あるのだが、
「新型コロナ」で現地に出向いたファンも思うように動けない。
今まで通りの青炎は送れない。
チャンステーマも、
フラッグもない、
ライオンズにはそもそも、そこからして不利なシーズンであった。
「今井、やればできる子」
私はずっと信じている。
これからも、ずっと、ずっと。
ライオンズが「投手王国」と言われる柱の1本は、
間違いなく、たっちゃん、
あなただと思っていますよ。
その応援の声が届かない無念さに、
ただただ涙が出た。
今井のピッチングでCSの希望が絶たれる寸前になってしまったからではない。
怒りはこれっぽっちもなかった。
声が届かない、想いが届かない。
そして、
無念の降板の今井達也本人の気持ちを思い図ると、
ただただ涙が止まらなかった。
辻監督の愛情に溢れた苦悩を思うと、、、、
また涙。
何なんだ、
全てコロナのせいなのか?
やっぱり、
その場に行って、
声を出して、
言葉にしなければ届かない想いがある。
SNSでどんな素晴らしい言葉を並べても、
伝えきれない。
私はなんて無力なんだ、と思った。
それは親友のお父さんが亡くなった知らせが届いた日でもあった。
親友はメールで知らせてきた。
お互いに声を聞いたら、
きっときっと、
電話口でふたりして泣いているだけ、
鼻水をすする音だけが延々と交わされるだけだろう。
だから、
私もメールで返そうと。
スマホを握り、
文字を選び、
文にしていくが、
どんな言葉を選んでも、
多分、親友の心は救ってやれないのだと感じる。
頑張れと言うしかないのだが、
頑張れと言われて頑張れたら苦労しない。
頑張れないから、
どうしたらいいのかわからないから、
悩み苦しみ、
誰かに救いを求めるのだから。
救いを求められても、
100%満足がいく対応なんか、
きっと私には、いつも、大抵できていない。
それでも、
救いを求めてきた親友に、
私は一体何をしてあげたらよいのか、
どんな言葉をかけてあげたらよいのか、
本当にわからなかった。
だから、
私も名古屋で私が今できることを一生懸命頑張るからと、返信をした。
代わりになってあげたり、
なかったことにしたり、
時間を巻き戻したり、
そんなことができる魔法は私にはないのだから。
私も頑張っているよ、と、
だから、
辛い時に、ひとりじゃないと思い出して、と。
ハジさんの、
「人生は素晴らしい物語」のYouTubeも一緒に転送した。
正解かはわからないけど、
「ひとりじゃない」と伝わっていて欲しい。