こんにちはurahaです。
今日は天気が良いので
そこそこ暖かいですね。
今回は結構毒を吐いています。
苦手な方はご遠慮下さい。
私は40を過ぎてから空手に再挑戦したのですが
その人生で2つ目の流派の私の通っていた道場では
・・・?
(なんで?全く自由組手の稽古をしないんだ?)
聞くところでは他の道場ではしているようなのです。
自由組手の大会に出ることは強く勧めるし
昇級審査には毎回自由組手があります。
昇段審査に至っては100kg超えの長野県最強のフルコン選手も基立ちに立つのです。
このフルコン選手は
流派の代表が
全国大会のオファーを
本人にも先生にも無断で勝手に流派として断らなければ
他流派であるS極真の全日本チャンピオンになってた可能性が高い化け物です。
普段は優しく礼儀正しい方でしたが
昇段審査の基立ち組手は
親の受験を見学に来た子が号泣するくらい苛烈なモノでした。
にも拘らず私の週3で習っている道場稽古では全く自由組手をやらないどころか
スパーリングやマススパー、当て込み稽古すら何年たってもやらないのです。
入門当初は、知らなかった型を覚えるのが面白かったです。
しかし・・・
私の通う道場の道場長は昔
他流派であるK式空手の自由組手元全日本チャンピオンだったのですが
私より7~8歳若いせいか型があまり好きでないらしく
動きはぎこちなくうろ覚えのようで
たまに手本を打つと2回に1回は間違えてたまに子供に指摘されています。
(空手の型に情熱があるわけではないのか?
ではなんで?)
普段、指導は少年指導員に丸投げして自分は威張り散らしているだけなのです。
段々と
(無責任にも程がある。
組手稽古しないで、してる人と自由組手させて死んだらどうする?
型はもういいからそろそろ組手稽古もやろうぜ!)
と思うようになってきました。
結局車で通うのに片道1時間以上掛かりはしましたが
私個人は運良く
八ヶ岳を望む本部道場にいらっしゃる
流派の創始者である達人の先生に気に入られ
超貴重な組手指導を長期間に渡り受けれたおかげで
私なりに上達し
ぶっちぎりの最高齢にもかかわらず
流派の自由組手一般部チャンピオンにもなれたので満足していました。
しかし
道場長から本部に行くことを禁止されたのです・・・
先生は元々カリスマ性が凄いのですが
コーチングを学んでいらして指導も見事でした。
そんな先生の指導を直に受けていたので
指導に興味が無かったというか
(この道場長のもとで正指導員になったら人生詰んじゃうな。)
と思っていた私の指導力もなかなか上がっていたようです。
感じの良い少年指導員は大学進学と同時に他県の道場に移っていたので
道場長は今度は一般稽古生の私に指導を丸投げしていたのです。
後で聞いたところでは
先生は
「今の道場をurahaさんに任せてお前は新規開拓をしなさい。」
と指示したのだそうです。
先生のそのお気持ちは本当にうれしいですが
私は道場長のような人に雇われるのは
まっぴらごめん
なのです。
ある時道場長は何の脈絡もなく
「ふざけるな!俺が苦労して作った道場だ。俺のものだ!」
と遠くから横目でにらみながら叫んでいましたが
そういう事だったのですね。
正指導員なる人もいたのですが
彼女は金払いが良いだけの
その場基本も息が上がって最後までやりきれないくらい動けない人で
小学校低学年の子供達がこっそりモノマネをして笑いものにしているレベルでした。
「「上段上げ受けは目よりも上よ!」
って言いながら***さんの受けは目よりも低いんだよー
あはははははは・・・。」
子供は良く観察していますね。
しかし彼女は動けない分大声で子供達を怒鳴ることで立場を主張します。
2人とも威張り散らすばかりでコーチングの欠片もやるつもりが無いようでした。
「私の指導が口が悪いのは最高師範である道場長の指導法を受け継いでいるんだ。
この私の指導がこの流派の正式な指導なんだ。」
と子供たちの前で宣言してしまっていたくらいです。
それが仮に本当に流派の正式な指導だったとしても
正式とかそんなもんに子供たちが価値を感じると思っているのでしょうか?
