こんにちはurahaです。

 

今日は天気が良いので

 

そこそこ暖かいですね。

 

今回は結構毒を吐いています。

 

苦手な方はご遠慮下さい。

 

 

 

 

 

 

「稽古生をなめてるのか?

 

 それとも空手をなめてるのか?

 

 どっちなんだ!?」

 

その場には流派の師範や指導員がほぼ全員そろっていました。

 

茶帯の私が怒鳴りつけていたのは7段の最高師範・・・

 

 

私は40を過ぎてから空手に再挑戦したのですが

 

その人生で2つ目の流派の私の通っていた道場では

 

・・・?

 

(なんで?全く自由組手の稽古をしないんだ?)

 

聞くところでは他の道場ではしているようなのです。

 

自由組手の大会に出ることは強く勧めるし

 

昇級審査には毎回自由組手があります。

 

昇段審査に至っては100kg超えの長野県最強のフルコン選手も基立ちに立つのです。

 

このフルコン選手は

 

流派の代表理事が

 

全国大会のオファーを

 

本人にも先生にも無断で勝手に流派として断らなければ

 

他流派であるS極真の全日本チャンピオンになってた可能性が高い化け物です。

 

普段は優しく礼儀正しい方でしたが

 

昇段審査の基立ち組手は

 

親の受験を見学に来た子が号泣するくらい苛烈なモノでした。

 

 

にも拘らず私の週3で習っている道場の稽古では全く自由組手をやらないどころか

 

スパーリングやマススパー、当て込み稽古すら何年たってもやらないのです。

 

 

入門当初は、知らなかった型を覚えるのが面白かったです。

 

しかし・・・

 

 

私の通う道場の道場長は昔

 

他流派の当てる伝統派であるK式空手の自由組手元全日本チャンピオンだった

 

つまり日本一の空手家の一人だったのですが

 

私より7~8歳若いせいか型があまり好きでないらしく

 

動きはぎこちなくうろ覚えのようで

 

たまに手本を打つと2回に1回は間違えてたまに子供に指摘されています。

 

(空手の型に情熱があるわけではないのか?

 

ではなんで?)

 

普段、指導は少年指導員に丸投げして自分は威張り散らしているだけなのです。

 

段々と

 

(無責任にも程がある。

 

組手稽古しないで、してる人と自由組手させて死んだらどうする?

 

型はもういいからそろそろ組手稽古もやろうぜ!)

 

と思うようになってきました。

 

 

 

結局車で通うのに片道1時間以上掛かりはしましたが

 

私個人は運良く

 

八ヶ岳を望む本部道場にいらっしゃる

 

流派の宗家創始者である達人の先生に気に入られ

 

超貴重な組手指導を長期間に渡り受けれたおかげで

 

私なりに上達し

 

ぶっちぎりの最高齢にもかかわらず

 

流派の一般部自由組手に出場し

 

(本来はマスタークラスという名の壮年部に出場する歳なのですが

 

 出場者が少なくて一般部に組み込まれたのでした。)

 

優勝出来たのです。

 

私は本来、勝負よりも上達に重点を置いているのですが

 

ひとまずは一般部自由組手チャンピオンになったことに

 

満足していました。

 

しかし

 

 

 

 

 

道場長から本部に行くことを禁止されたのです・・・

 

 

 

 

 

 

先生は元々カリスマ性が凄いのですが

 

コーチングを学んでいらして指導も見事でした。

 

そんな先生の指導を直に受けていたので

 

指導に興味が無かったというか

 

(この道場長のもとで正指導員になったら人生詰んじゃうな。

 

 それだけは避けなければ・・・)

 

と思っていた私の指導力もなかなか上がっていたようです。

 

 

感じの良い少年指導員は大学進学と同時に他県の道場に移ってました。

 

実を云うと彼は大学進学と同時に空手を辞めたがっていましたが

 

道場長は子供達と保護者に大人気の彼を決して逃がしはしませんでした。

 

道場長はこの少年指導員に重度の依存症の様でした。

 

指導の苦手な道場長は、まだ小学生だった彼に指導を丸投げして

 

何年間もずーっと依存していたのです。

 

それを時々大っぴらに説教したりして

 

