昨夜来、テレビが新潟・福島の「記録的豪雨」の被害状況を伝えています。
差し出されたマイクに向かって「棒のように降った」と答える住民の表現が生々しく実感がこもっていると思いました。
ある日突然、激しく揺れた後、大津波に追いまくられて寒空の中を命からがら生き延びて、その後も余震が続く中、放射能の恐怖に怯えながらの生活を5カ月近く送ることを余儀なくされているというのに、政府に見放されたも同然の扱いを受けている被災地に情け容赦なく追い打ちかける「自然」という脅威。
2004年(平成16年)に起きた
中越地震によって大きな被害が出た新潟県と東日本大震災の被災地である福島県を狙い撃ちでもするかのように襲う「自然」に対する憤りとともに、なすすべなく呆然と立ち尽くすしかない自分に無力感を覚えるばかりです。
これ以上の被害拡大がないことを心から祈ります。
私が住む大阪が、このような「自然」に襲われたらどうなることでしょうか?恐ろしさに震えてしまいます。
自然の要塞(六甲山系や生駒山系に囲まれ、瀬戸内海に面するという地理的好条件)に守られていると言われる大阪ですが、自然災害の被害とは決して無縁ではありません。
日本の多くの大都市がそうであるように、大阪の大部分は、太古からの河川の氾濫で土砂が堆積した土地の上に位置しています。人々は、そんな土地に集まって営々と自分たちの生活基盤を築いてきたのです。河川改修やダムの建設などで治水対策も進められてきましたが、決して盤石な地盤に成り立っているとは言えません。
ここ半世紀を振り返っただけでも、伊勢湾台風(1959年・昭和34年)や第2室戸台風(1961年・昭和36年)などで大きな被害が出ました。当時は高度経済成長期にあって、工業用水として地下水が大量に利用されたため、特に大阪市域での地盤沈下が著しく、いわゆる海抜ゼロメートル地帯が深刻な問題となっていました。
今から40年以上前の昭和42年(1967年)7月には、当時私が住んでいた家も床下浸水の被害に遭いました。いわゆる「
北摂豪雨」と呼ばれるものですが、夜中にゴーゴーという音がするので、当時高校生で翌日の期末テストの勉強(俗にいう一夜漬け)をしていた私は、カッパを羽織って豪雨の中を音のする方向に向かいました。そこで目にしたのは、阪急京都線の線路敷きの土砂が流出して線路が宙づりになった下を、土砂混じりの大量の濁流が流れているという信じられない光景でした。
不幸中の幸い、私の知る限り私の住む地域では、床上床下浸水の被害はあったものの、人的被害はなかったように思います。そして、翌日の高校生活初の期末テストが延期になったことも私にとってはラッキーでした。ただし、1日延期されただけで束の間の幸福に終わりましたが…。
「北摂豪雨」は、「千里ニュータウン」の開発や「
日本万国博覧会」会場の造成で千里丘陵の竹林が大規模に切り拓かれたことによって、自然の保水力が急激に減少したことが被害を大きくした原因だったと、(当時の被災者の一人である)私は考えています。
日本初の大規模ニュータウンの開発やアジアで最初の万国博覧会の開催(1970年・昭和45年開催)を最優先にして、河川改修などの対策を後回しにしたことが、大きな被害に見舞われる要因となったと思うのです。
人間の都合で「自然」に荒々しく手を加える。その結果として「自然」からしっぺ返しを受けたとも言えるでしょう。
今年3月に東日本大震災が起きた直後、小松左京のSF小説「日本沈没」が私の脳裏に浮かびました。
この作品については映画化もされてご存知の方も多いと思うので内容は省略しますが、この作品の中では、
日本の総理大臣は苦悩と葛藤に苛まれつつ、
一丸となった多くの人々の協力を得て必死でリーダーシップを発揮します。
私は現実の日本でも、てっきりそれと同じような展開が見られるのかなと期待しました。
しかし、期待は大きく裏切られてしまいました。
まさかここまで…これでは典型的な「人災」ではないか!
私にとっては「想定外」でした。
小松左京氏は先日お亡くなりになりましたが、千里万博のプロデューサーも務められた同氏も似たような想いを抱いて逝かれたのではないかと想像してしまいます。
情けないことですが、自分の身は自分で守るという基本に戻るしかありません。
「自然」は優しい反面、情け容赦ない凶暴なものと認識することが大事だと思います。
昔から「災害は忘れた頃にやって来る」と言われますが、最近は「災害は忘れる前にやって来る」と言わざるを得ません。
普段から、何事が起きるかはわからない、何が起きてもおかしくないとの心構えだけでも持ちましょう。
無力感を必死に打ち消して。

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