それでいて
本音は利権を狙っているだけのようで
「私の方が最高師範より指導が上手い。」
などと陰では言っているのです。
彼女は道場利権を手に入れるため
あることない事を流派の最高師範である道場長に吹き込み
いくつかの道場の指導員を辞めさせているようでした。
というか100人超えの稽古生が彼女の巡回指導で逃げ出したと思います。
逃げ出した原因が元の指導員にあるように匂わせたようなのです。
ある稽古生が道場長におばさんの指導へのクレームを直訴したり
他の稽古生が稽古中におばさんへの不満を口走ったり
色々ありましたが
道場長は聞く耳を持ちませんでした。
どうしてこのようなおばさんを道場長が本部などでほめちぎっているのか?
謎でした。
恐らく彼女がNPO法人を通さずオーナー一家に直に落とす
一般稽古生の月謝何十人分の
長男の毎月の寮費のこともあったようですが
私に道場を乗っ取られないようにするためでもあったんでしょうね。
そんな心配いらなかったのに。
はした金のために信用ならない人間に雇われるほど
愚かな生き方はありません。
そもそも(この流派の利権は馬の目の前につるした人参だ)
と前から思っていました。
どれだけお金をつぎ込み続けても
どれだけ無償で労働力を提供し続けても
はなから利権をくれる気など微塵もないと思われます。
くれる気があったら道場責任者になれる条件が
明文化され公開されているはずです。
桜の名所で有名な土地で夫婦というか家族で力を合わせて必死に頑張り
破竹の勢いで稽古生を増やしていたO支部長が
枝から幹になるためのかなり無理目らしい条件を
あと1人でクリアーするという時でした。
この空手流派はネットワークビジネスの建前を取っていたのです。
「あいつが枝から幹になってしまったら一時的に俺の収入が減ってしまう。
どうすれば?どうすれば阻止できるんだ?」
ある日道場で流派の代表理事でもある道場長が
大声で喚き散らしていたのです。
数日後
「O支部長は型を一ヶ所間違えて指導していたので由々しき事態と考え
支部長資格を取り上げた。」
とあたかも先生のお考えであるかのように発表がありました。
O支部長は独り失踪し
一家は離散しました。
そしてどさくさに紛れて枝から幹になる条件が
ほぼ不可能なレベルに引き上げられたそうです。
空手流派としてもネットワークビジネスとしても
機能不全になったようですね。
権威主義者のおばさんは
権威の目の前でだけ媚びりさえすれば
あとは何をやっても通用させてもらえるという
安易な甘えを持っているのだと思います。
権威依存症なのだと思います。
依存症の時点で不幸への切符を手にしていますが
せめてその権威がどんな奴なのか?
よく見た方が良いのでは?