周りには彼に指導稽古を付けている様に見せかけていたのです。

 

彼を絶対に逃がさないために

 

進学先の町に予め道場を開き集客まで済ませていました。

 

「皆お前の指導を楽しみに集まってくれたんだぞ。」

 

道場長がやっていることは

 

”善意の搾取”

 

と呼ばれるものです。

 

善人の彼は断り切れませんでした。

 

 

道場長が自分で自慢げにしゃべりまくっていたのです。

 

 

 

そんなわけで道場長は今度は一般稽古生の私に指導を丸投げしていたのです。

 

とは言え彼は私の指導力を認めていたわけではないでしょうね。

 

大人気の少年指導員が去った後に当然予想される稽古生の激減で

 

自分が宗家先生に怒られるのが嫌だったのだと思います。

 

私をスケープゴートにしたいだけなのだろうと思っていました。

 

しかし

 

(宗家先生の期待には応えたいな。)

 

と思ったので指導をしてみたのです。

 

道場長の予想に反して半年たっても稽古生は一人も減りませんでした。

 

大人気少年指導員ロスは特に無かったと判断した道場長は

 

「あなたはもう指導しなくていいです。」

 

突然何の脈絡もなく半分怒ったように切り出しました。

 

子供たちへの指導は大変楽しいモノでしたが

 

私は正指導員になることは嫌だったのでホッとして自分の稽古に戻りました。

 

そして道場長と正指導員のおばさんの二人体制で指導するようになったのです。

 

1ヶ月もしないうちに稽古生が半減しました。

 

 

「どうしてあなたは指導をしないのですか!?」

 

唐突に道場長が半分怒ったように切り出しました。

 

ほとほとあきれましたが

 

子供たちへの指導は好きなので

 

又、指導を始めました。

 

と言っても私の指導は先生の指導と同じで

 

自分の稽古を背中で見せる事を中心に

 

稽古生に質問をするモノなので

 

自分の稽古も指導もさほど変わらないのです。

 

一方道場長やおばさんの指導は

 

自分は稽古せず

 

ふんぞり返りながら稽古生の周りをうろうろ歩いて

 

ヒステリックにダメ出しをするというシロモノでした。

 

正解を定めダメ出しする事こそが指導であり

 

先生に習った私のやっているコーチングは指導ではないと

 

2人は主張しましたが

 

無視しました。

 

 

 

私が指導するようになると稽古生の減少はピタッと止まりました。

 

 

しかし道場長は色々と面白くないようです。

 

 

後で聞いたところでは

 

先生は

 

「今の道場をurahaさんに任せてお前は新規開拓をしなさい。」

 

と指示したのだそうです。

 

先生のそのお気持ちは本当にうれしいですが

 

私は道場長のような人に雇われるのは

 

まっぴらごめん

 

なのです。

 

 

ある時道場長は何の脈絡もなく

 

「ふざけるな!俺が苦労して作った道場だ。俺のものだ!」

 

と遠くから横目でにらみながら叫びました。

 

そういう事だったのですね。

 

 

正指導員のおばさんも引き続きいたのですが

 

彼女は金払いが良いだけの

 

その場基本も息が上がって最後までやりきれないくらい動けない人で

 

小学校低学年の子供達がこっそりモノマネをして笑いものにしているレベルでした。

 

「「上段上げ受けは目よりも上よ!」

 

 って言いながら***さんの受けは目よりも低いんだよー

 

 あはははははは・・・。」

 

子供は良く観察していますね。

 

しかし彼女は動けない分大声で子供達を怒鳴ることで立場を主張します。

 

2人とも威張り散らすばかりでコーチングの欠片もやるつもりが無いようでした。

 

「私の指導が口が悪いのは最高師範である道場長の指導法を受け継いでいるんだ。

 

この私の指導がこの流派の正式な指導なんだ。」

 

と子供たちの前で宣言してしまっていたくらいです。

 

それが仮に本当に流派の正式な指導だったとしても

 

ダメな指導に正式と言うラベルを貼ると

 

子供たちが何か価値を感じるとでも思っているのでしょうか?

