私の愛猫ピーチが亡くなりました。
2019年5月26日3時48分。

ピーチと私の出会いは、moco先生が引き合わせてくれたのが始まりです。
ピーチは伊豆の砂浜で一匹で一生懸命生きていて、姿はダニやノミにやられ皮膚がボロボロ。そんなピーチちゃんは自らの限界を感じ、暑い砂浜を一生懸命moco先生の後を追い助けを求め、保護したのが始まりです。(当時の名前ビーチちゃん)

私は里親サイトでピーチを見つけ、譲渡を願い出たのです。お見合いの時ピーチは怒っていて私の手を噛みました。勿論血が出ました。その時心から感じ、思ったのです「この子には私しかいない!」と。当時生後5ヶ月だったピーチは、我が家の家族になりました。(2011年10月の頃)

先住のりんごちゃんと1歳年下のピーチ。
私にとってはすごく早い死でした。
この間8歳になったばかりです。

昨年2018年7月頃から首回りの脱毛が気になり始め咳も頻繁にしていました。
喘息のような症状になり、病院でレントゲンを撮ったら肺がだいぶ白くなっていたので「気管支炎」と判断されたのです。アレルギー物質となるダニ等を取り除くよう言われ、家の大掃除をして、部屋は1日2回の掃除に増やし、とても気を使っていました。それでも苦しそうな咳は治りません。そして最後までステロイドと気管支拡張剤を毎日飲み続けました。(10ヶ月間)
3ヶ月前のレントゲン

最後の日は夜、急変するまでは、
いつもの様にご飯を食べ...いつもの場所で休み...変わらなく過ごしていました。
なのに...なんで...。

5月25日夜中23時を過ぎた頃から肺の機能が弱り自発呼吸が困難になりました。苦しそうにし病院の受付に着いた時には心臓が止まったのです。

心臓マッサージをし、緊急処置がみるみる行われ、心臓だけが戻ってきました。意識もなく自発呼吸もできないピーちゃん。喉につながれた酸素の管に点滴姿。身体には注射を何度もさした切り傷と縫い後。
「完治は無いけど酸素を送れば生きていられる...。」
無理やり戻してしまった事を少し後悔し、そして考える時間を下さった獣医師に感謝を述べ「ピーチを楽にして下さい」と精一杯の想いと、言葉でお願いしました。

もっと生きていて欲しかった...。
ピーチの大好きなレタスとお花だよ

私にとってとても早い死だった。

moco先生との出会いを作ってくれたピーちゃん。先生との出会いでボランティアを始めるきっかけになった。
ピーチは私の人生を大きく動かしたんだ...そう気付かされた。
それでも、私にとってピーチの死はとても早い。

どんなに励まされても、どんな優しい言葉も、今はいらない。まだ何も考えられない。
ただただ、一人の時に、ピーチとの過ごした日々を思い出し悲しみに浸っていたい。

仏壇を作った。
この、現実を突き付けられる様な仏壇をずっと見ていたい。
だから、今はそれだけでいい...。


ピーちゃん...あいしてる...

ピーちゃん...会いたいよ...