一方
そういう問題行動の多い権威主義者を
表面的とはいえ優遇してしまう類のダメな権威は
権威依存症に依存する共依存症だと考えられるでしょう。
どちらも自立出来ていないのです。
一般に道場責任者に要求されているのは
このおばさんのような口汚い支配欲だけの危険人物達を
きっちり管理
もしくは排除して
子供達に安全安心真っ当に成長できる場を提供する能力です。
口が悪いだけのおばさん一派の勢いに飲み込まれて
管理できないでいる自分を胡麻化すため
誰も訊いていないのにそんな変な人物達を褒めて回るのは
ストックホルム症候群でしょう。
稽古生は強くなるために自分のために月謝を払って通っているのです。
社長が、給料を払っている従業員の労働力を評価するように
流派経営側の人間が、稽古生の奉仕を評価するのは
ビジネスマンとしても勘違いしているダメな間抜*です。
稽古生の上達に貢献出来ない流派なら
ダメな流派だと判断し皆去っていくだけです。
去った子供たちが
「払った月謝と俺の時間を返せ。」
と唾を吐かなかったのは
子供たちが品が良かっただけです。
先生気取りで威張ることだけが目的で
稽古生の成長に貢献する気のない
そんな大人たちのわがままを聞く義務など
どこにも無いのです。
勘違いにも程があります。
稽古後には何十人といる道場の全稽古生が私とだけ握手するために一列に並び
私の隣で正座して握手を待つ最高師範である道場長と正指導員の前には
一人も並ばないという事態が
半年ほど続いた頃
道場長はどうやら自由組手をせずに
子供たちの前で私に勝つ妙案を思いついたようですよ。
約束組手の手本を
私が攻撃技、道場長が受け返し技でやって見せている時のことです。
中段追い突きVS中段外受け一本返し*になった時
「じゃあこれは当て込みで」
と道場長が言い出したのです。
(やれやれまた変な事言い出したな)
一般的に中段追い突きは実戦では使われません。
試合で使っている人を見たことがありません。
練習専用の技と言えます。
見えやすいうえに時間がかかる技のため
空手の攻撃技で最も受け返ししやすい攻撃技だからです。
大人の黒帯と子供のオレンジ帯位の実力差が無いと当たらないでしょう。
(道場長の考えそうなことだな。
自分は無傷で一方的に殴ろうってか?)
しかし私は追い突きには自信がありました。
一番大きく動くこの突きを実戦で使えるレベルまで仕上げれば
刻み付きや逆突きは物凄く速く重い突きになると考え
徹底的に稽古したからです。
私は征遠鎮という型で追い足のコツを掴みました。
フルコン寄りのこの流派で
私の追い突きのスピードと威力は桁が違うという自負がありました。
一般的には中段追い突きは命中しても大して効かないものです。
しかし私は私より10kgwi以上重いゴリマッチョのフルコン選手の分厚い胸板を
3割の威力で突いても効かせられました。
(この道場長の現在の実力では100%当たってしまうな。)
と直感したのです。
私は実力とは稽古量のことだと信じていたからです。
命中するイメージがリアルに視えていました。
しかし
(子供達が殺伐とした空気を感じ取って怖がったら可哀想だ。)
と思い直し
(まあこの人の返しの中段逆突き位もらってやっても散らせるだろう。)
と判断して
ゆっくりと追い突きしてあげたのです。
この流派のこの約束組手では受け手は本来横に跳んでよけるのですが
道場長は返しが届かないほど大きく大きく後方に飛び退きました。
(私のスピードを念のためチェックしたか。)
私の手加減した中段追い突きを体感しすっかり安心したのでしょう。
道場長は高笑いをしながら
「そんなゆっくりじゃ
意味ねえんだよ!
一拍子で並列運動なので道場長はすぐには認知出来ません。
また ”道場長が指示し私が受け取る”というフレームに
私が終了条件を与えていないので
道場長は一瞬カタレプシーにも陥っています。
言語覚、視覚、体性感覚、とモーダルチャネル切り替えも時間が掛かります。
(追い突き来た)と認識しても
言い終わりは息を吐ききって気が抜けているので
身体もすぐには動き出せません。
本物の武道家は臨戦状態でべらべら喋ったりはしないものです。
油断したら勝てるわけ無いのです。
敵を知らず己を知らざれば百戦して百戦危うし
本物の武道家が最重要視する所でしょう。
礼法はそのためにもあるのだと思います。
「礼儀は思いやりを形にしたものだ。」
と先生は良く仰っていました。
相手を思いやるという事は
相手を良く知るという事だと思います。
そして私は
稽古とは
自分を良く知るという事だと思います。
無礼は油断、油断は弱さなのです。
相手を侮り自分をうぬぼれていたら必敗するでしょう。
道場長は遅れるべくして二重三重に出遅れましたが
それでも中段追い突きは移動が長く上段追い突きより軌道が見えるものなので
何とか当たる寸前でよけ始めました。
しかし私はもう当てるイメージがリアルに視えていたので
追跡型に切り替え水月に命中させました。
道場長は流派の基本である差し拳が出来ていなかったので
簡単に急所を捉えました。
道場長の
(しまった!)