 

それでいて

 

本音は利権を狙っているだけのようで

 

「最高師範の指導はちょっと・・・ね。

 

 私の方が指導は上だわ。」

 

などと陰では言っているのです。

 

彼女は道場利権を数多く手に入れるため

 

あることない事を流派の最高師範である道場長に吹き込み

 

いくつかの道場の指導員を辞めさせているようでした。

 

というか100人超えの稽古生が彼女の巡回指導で逃げ出したと思います。

 

臨時で入った時の指導で稽古生を激減させておいて

 

子供達が逃げ出した原因が元の指導員にあるように匂わせたようです。

 

一般稽古生である私でもわかる露骨なやり口なのにどうして最高師範は・・・?

 

ある稽古生が最高師範である道場長におばさんの指導へのクレームを直訴したり

 

他の稽古生が稽古中におばさんへの不満を口走ったり

 

色々ありましたが

 

道場長は一切聞く耳を持ちませんでした。

 

どうしてこのようなおばさんを道場長が本部などでほめちぎっているのか?

 

謎でした。

 

 

一度など珍しく道場長が指導をしていると思ったら

 

稽古後におばさんのもとに駆け寄り

 

なんと!

 

「こんな感じで指導してみましたが如何でしょうか?」

 

おばさんは一瞬驚いた顔をしましたがニヤリとすると

 

急に威厳を正し

 

「まあいいでしょう。」

 

 

 

(・・・)

 

どちらが最高師範か分かりません。

 

異常なんだということだけは分かりました。

 

 

恐らく彼女がNPO法人を通さずオーナー一家に直に落とす

 

一般稽古生の月謝何十人分相当の

 

長男の毎月の寮費のこともあったようですが

 

私に道場を乗っ取られないようにするためでもあったんでしょうね。

 

そんな心配いらなかったのに。

 

はした金のために信用ならない人間に雇われるほど

 

愚かな生き方はありませんからね。

 

 

 

そもそも

 

(この流派の利権は馬の目の前につるした人参だ)

 

と前から思っていました。

 

どれだけお金をつぎ込み続けても

 

どれだけ無償で労働力を提供し続けても

 

はなから利権をくれる気など微塵もないと思われます。

 

くれる気があったら道場責任者になれる条件が

 

明文化され公開されているはずです。

 

 

桜の名所で有名な土地で夫婦というか家族で力を合わせて必死に頑張り

 

破竹の勢いで稽古生を増やしていたO支部長が

 

枝から幹になるためのかなり無理目らしい条件を

 

あと1人でクリアーするという時でした。

 

この空手流派はネットワークビジネスの建前を取っていたのです。

 

「あいつが枝から幹になってしまったら一時的に俺の収入が減ってしまう。

 

 どうすれば?どうすれば阻止できるんだ?」

 

ある日道場で流派の代表理事でもある道場長が

 

大声で喚き散らしていたのです。

 

 

数日後

 

「O支部長は型を一ヶ所間違えて指導していたので由々しき事態と考え

 

 支部長資格を取り上げた。」

 

とあたかも先生のお考えであるかのように発表がありました。

 

 

 

O支部長は独り失踪し

 

一家は離散しました。

 

 

 

そしてどさくさに紛れて枝から幹になる条件が

 

ほぼ不可能なレベルに引き上げられたそうです。

 

しかしこれを期に

 

流派の成長は頭打ちになります。

 

当たり前のことですよね。

 

稽古生増やし過ぎたら追い出されるんではね。

 

目先の損得勘定で先が見えない最高師範のせいで

 

空手流派としてもネットワークビジネスとしても

 

機能不全になったようですね。

 

 

 

 

 

権威主義者のおばさんは

 

権威の目の前でだけ媚びりさえすれば

 

あとは誰に何をやっても通用させてもらえるという

 

安易な甘えを持っているのだと思います。

 

権威依存症なのだと思います。

 

依存症の時点で不幸への切符を手にしていますが

 

せめてその権威がどんな奴なのか?

 

よく見た方が良いのでは?

 

そもそも

 

空手もできない。

 

指導もできない。

 

威張りたいだけ

 

従って稽古生が逃げて一人も居なくなってしまう。

 

そんな人が仮にいくつもの道場を手に入れても

 

つぎ込んだ大金を回収出来る訳無いのでは?

