マハカム河のほとりで ~インドネシア熱帯雨林滞在記~ -2ページ目

メッカ巡礼者を空港に出迎える人たち、メッカの巡礼

『メッカ巡礼者を空港に出迎える人たち』 

 7月19日、来客を迎えにバリクパパン空港へ行った。何時もは閑散としている空港前の駐車場が、カラフルな布をボディに巻きつけた車で埋まっていた。やむなく場外に駐車した。

 迎えにきた定期便は遅れているのに臨時便がつぎつぎと到着し、その度に、白装束をして頭に環帯をはめた、メッカ巡礼の旅を終えた人たちが姿を現す。その度に、出迎えの家族や信者が歓声をあげながら一斉に出口に殺到し、帰国者をもみくちゃにしている。年老いた巡礼者を抱き締め頬を寄せ付け泣いている老婦人。抱き上げられて泣き出す幼児。記念撮影をする人たちの列。広場はすさまじいどよめきで、動き出す車の警笛も聞こえない。「メッカに行くには金がかかるのだろう」と、熱心なイスラム教徒のベニイに聞いてみた。「金をためて、一生に一度のメッカ巡礼を楽しみにしている人もいるが、モスク(イスラム教の寺院)信者たちが金を出しあって代表を送り出しているのだ」という。

 数年前、メッカで、押し掛けた群衆が多数トンネル内で死んだ。今年は、巡礼者を乗せた航空機が墜落するという痛ましい事故が起きた。この熱狂的な出迎えの光景は、旅の不安を超越したメッカ巡礼の意味を見せ付けているように思えた。(サマリンダの人口の9割がイスラム教で、昨年の事故で2人が死亡した)

 再びベニイが言う。「わたしも、5人の子供を育て終えたら、メッカに行きたい」


『メッカの巡礼』

 世界中で9億の信者がいるイスラム教は、仏教、キリスト教とともに3大宗教の一つ。唯一永遠の神アッラーに最初の啓示を受けたマホメットが、彼の生地であるサウジアラビアのメッカで布教を開始した。信者は信仰の中心に5つの「基」をおいている。それは、礼拝、告白、断食、喜捨、巡礼である。わが家のメイドたちも、毎日5回、淋浴とメッカに向かっての礼拝を欠かさない。研究所でも、職員の勤務を中断しての礼拝と、毎年4月ころ1か月の断食には配慮がなされている。


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24人の妻を娶った王

 シリワンギ(菩提樹)の大樹の繁る、ここスマトラ島のブルバ村に、230年間もこの地を支配してきた、王族の屋敷と墓がある。その屋敷--高床式で船形をした王家の寝室の隣に、地方の豪族から献上させた24人の妻たちの寝台がある。ほの暗い土間に、妻たちの使った木製の水瓶、石の摺り鉢などが配置されている。王は、各地から献上させた24人の妻たちに子を胎ませ、その子らを地方の領主にした精力絶倫の政治家。



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演習林で山火事発生!

 7月21日、演習林の石炭火災の現地調査に来ていた畑専門家、サマリンダの炭鉱に三菱鉱山から派遣されて来ているKさんほかキタジンの6名の炭鉱マン、Oさんとジャマールと私の全部で10名は、近くの食堂で昼食をとった。日曜日に調査をお願いしたので食事代は私のおごり。この心掛けが、今にして思えば幸運だった。食事を終えて事務所に戻る途中、演習林近くの道路脇で黒煙が上がり野火が起きていた。何時も見慣れている焼畑の火ではない、演習林が燃えている!。とても消せそうにない大きさに火が広がっていた。その時、「いまなら消せるぞ!」と2号車のHさんの大声が聞こえた。3台の車から全員が飛び降り現場まで走った。Oさんは車を運転して消火器を事務所まで取りに戻った。みんなは熱と煙をあびながら、木の枝で炎を叩いた。背丈の低い枯れ草の火は消えたが、樹木の幹を高く這い上がった火は猛烈に熱く叩いても消えない。もう駄目だと諦めていたとき消火器2個が届いた。手に負えなかった2箇所の猛火が、消化剤噴射の数秒後に消えた。歓声が上がった。残り火のことを考え、ポリタンクで水を運び、散水してから帰路についた。

 石炭火災を見に行き、山火事を消すことの出来た幸運な日曜日であった。



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演習林で地下の石炭が燃えている

 大学演習林(ブキットスハルト)では、15箇所ほどで地下の石炭層が自然発火して燃え続けている。伐採や道路工事など人手の入らない熱帯林は、乾季でも高い湿度を保ち焚木をしても燃えにくいが、破壊された森林は乾燥し山火事が起きやすい。

 1991年には、ほぼ10年ぶりの早魃に見舞われた。乾季が長引き異常乾燥が続き、各所で野火が起きた。演習林でも、雨季には下火だった炭層の火が火力を強め、周辺の林に延焼をはじめた。チームは試験木を守るため研究所の職員と一緒に出動し、防火線を切ったり、背負い式ポンプで水をかけたりして消化にあたった。

 こうした防火態勢をとる一方、ジャカルタのJICA事務局に石炭火の対策を求めた。その頃、教育省からも国広駐イ大使にも要請があったらしく、スマトラに派遣されている鉱山技師の畑専門家がサマリンダへ来てくれた。その彼から、つぎの説明があった。

 この地域の石炭は、日本に比べ生成の歴史が浅く、このため可燃性ガスの発生量が多い。乾季は雨がなく日射が強まり地温が高くなると容易に自然発火する。この付近の炭層は、1-5メートルの厚さのもの、多いところでは10層にもなり地形に沿い走っている。これを消火するには、炭脈のボーリングによる探査が必要である。また、地下の石灰火災を消す基本的な考えは、空気の遮断と冷却であるという。消火法としては、つぎの4つが考えられる。すなわち(1)ショベルカーで燃料部分を除去する。(2)冷却剤で発火温度以下に下げる。(3)水没させ空気を遮断する。(4)セメントなどの充填材料を流し込む。

 以上の消火方法のうち、多額の費用のかからないのは水没と除去だが、この2つとも過去にチームで試みたが失敗している。他の2つ、冷却剤とセメントの使用は、森林生態系に異物を持ち込むことで攪乱が起こる恐れがあり、好ましくないと事務所に伝えた。このため、炭層火災に対する直接の消火作業は行なわれなかったが、研究所の職員が力を合わせて、発火口周辺の樹木に延焼しないよう草刈や枝条整理に努めたため、森林火災を10ヘクタールにおさえることができた。

 演習林内の森林火災は、10年前の大山火事の後で発見されたので、このときに引火したという人がいるが、畑専門家によると、種火がなくても自然発火は容易に起こるということがある。あの騒ぎの後も、演習林内の石炭火災の現場では、陥没穴から真っ赤な炎が吹き上がっており、ここを訪れる人達を驚かしている。



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ダヤック族(ボルネオ島の踊りと衣装)

 サマリンダでは、式典や会議の後でダヤック族の衣装を身に着けた若い男女による踊りが披露される場合が多い。踊り子たちは、サイチョウなどの鮮やかな色彩の羽根のついた帽子をかぶり、動物の歯や嘴で手首や胸を飾り、赤(血の色、勇敢)や黒(大地)の布地にきらびやかな刺繍を施した衣装をまとい、剣と楯をふりかざし戦の模様を踊りで再現する。

 インドネシアでは島ごとに種族と言語を異にするといわれている。これら種族は独自の生活習慣、衣装や踊りを引き継ぎ、さまざまな分野で同族の存在と結束をアッピールしている。



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