というポニーテールの髭面が見えました。
発勁100%で突いてのたうち回らせても良い状況でしたが
見ている子供達がトラウマになっては可愛そうなので
10%くらいに手加減したのです。
「何当ててんだこらあ!!」
(やれやれ負けるべくして負けておいてこの言いぐさか。)
危険を感じるセンサーの鈍さに呆れました。
本人は自分の事を
「ザ武道家」
などと触れ回っていましたが
危険感知のセンスが無かったら武道家になるのは
諦めた方が身のためだと思います。
長生きできません。
私がその気になったら何時でも殴り*せる位実力差があることは
たった今、証明したのです。
間合いを確保してなお私の中段追い突きすらよけれない人が
私の他の実戦用の攻撃技がよけられるはずもないのです。
そもそも当て込みでと言っておいて当てられると怒るというのは
権威主義者特有の甘えです。
ぼくはかたがきあるんだからかたしてくれなきゃいけないんだじょ
という意味ですか?
彼は本部の年越し稽古で年に一度だけ
先生の前で自由組手をさせられます。
普段は咄嗟に組手をさせられそうになっても断れるように
空手の道着を決して着ようとせず
居酒屋の店員のような黒い作務衣を愛用していました。
その二年稽古で
腰の低い生真面目な10代の本部指導員のハイキックをよけれず
顔面に当て止めしてもらった際にも
「何蹴ってんだこらあ!!」
と怒鳴りつけたそうです。
本来なら泡を吹いて気絶するか4ぬところを
手加減してもらっておいてこの言い草です。
気絶していたら最高師範や七段を恥ずかしくて辞任しなければならないのを
助けてもらっているのです。
まともな武道家ならば
別室に呼んで
自らお茶を淹れ
正座をして
「強くなりましたね。
これからは二人での組手は控えましょう。」
と神妙に言うところです。
それを・・・
チンピラみたいな・・・
「俺のバックを誰だと思ってんだ!」ってか? 格好悪い。
その本部指導員は当時10代でしたが
大変に高度な組手を自分で考えて実践していました。
パッと見
若くてマッチョで蹴りが高く上がり素早いステップと一体化しているので
そりゃ強いだろうと誰でも感じますが
彼の強さの本質はもっと深いものがありました。
相手に認知科学的な盲点(スコトーマ)を作るようにして
そこに蹴りを放り込むので
相手にとって見えない蹴りになっているのです。
こういう若者は流派の宝です。
武道界の宝だと思います。
親に権威を与えられただけの**とその取り巻き連中が潰さないよう
流派のまともな方々が気を配って下さることを
勝手ながら祈っています。
それに比べ道場長は・・・
どうやら嫌々期のまま誰かに成長を止められているようですね。
強くなる気も人を育てる気も無いのなら道場に来なければ良いのです。
最高師範も宗家代行も七段も道場長も辞退して
家で流派の代表理事としてハーレーと通帳の数字だけ眺めていれば
稽古生にはさほど迷惑が掛からないのに。
先生も先生の優秀なお弟子さん達もいるのだから
空手の指導は丸投げして
道場長は空手から手を引くこと。
それで皆(道場長も含めて)幸せになれるのでは?
下手に空手家のフリをしに道場に来るから敵が増え命の危険が増えるのです。
大体もはや実力も落ち空手家のフリも楽しくないでしょう?
怖いだけでしょう?
面倒くさいだけでしょう?
誰の手前引っ込みがつかないのです?
私は腕組みをして平然と道場長の目を見下ろしました。
(子供達の前で悪人に屈する所を見せたら教育上悪い。)
と考えたのです。
そもそも道場長がやろうとしたことは
稽古のふりをした
暴力です。
指導のふりをした
イジメです。
もし私の実力が低ければ
殺人事件
になる可能性だってあったのです。
(道場長は武道教育に携わってはいけない人間だ!)