 

ゼロに幾つ掛けてもゼロなんですよ。

 

 

 

しかし恐らく彼女が真に欲しいものは暴力装置。

 

私のバックには暴力組織があるんだよ。

 

と親や長男やご近所さんに匂わせたいのでしょうね。

 

 

一方

 

問題行動を積極的に行う権威主義者を

 

表面的とはいえ優遇してしまう類のダメな権威は

 

権威依存症に依存する共依存症だと考えられるでしょう。

 

権威も権威主義者もどちらも自立出来ていないのです。

 

一般に道場責任者に要求されているのは

 

このおばさんのような口汚い支配欲だけの危険人物達を

 

きっちり管理

 

もしくは排除して

 

子供達に安全安心真っ当に成長できる場を提供する能力です。

 

口が悪いだけのおばさん一派の勢いに飲み込まれて

 

管理できないでいる自分を胡麻化すため

 

誰も訊いていないのにそんな変な人物達を褒めて回るのは

 

ストックホルム症候群かも知れません。

 

 

 

稽古生は強くなるために自分のために月謝を払って通っているのです。

 

給料を払っている社長が、従業員の労働力を評価するかのように

 

月謝をもらっている流派経営側の人間が、稽古生の奉仕を評価するのは

 

人として間違っています。

 

評価ではなく感謝です。

 

ビジネスとしてもとんだ勘違いです。

 

稽古生の上達に貢献出来ない流派なら

 

ダメな流派だ月謝を払うだけ無駄だと判断し皆去っていくだけです。

 

道場長が唯一稽古生に一所懸命に熱く働きかけるのは

 

稽古生から「辞めます。」と言われた時でした。

 

ふたりきりになって稽古時間丸々かけて

 

辞めるという事がどれほど恩知らずな駄目人間のやることか

 

延々と言いくるめていました。

 

効果は絶大

 

皆、辞めるという判断が正しかったと確信したようでした。

 

去った子供たちが

 

「払った月謝と俺の時間を返せ。」

 

と唾を吐かなかったのは

 

子供たちが品が良かっただけです。

 

先生気取りで威張ることだけが目的で

 

稽古生の成長に貢献する気のない

 

そんなダメな大人たちのわがままを聞く義務など

 

どこにも無いのです。

 

勘違いにも程があります。

 

 

 

 

 

 

 

 

稽古後には何十人といる道場の全稽古生が私とだけ握手するために一列に並び

 

私の隣で正座して握手を待つ最高師範である道場長と正指導員の前には

 

一人も並ばないという異常事態が

 

半年ほど続いた頃

 

 

 

 

道場長はどうやら自由組手をせずに

 

子供たちの前で私に勝つ妙案を思いついたようですよ。

 

 

 

 

 

約束組手の手本を

 

私が攻撃技、道場長が受け返し技でやって見せている時のことです。

 

中段追い突きVS中段外受け一本返し*になった時

 

「じゃあこれは当て込みで」

 

と道場長が言い出したのです。

 

(やれやれまた変な事言い出したな)

 

一般的に中段追い突きは実戦では使われません。

 

試合で使っている人を見たことがありません。

 

待ち拳の練習専用の特殊な攻撃技と言えます。

 

見えやすいうえに時間がかかる技のため

 

空手の攻撃技で最も受け返ししやすい攻撃技だからです。

 

大人の黒帯と子供のオレンジ帯位の実力差が無いと当たらないでしょう。

 

(道場長の考えそうなことだな。

 

自分は無傷で一方的に殴ろうってか?)

 

当てる伝統派である硬*空手の組手全日本チャンピオンだった彼の土俵です。

 

しかし私は追い突きには自信がありました。

 

一番大きく動くこの突きを実戦で使えるレベルまで仕上げれば

 

刻み付きや逆突きは物凄く速く重い突きになると考え

 

徹底的に稽古したからです。

 

一般的には平安か太極の型で稽古する動きですが

 

私は征遠鎮という型で追い足のコツを掴みました。

 

フルコン寄りのこの流派で

 

私の追い突きのスピードと威力は桁が違うという自負がありました。

 

一般的には中段追い突きは命中しても大して効かないものです。

 

しかし私の中段突きは当て込み稽古で

 

