能登半島地震で被災を体験しました(後編) | 似顔絵・イラスト・商用マンガ・手書きチラシ「ちょりいworks」

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この記事を書いている間にも、度々余震があります。
私も子供たちも不安な状態の中、記憶や感情がぼやけないうちにこれを書いています。


被災後、避難所近くの駐車場の車の中で一晩を過ごしました。

 

 

 

 

SNSで情報を取ろうとしましたが、携帯の電波がつながりにくくて、ほとんど役に立ちません。
たまーにつながる時があるので、普段使っているFacebookにも無事であることだけ投稿しておきました。
地震の情報は車内のテレビをずっとつけていました。

 

 

地震直後にX(旧Twitter)に投稿したコメント欄は知り合いからの「よかった」コメントがたくさん入っていました。
その中に門前町に親戚・家族がいる方から、門前町の被害状況や、家族・親戚の安否確認ができないか?というコメントが何件が入っていました。
実は町といえども、門前町ってかなり範囲が広いのです。
住所も「門前町〇〇」という住所がたくさんあります。

電波がつながりにくい中、
わかる範囲での被害状況や避難場所などを返信しましたが、
安否の確認まではできない旨を伝えました。


ただ、おひとりご近所の方のお孫さんが祖父母の無事を知りたいというコメントがありました。
DMでお名前をうかがって、母親にこの人無事だったかわかる?ってショートメールで聞いてみました。
母が、「その人なら「おばあちゃん大丈夫だったよ」とその家の息子が言っていたよ」との事だったので、そのことを伝えました。

 

 

 

その日は寒かったですが、快晴で星が綺麗に見えました。

車内でウトウトとしながらも、明日は帰れるだろうか。
どの道が通れるだろうか。両親はどうしようか。
先のことが全く見えない中、
まず、明日どうするか。
そんな事をずっと考えていました。

とにかく、道路の状況が知りたかったのですが、
テレビでは全く情報が取れませんでした。


SNSに私が投稿した記事に入った励ましのコメントを何回も眺めました。
返信はできませんでしたが、不安な気持ちの中で勇気づけられました。
この場を借りてありがとうを伝えたいです。

 

 

 

朝、七時ごろにようやく空が明るくなってきました。

とりあえず、金沢へ帰ってみよう。
無理だったら引き返すしかない。
旦那とそう話し合いました。

母と弟に今後のことを相談するため、
ひとり、商店街の通りを歩いて向かいます。

明るくなって、商店街の通りを見渡すと、
1階が完全に潰れている建物、
倒れかかった電柱、歪んで傾いたお店
それらが一望できました。

 

 

17年前の門前町大地震でも同じ光景を見ました。
やっと綺麗に建て直して、復興できたのに。
またここからなのか・・・。
虚しい気持ちになりました。


避難所では暖房もなく、みんな支給された毛布にくるまって
雑魚寝をしたそうです。
母は寒くてあまり眠れなかったと言っていました。

とにかく、ここにいても仕方がない。
私たちは金沢へ帰ってみる。
お母さんたちも家から必要なものを持って
金沢の家に行った方がよい。
そういう話になりました。

※両親には金沢市にも家があります。
(本当の私の実家は↑です。)
能登の家は今は亡き祖父母の家で、
田んぼや畑の管理のために、
金沢と能登の2拠点生活をしています。

 

能登と金沢を通るルートは大まかに言うと3本あります。

一つは「のと里山海道」という自動車専用道路。
最短で行ける道です。
ここは確実に地割れ等で通行できないだろうと思いました。
実際道路が分断されていて通行どめになっていました。

もう一つは石川県の左側の海沿いを走る下道。
震源地でもある志賀町を通る道です。
津波警報も発令中の中、海沿いの道は危険すぎる。
震源地を通過しなくてはいけない。
ほぼ通るのは無理だろうと判断しました。

残るのは、石川県の右側、穴水→七尾→羽咋を通る道。

 

私たちが帰ってきた時に通ったルート

 

 

 

穴水まで続く道は集落がいくつか点在する山道を走ります。
道路のひび割れや土砂崩れもありましたが、
車の底を擦るのを覚悟でなんとか通る事ができそうな感じでした。

 

道路に段差ができているところでは、
いつ置かれたのでしょうか?
数個の土嚢が置いてあり、そこを通って進めました。

 

かなりひどい段差ができた場所もありましたが、
集落の人たちが、土嚢や年末に積もって残っている雪を
シャベル掘り出して埋めてくださっていました。


自分たちも被災しているだろうに、
通行する車のために動いてくれているのです。

向かい側からやってきた車がいたので、
運転手に聞くと、穴水から来たとの事。
穴水までは行けそうだと判断しました。

 

 