と思いました。
私の方が強かったから
私が実力で彼の犯罪からの被害をゼロに出来ただけで
彼がやった事は立派な犯罪ですよね。
私は若い頃に習いに行っていた流派で
先生にノールールでフルボッ*にされるような組手もしましたが
感謝こそすれ恨んだことなどありません。
そこには私を成長させたい
という心があったからです。
一方
この道場長がやったことは結果私はノーダメージでしたが
犯罪だと感じます。
そこには自分の満足のために卑怯な手口で私を痛めつけたい
という心があったからです。
(掛かってきたら、正当防衛でのばしちまおう。)
私は怒っていたのです。
道場長は怒鳴っても通用しないことが分かると目を逸らし
大人しくなりました。
道場長は流派のオーナーの一人息子なので
流派の代表理事で
最高師範で
宗家代行で
七段で
先生の雇い主側でした。
親のお金で沢山のみせかけの権威をプレゼントされていました。
というか
ニートだった彼をニートでないように見せかけるために
彼の親が、彼にわがままをさせるために創った流派だったのです。
社会に適応できない息子のために
息子に適応したスモールワールドを創った。
それがこの空手流派だったのです。
看板に空手とは書いてありませんがね。
この流派は彼の為の大きなゆりかごだったのです。
誤解するよう仕組まれていたとはいえ
私はまんまと先生の興した流派だと勘違いしていたのです。
(意固地になって私が居続けて先生に迷惑が掛かってもなんだしな。)
と考えました。
道場長は空手をやったことの無い親から七段位を授かっていましたが
若い頃
K式空手の大会で自由組手全日本チャンピオンになったにも関わらず
先生に不安定な強さを認めてもらえず
実は先生からは何と
白帯しかもらっていない
のだそうです。
ちなみに当時の先生は白帯か黒帯の2種類しか出していなかったのだそうです。
日本一になっても黒帯をくれない先生に腹を立てた彼は
一度黙って先生のもとを去っていました。
しかし一度は就職したものの単身赴任を命じられ
親から離れたくない彼は辞めてしまったそうです。
ニートになってしまったのです。
と本人が時々道場で独り言をわめき散らして暴露していました。
おそらく
白帯の分際で流派を立ち上げるなどという
先生をなめきった彼の流派を
先生が潰しに来ることを恐れたのでしょう。
しかたなく
あらかじめ先生を創始者宗家として雇う
というか
みかじめ料を払い続ける
という手をうったのではないでしょうか?
「荒ぶる神も
祠に招き入れて封じ込め供物を捧げ続ければ
守り神として使えるぞ。」
と誰かから知恵を授けられたのでしょう。
バガボンドにも出て来た古い手口ですね。
これは私の勝手な想像にすぎませんが
もし道場長が覚悟を持って自分の流派として活動を始めていたら
いったいどうなっていたか?
ある日突然先生はふらっと訪ねて来て
黒帯と祝いの黒生を置いて行ったのではないでしょうか?
そんな気がするのです。
「俺は流派を立ち上げてからずーっと独りぼっちだった。
誰も仲間になってくれなかった。」
とも言っていました。
それはそうです。
イチローのモノマネ芸を練習している人と
イチロー選手を目指して野球の練習や試合をしている人は
同じ道を歩む仲間でしょうか?
彼は先生の髪型や髭、趣味など完コピを目指していました。
(よっぽど先生のことが好きなんだな。)
と私は勘違いしていました。
しかし彼は実は未だに黒帯をくれないままの
恐らくは一生黒帯をくれない先生を恨んでいるのです。
(では何故?髪型や髭、趣味に至るまでそっくりコピーしていたのだろう?)