私より10kgwi以上重いゴリマッチョのフルコン選手の分厚い胸板を

 

3割の威力で突いて吹き飛ばしてもなお効かせられました。

 

(この道場長の現在の実力では100%当たって効いてしまうな。)

 

と直感したのです。

 

私は実力とは稽古量のことだと信じていたからです。

 

命中するイメージがリアルに視えていました。

 

しかし

 

(子供達が殺伐とした空気を感じ取って怖がったら可哀想だ。)

 

と思い直し

 

(まあこの人の返しの中段逆突き位もらってやっても自分なら散らせるだろう。)

 

と判断して

 

ゆっくりと追い突きしてあげたのです。

 

 

この流派のこの約束組手では受け手は本来横に跳んでよけるのですが

 

道場長は返しが届かないほど大きく大きく後方に飛び退きました。

 

(私のスピードを念のためチェックしたか。)

 

私の手加減した中段追い突きを体感しすっかり安心したのでしょう。

 

道場長は高笑いをしながら

 

「そんなゆっくりじゃ

意味ねえんだよ!

もっと速く来言い終わる刹那を狙い澄まし
 
 無足で拳先導で飛び込みました。

 

 一拍子で並列運動なので道場長はすぐには認知出来ません。

 

また ”道場長が指示し私が受け取る”というフレームに

 

私が終了条件を与えていないので

 

道場長は一瞬カタレプシーにも陥っています。

 

 言語覚、視覚、体性感覚、とモーダルチャネル切り替えも時間が掛かります。

 

 (追い突き来た)と認識しても

 

言い終わりは息を吐ききって気が抜けているので

 

身体もすぐには動き出せません。

 

本物の武道家は臨戦状態でべらべら喋ったりはしないものです。

 

油断したら勝てるわけ無いのです。

 

敵を知らず己を知らざれば百戦して百戦危うし

 

本物の武道家が最重要視する所でしょう。

 

礼法はそのためにもあるのだと思います。

 

「礼儀は思いやりを形にしたものだ。」

 

と先生は良く仰っていました。

 

相手を思いやるという事は

 

相手を良く知ろうとするという事だと思います。

 

だから先生は私に指導をすすめたのだと思います。

 

道場長は私の稽古を7年間指導しているふりをして

 

何も観察していなかったのです。

 

また稽古とは

 

自分を良く知るという事だと思います。

 

無礼は油断、油断は弱さなのです。

 

相手を侮り自分をうぬぼれていたら百戦百敗するでしょう。

 

 

道場長は遅れるべくして二重三重に出遅れましたが

 

それでも中段追い突きは移動が長く上段追い突きより軌道が見えるものなので

 

何とか当たる寸前でよけ始めました。

 

しかし私はもう当てるイメージがリアルに視えていたので

 

追跡型に切り替え水月に命中させました。

 

道場長は流派の基本である差し拳が出来ていなかったので

 

簡単に急所を捉えました。

 

道場長の

 

(しまった!)

 

というポニーテールの髭面が見えました。

 

発勁100%で突いてのたうち回らせても良い状況でしたが

 

見ている子供達がトラウマになっては可愛そうなので

 

10%くらいに手加減したのです。

 

 

「何当ててんだこらあ!!」

 

 

(やれやれ隙だらけで負けるべくして負けておいてこの言いぐさか。)

 

危険を感じるセンサーの鈍さに呆れました。

 

本人は自分の事を

 

「ザ武道家」

 

などと触れ回っていましたが

 

危険感知のセンスが無かったら武道家になるのは

 

諦めた方が身のためだと思います。

 

長生きできません。

 

私がその気になったら何時でも殴り*せる位実力差があることは

 

たった今、証明したのです。

 

弱者が粋がっても危ういだけです。

 

間合いを十分に確保してなお

 

それしか来ないと分かっている私の

 

たかが中段追い突きすらよけれない人が

 

私の他の実戦用の攻撃技がよけられるはずもないのです。

 

大体、中段追い突きをよけれない人が空手家を名乗ってはいけません。

 

そもそも当て込みでと言っておいて当てられると怒るというのは

 

権威主義者特有の甘えです。

 

 

 

ぼくはかたがきあるんだからかたしてくれなきゃいけないんだじょ

 

 

 

という意味ですか?

