何のための闘争か。
健太郎はいつも考えていた。
共産党はその暴力の鉾先を対権力闘争に関する限り五年も前に
収めていた。
しかし全学連主流派の先鋭な部分は暴力への志向を目指し執拗に追求しつつあった。
マルクス主義の文献から自分の情念に都合の良いところだけ抜き出してそれを闘争に繋ぎ合わせようとする行きかたに対してである。
しかし、暴力は許せねえ。
健太郎が北大二年の時であった。
大体からして「純粋性」とか「徹底性」という言葉を彼らはよく使った。そしてそれらが彼らの目指す「革命」の理念語となていることが健太郎にはもうひとつよく分からなかった。
ところがある日、デモに参加して機動隊にぼこぼこに頭を殴られてから考えが一気に変わった。
国家権力という体制の正体を身をもって知った瞬間だった。
それから一年後、米帝国主義に従属するわが国家権力がまさに新条約を締結しようとする時期が迫っていた。
健太郎はそのさなかに全学連委員長に就任したのである。