彼は情報(じょう・ほう)操作&情報(じょう・ほう)遮断に入れ込んでいました。
「自分は嘘はついていない。
本当のことの一部を黙っていたら
周りが勝手に騙されたただけだ。」
が口癖でした。
じょう ほう格差にお金が流れるという”ケリーの第2基準”を信じているようで
流派名も
そんなペテン師のような意味を込め
順序を操作し、漢字を変えて
本当の意味を遮断し見えなくした名前を付けていました。
さらにそんなふざけた名前を先生にも名乗らせるほどなめてましたが
結局手間暇お金かけて隠した秘密も書き換えた情報も
道場で泣き叫んで自分でばらしてしまうので無駄なのです。
泣くほどストレスなら正直に生き、素直に空手を楽しめば良いのに。
他者評価を欲しがって優秀に見せかけることをやめれば良いのに。
偽物になるための努力をやめ本物になるための努力を始めれば良いのに。
”他人に迷惑をかけた分だけ自分が得をする。”
道場長やその一味はそんなセコい信念を信じすぎなのです。
”ピザが一枚しかない教”
の信者なのです。
ピザはいくらでも焼いて増やせばよいのです。
ビジネスの才能が無い人とある人の差はそこだと思います。
ビジネスの才能がある人は
きれいごとではなく
本当に貢献感を大事にしているのではないでしょうか?
どれだけ噓が上手でも誰からも必要とされない人に
いつまでもお金は流れないと思いますよ。
道場長の親(空手はやったことがないがオーナー)は道場長に七段を授けた時
同時に先生には九段を授けました。
九段?
❓??く・だ・ん?
宗家創始者を名乗って頂いておいて
何故十段で無いのだろう?
そんな中途半端な段位を失礼な!
何のために十段を取っておいているのだろう?
将来誰かさんが十段を名乗るのは何のためだろう?
インチキ段位で勝つことで溜飲が下がるのですか?
もし仮に
30年後の稽古生たちにとって
先生の存在が全く見えなくなっていて
先生に向けられていた尊敬が
別の誰かさんに向けられていたように
上手にすりかえられてたとしても
それが何だというのでしょう?
偽物として完成したところで
どこまで行っても所詮本物ではないのです。
偽物は必ず偽物とばれます。
というか最初からばれているモノです。
直伝講習などで先生や他の師範が喋っていると
子供達は熱心に聞き入り時にゲラゲラ笑ったりしていますよね。
ところが
道場長が一言無難なことを喋ったとたんに
シラーっと白け気温が下がったかのようになります。
子供達のほとんどは道場長のことはろくに知らないはずです。
私や先生や他の師範の方々や指導員の方々の様に
道場長の人間性の低さを知り尽くしてはいないはずです。
それでも注目を集めた途端にばれてしまうモノなのです。
普通の神経では耐えられないと思います。
恐らく頭の中で現実を書き換えることがデフォルトになっているのでしょう。
情報遮断し情報操作することで
自分の心を護って生きてきたのでしょう。
本物と偽物を上手にすり替えても
本物が手にしていた色々を偽物が手にすることなど出来ないのです。
結局本物として生きるしか本物になる手はないのでしょう。
そもそも(周囲に本物だと思ってもらいたい)がGOALな人は
その時点で偽物なのだと思います。
そして本物の影響を綺麗に消し去ることも出来ないでしょう。
先生は肩書があるから皆から敬愛されているのではありません。
私は先生が宗家創始者とか九段とか最高顧問などの肩書が無かったとしても
敬愛していたでしょう。
多くの弟子は同じだと思われます。
実力もさることながら
弟子たちの成長が心からの楽しみで
弟子たちの成長に全力で貢献される方だから敬愛されているのです。
実力や貢献無しに肩書コレクションだけ増やしていっても
今も昔も
この先も
未来永劫変わらずタダの晒し者のままです。
醜い生きざまのまま人の上に立ったら晒し者になるのは当然のことです。
そんな無意味な復讐ごっこに一度しかない人生を使い果たして
タダの徒労だと私は思うのです。
先生のDNAは確実に優秀なお弟子さんたちに受け継がれているのです。
一体どのタイミングで復讐するつもりなのか?
先生に怯えている彼は先生がご存命のうちには復讐できないでしょう。
そのとき誰を代替品として復讐し溜飲を下げるつもりなのか?