 

 

 

彼は本部の年越し稽古で年に一度だけ

 

先生の前で自由組手をさせられます。

 

普段は咄嗟に組手をさせられそうになっても断れるように

 

空手の道着を決して着ようとせず

 

一年中居酒屋の店員のような黒い作務衣を愛用していました。

 

その二年稽古で

 

腰の低い生真面目な10代の本部内弟子のハイキックをよけれず

 

顔面に当て止めしてもらった際にも

 

「何蹴ってんだこらあ!!」

 

と怒鳴りつけた挙句

 

止めてくれている脚を捕まえてアキレス腱固めかのように抱え込み

 

体裁を保とうとしたそうです。

 

本来なら泡を吹いて気絶するか4ぬところを

 

手加減してもらっておいてこの言い草この態度です。

 

実際この組手で最高師範でもある道場長は彼のミドルで腕を折られています。

 

これも道場長が自分の道場で自ら大声でばらしていたことです。

 

月とすっぽん位実力差があるのです。

 

ハイで気絶していたら最高師範や七段を恥ずかしくて辞任しなければならないのを

 

メンツも命も助けてもらっているのです。

 

まともな武道家ならば

 

別室に呼んで

 

自らお茶を淹れ

 

正座をして

 

「強くなりましたね。

 

 これからは二人での組手は控えましょう。」

 

と神妙に言うところです。

 

それを・・・

 

チンピラみたいな・・・ 

 

「俺のバックを誰だと思ってんだ!俺の親はオーナー様だぞ!

 

 今度当てたらここに居られないようにしてやる!」ってか?                    

 

格好悪い。

 

 

その本部指導員は当時10代でしたが

 

大変に高度な組手を自分で考えて実践していました。

 

パッと見

 

若くてマッチョで蹴りが高く上がり素早いステップと一体化しているので

 

そりゃ強いだろうと誰でも感じますが

 

彼の強さの本質はもっと深いものがありました。

 

相手に認知科学的な盲点(スコトーマ)を作るようにして

 

そこに蹴りを放り込むので

 

相手にとって見えない蹴りになっているのです。

 

こういう若者は流派の宝です。

 

武道界の宝だと思います。

 

親に権威を与えられただけの偽物武道家

 

(ちなみに

 

 「知ってる?最高師範は偽物武道家なんだよ。」

 

 というのは私が言い出したことではありません。

 

 どなたかは伏せますが

 

 流派内のしかるべき御方から教わった事です。

 

 従って流派内の重鎮達も全員とっくに教わっているでしょう。)

 

と偽物の取り巻き連中が偽物の権力で潰さぬよう

 

流派内の本物の武道家の方々が気を配って下さることを

 

勝手ながら祈っています。

 

 

若者の成長に比べ道場長は・・・

 

どうやら嫌々期の三歳児のまま誰かに成長を止められているようですね。

 

強くなる気も人を育てる気も無いのなら道場に来なければ良いのです。

 

最高師範も宗家代行も七段も道場長も辞退して

 

家で流派の代表理事としてハーレーと通帳の数字だけ眺めていれば

 

稽古生にはさほど迷惑が掛からないのに。

 

先生も先生の優秀なお弟子さん達もいるのだから

 

空手の指導は丸投げして

 

道場長は空手から手を引くこと。

 

それで皆(道場長も含めて)幸せになれるのでは?

 

そうすれば流派も大きくなると思いますよ。

 

下手に空手家のフリをしに道場に来るから敵が増え命の危険が増えるのです。

 

大体もはや実力も落ち空手家のフリも楽しくないでしょう?

 

怖いだけでしょう?

 

面倒くさいだけでしょう?

 

誰の手前引っ込みがつかないのです?

 

 

私は腕組みをして平然と道場長の目を見下ろしました。

 

(子供達の前で悪人に屈する所を見せたら教育上悪い。)

 

と考えたのです。

 

そもそも道場長がやろうとしたことは

 

稽古のふりをした

 

暴力です。

 

指導のふりをした

 

イジメです。

 

もし私の実力が低ければ

 

殺人事件

 

になる可能性だってあったのです。

 

(道場長は武道教育に携わってはいけない人間だ!)