穴水のお店が集中している大きな交差点になんとか着きました。
消防署の周りにたくさんの一般車が停まっています。
どうやら避難所になっているようでした。


何か食料をもらえないかと立ち寄ってみました。
カップうどん・カップそばを二人に一つもらえるとの事。
その場でカセットコンロで沸かしたお湯を入れてもらえました。

 

朝、8時前に出発して、この時点で10時ごろでしたでしょうか。
昨夜チョコレートを2つほど食べて以来の食事です。
子供と分け合って食べました。
温かくて、美味しかった。
少しホッとしました。


この辺りで私の携帯電話(docomo)の電波が繋がるようになってきました。
以降、両親や弟、金沢にいる兄と連絡を取りつつ金沢へ帰宅します。

 

旦那が周りにいる人たちに
ここから先の道は通れそうか聞き回っていました。
ほとんどの人がここから七尾周りで金沢まで行きたいが
どうしようか迷っているようでした。

そこに、NTTの電気搭載車のトラックが停まっているのが見えました。
トラックの運転手に聞くと、金沢から七尾周りで4時間かけてここまで来たとか。(通常2時間程度)
道はそこまでひどくない。と教えてくれました。
これなら帰れそうです。

 

 

七尾までの道は確かにひび割れ等もありましたが、
門前町→穴水の道よりはマシな感じでした。
土砂崩れで完全に塞がれた道もありましたが
土砂を片側だけ取り除いてあったり、
分断された道路は迂回路があったり、
すでに段差を簡易的に埋める工事も始まっていました(早い!)

長男が工事をしている人にすれ違いざま、
車の窓を開けて、「ありがとうございます!」
と声をかけていました。
めちゃえらい!いい子!
褒めてあげました。


途中、開店しているコンビニを発見!
ここの辺りは電気が来ているようでした。
店内は床に割れた瓶等が散乱していましたが、
そこに近づかないようにして、お菓子をひとり一つと
ペットボトルのジュースを買いました。
これで少しお腹を満たすことができました。
お店の片付けや自分の家の事は後回しにしてでも
開店してくれたお店のオーナーさんに感謝。

ここで少し大きめの余震を感じました。
 

 

そして七尾市に到着。
そこからは大渋滞!
全く進みません。
金沢へ帰る道がこれ一本しかないので当然です。
みんな能登を脱出する車です。
もちろん1車線しかない道路。
対向車線も渋滞しています。


七尾市を抜けるだけで、1〜2時間かかった気がします。

渋滞の中、大阪や愛知の消防車や、
自衛隊の装甲車とすれ違いました。
県外からこんなに早く来てくれている。
きっと昨日の夜に出発したんだろう。
頑張ってください。
心の中で応援しました。

 

七尾市を抜けて、そこからの道はほとんど段差がなく
時折渋滞もありましたが、スムーズに走ることができました。

宝達志水町で公衆トイレを見つけました。
水が通っていました。
やっと水が流せるトイレを使えた!
そう思いました。

 

 

 

金沢に近づくにつれ、
倒壊した家や道路のひび割れも少なくなってきました。

ここまできて、少し心に余裕ができてきたのか、
ああ、私たちは被災したんだ。
そんな事を思いました。


怪我もなく、命もあった。
本当に良かった。
なんだか泣きそうな気持ちでした。

 


安心したのか、お腹がすいてきました。

羽咋市で開店しているコンビニを見つけ、
おにぎりと唐揚げを買いました。
おいしいね、よかったねと言いながら食べました。


金沢の家に到着しました。
午後4時到着。
出発してから8時間。
義母が泣きながら子供達を抱きしめてくれました。

 

(車のガソリンですが、被災後から金沢到着までで、減ったのは一メモりでした!さすがハイブリッド!)

 

その後、避難所で別れた両親は、
弟と一緒に無事に金沢の家に着いたと
午後5時過ぎごろ連絡がありました。

金沢の私の住む地域は、道路が少し崩れた箇所がいくつか
ありましたが、電気も水も通っていました。

すぐにお風呂を沸かして入りました。
1日車内で過ごして硬くなった身体がほぐれていくようでした。

 



終わりに。

今回の震災の被害状況が2週間経った今
まだ全てわかっていません。
安否の確認できない方がまだまだいます。

正直、石川県でこのような地震が来るとは思っていませんでした。
昔から、北陸は地震の少ない地域です。
台風などの災害もほとんど経験がなく、
北陸は災害が少なくて安全。くらいに思っていました。
私自身、完全に油断していたと思ってます。

子供達はあれから怖がっていて、
家の中ですら一人で行動ができません。
子供達のケアをしながら過ごしています。

 


私達家族は能登で被災しました。
被災した身ではありますが、
今、能登で被災して避難生活をしている人たちに、
何か手助けをしてあげたい。
でも被災した私に何ができるのか。
だからこそできることがあるのではないのか。
そんな事を今は考えています。

能登半島地震で被災した地域の復興を願うとともに、
亡くなられた方のご冥福をお祈ります。

 

 

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