「証拠はどこにあるんだ?」
悪人の決まり文句ですね。
私は刑事でも検事でもない。
ただの稽古生だった者なので悪事の証拠集めに興味はありません。
しかし
道場長は数々の悪事は全て冤罪だと
一つ一つ証明する必要があるのです。
それを怠ったら
この先今までのようには生きれないでしょう。
世間は法廷ではありません。
推定無罪がまかり通るような甘い場所では無いのです。
そもそも冤罪では無いので証明は偽装するしかありません。
そんなのいくら金をつぎ込んでも無理でしょう。
そんなことより心を入れ替えて
稽古生の成長に貢献したら?
それはそんなに嫌な生き方なのでしょうか?
愚かで弱い生き方なのでしょうか?
道場長が持っている利口な人、強い人のイメージが歪んでいるのでは?
稽古生の上達に貢献出来ること
それは私はとても幸せな生き方だと思いますよ。
試しにやってみたらどうですか?
道場長は
白帯据え置きのことをずーっと根に持っているため
せめて自分の道場からは先生に認められた黒帯は絶対に出したくないという
わだかまりを持っているようでした。
また”不労収入”という言葉にも憑りつかれていて
それを拡大解釈し
自分は他者に給料も指導も強さも黒帯も何も与えず
他者からは自分は月謝や労働力や自己犠牲を得よう
としていました。
この道場長がやっていたことは例えれば
進学塾を名乗っておきながら
一般塾生には受験勉強を教えることなく
適当なアルバイトの学生をあてがって
読み書きそろばんの基礎を繰り返させるだけで
頑張ってこいと受験に送り出すような事です。
一方で元々天才肌の合格確実な子にだけ
一握りの優秀な講師陣が付きっきりで受験対策をし
一流大学に合格させ塾の実績として窓に貼り出すような事です。
そして一般塾生には
「君は努力が足りなかったね。
この先も志望校に受かるまでこの塾で面倒を見ますよ。」
と言い放つような事です。
まあほとんどの塾は実際こんな感じでしょうが。
一流大学に受かる客寄せパンダ以外は
三流大学に進まれるよりなるべく多く浪人にした方が
ビジネスとして優秀なモデルなわけですからね。
結局ビジネスマン気取りのやることは中身が空っぽなのです。
そんな道場長から
実力で黒帯をむしり取って自尊心を満足させた私は
程無く流派を去りました。
私を可愛がってくださった先生には合わす顔が無かったので
挨拶もせずに辞めてしまい本当に申し訳無く思っています。
本当にありがとうございました。
私が指導していたクラスの子達のことは心残りでしたが
(この道場にいるような人間性の低い大人は
現在のPTAにも将来の会社にもいくらでもいるものだ。)
そう割り切りました。
結局
私が辞めて2週間ほどで
何十人といた稽古生はほぼ全員退会したそうです。
正直安堵しました。
一人残った子は自分のGOALイメージをリアルに持っている子だったので
大丈夫でしょう。
この流派には空手を学ぶつもりで入ったのですが
本当に学んだのは
依存症と共依存症の恐ろしさでした。
本来彼は、白帯でありながら
高度なK式空手で全日本を取るほど
可能性に満ちた人間だったのです。
「俺さあ、天才って嫌いなんだよな。
ろくに学びもしないうちから出来る様になっちまって
日本一になったら空手をゴミの様に捨てちまう。
蜜柑の皮だけ食って身を捨てちまうような
そんな薄っぺらい奴
大っ嫌いなんだよ。」
先生から初めて聞かされたとき
私は正直
(先生のような天才に天才と呼ばれるなんて羨ましいな。いったい誰なんだろう?)
などと見当違いなことを考えていました。
今はそれが誰の事か良く分かりますし先生の仰る通り薄っぺらだと思います。
とは言え若い頃は確かに天才だったのでしょう。
立派な実績を上げています。
しかし今は・・・
親の歪んだ愛?で
どれほど選民意識に縛られ貢献感を感じられない人生になるか
どれほど肩書コレクションばかりで中身が空っぽのさらし者になるか
どれほど強がるばかりで覚悟の無い、恐怖で一杯の人生になるか
自分の課題を他人任せにして成長が止まってしまうか
結果不安と不満で一杯になるか
これでは病まない方が無理というものです。
後年アドラー心理学を学ぶ私にとって
オーナーと道場長の親子は見事な反面教師だったのです。
私が教わったアドラーではこのような親子関係を
一種の虐待と考えるそうです。
子供の自由な可能性を奪っているからです。
そして親の方から
(!親子関係に問題があるせいで子供が外の社会に適応できないんだ。)
と気づかないと
子供の方からは中々難しいものがあります。
実際40過ぎても気づけていません。
そして自立もまずは親からです。
親から共依存を克服したいものです。
薬物依存が薬物無しでは生きていけないように
共依存の親は依存症の子供無しでは生きていけません。
だからと言って子供をいくつになっても依存症のままキープしたいって?
親が子供からの評価を欲しがって
いつまでも子供の”人生のタスク”を解決してたら
子供は歳を取っても自立出来ません。
自立するための勇気がくじかれるのです。
いつまでも親から能無し扱いされているわけですから。
「**ちゃんは何もしなくていいのよ。ママとパパが何とかするわ。」
は
「**ちゃんは無能だから何かしちゃダメよ。」
と言っているのと同じです。
40過ぎてその扱いは痛いでしょ。
せめて”痛い”と感じられるように育てなかったらダメでしょ。
親は”嫌われる勇気”を持って
”課題の分離”をする必要があります。
子育てのGOALは子供の自立です。
もし彼が親から経済的にも精神的にも自立出来ていたら
ちゃんと外で苦労を味わうことができ
遥かに有意義な納得の行く地に足の着いた人生だったのではないのか?
蜜柑の身を味わえる人生だったのではないか?
少なくとも目も笑っている笑顔ができる人生だったでしょうね。
馬*息子を甘やかすためにだけ作った流派など
社会から見れば迷惑でしかありません。
正直この世から消えて欲しいです。
「こんな弱い流派の宗家なんてうっかり引き受けちまって
俺は恥ずかしくてもう他流派の先生方の集まりに出ていかれない。
俺は一体どうしたらいいんだ?」
先生も嘆かれておりました。
恐らく他流派の先生方がこの流派の実態を知ったら
存在しているだけで営業妨害だと感じるでしょう。
空手業界全体の評判を地に落とすからです。
潰すために道場破りに来ることは十分考えられます。
空手界の未来のためと言う大義大義名分がありますし
何と言っても代表理事の空手の実力が弱すぎるので
他流派から見たら赤子の手をひねるようなものでしょう。
そういった意味でも
オーナーさん夫婦が息子のために創った
キャッシュフローシステムであるこの流派は
護真_どころか逆に
あなた方の息子を命の危険にさらしているのです。
オーナーさんもここらで気づかないと
孫はもっと危険なことになることは
誰の目にも明らかです。
先生や先生の優秀なお弟子さん達が去った時
今最高師範の周りでおべんちゃらを言っている取り巻き連中は
最高師範と孫をどう扱うでしょうか?
彼らの狙いは執権政治でしょう。
力なきトップは力のある部下の
傀儡として生かされることになるでしょう。
逆らえるだけの実力が孫にあるでしょうか?
本当に子育て自分育ての参考になりました。
何が問題なのかさっぱり視えなかった私の家族の問題。
その克服したい問題点を鮮明に視せてくれたのです。
嫌われる勇気をもって課題の分離をし
家族の依存共依存体質を克服し
お互いの自立に向けて勇気づけする。
お互いに感謝する。
そう気づいたのです。
私にとっては実りの多い学びの場になりました。
今現在稽古相手もいませんが
私の強くなる楽しみは
実は
あれ程
(もういいよ。)
と思っていた
空手の型だったりするのです。
面白いものですね。