 

と思いました。

 

私の方が強かったから

 

私が実力で彼の犯罪からの被害をゼロに出来ただけで

 

彼がやった事は立派な犯罪ですよね。

 

私は若い頃に習いに行っていた流派で

 

その時の先生に

 

目突き金蹴りなんでもありのノールールの自由組手で

 

フルボッ*のtidaルマにされキンタ*も潰されましたが

 

感謝こそすれ恨んだことなどありません。

 

そこには私を成長させたい引き上げたい

 

世界最高峰の組手を体験させたい

 

という心があったからです。

 

一方

 

この道場長がやったことは結果私はノーダメージでしたが

 

犯罪だと感じます。

 

そこには自分の満足のために卑怯な手口で私を痛めつけたい貶めたい

 

という心があったからです。

 

 

(掛かってきたら、正当防衛でのばしちまおう。)

 

私は怒っていたのです。

 

道場長は怒鳴っても通用しないことが分かると目を泳がし

 

大人しくなりました。

 

 

彼は私に給料をくれる雇い主ではありません。

 

彼は私を育てようとしてくれる先生でもありません。

 

彼は私が学びたいと感じる私より強い憧れの空手家でもありません。

 

私の視点から視て何の世話にもなっていない何の魅力も価値も無い存在です。

 

月謝だけ貰って指導もせずいやがらせだけしてくる

 

そんな輩がマウント目的に卑劣で危険な事をした上怒鳴りつけてきたら

 

のばすのが当たり前のことでしょ。

 

そのための武道です。

 

 

 

 

 

道場長は流派のオーナーの一人息子なので

 

流派の代表理事で

 

最高師範で

 

宗家代行で

 

七段で

 

先生の雇い主側でした。

 

親のお金で沢山のみせかけの権威をプレゼントされていました。

 

というか

 

ニートだった彼をニートでないように見せかけるために

 

彼の親が創った流派だったのです。

 

「働いてるように見せてくれれば

 

パワハラし放題やらせてあげるよ。」

 

と言う交換条件だったのでしょうか?

 

社会に適応できない息子のために

 

息子に適応したスモールワールドを創った。

 

それがこの空手流派だったのです。

 

看板に空手とは書いてありませんがね。

 

この流派は彼の為の大きなゆりかごだったのです。

 

誤解するよう仕組まれていたとはいえ

 

私はまんまと先生の興した流派だと勘違いしていたのです。

 

そして本物の武道家である先生が

 

私には一つも見付けられない道場長の何か長所?を評価して

 

最高師範や宗家代行に任命しているんだろうなあ?と

 

勘違いしていたのです。

 

 

(意固地になって私が居続けて先生に迷惑が掛かってもなんだしな。)

 

と考えました。

 

 

 

 

道場長は空手をやったことの無い親から七段位を授かっていましたが

 

若い頃

 

先生の作戦がバッチリはまり

 

高度なK式空手の大会で

 

自由組手全日本チャンピオンになったにも関わらず

 

先生に普段の稽古から伺える人間性を認めてもらえず

 

実は宗家先生からは何と

 

いまだに白帯しかもらっていない

 

のだそうです。

 

ちなみに当時の先生は白帯か黒帯の2種類しか出していなかったのだそうです。

 

「黒帯は心に巻くものだ。」

 

先生は良くおっしゃいました。

 

自分の心に自分で”黒帯と言う覚悟”を巻いていない者には

 

先生は黒帯は出せないのでしょう。

 

審判の決めた日本一など所詮他者評価に過ぎませんから。

 

日本一になっても”黒帯と言う評価”をくれない先生に腹を立てた彼は

 

一度黙って先生のもとを去っていました。

 

しかし空手をやめ一度は就職し営業マンになったものの

 

会社から単身赴任を命じられ

 

親から離れたくない彼は会社を辞めてしまいました。

 

ニートになってしまったのです。

 

と本人が時々道場で独り言をわめき散らして暴露していました。

 

 

おそらく彼は

 

白帯の分際で流派を立ち上げるなどという

 

先生をなめきった彼の流派を

 

先生が潰しに来るのではないかと

 

疑心暗鬼になったのでしょう。

 

覚悟の無い彼はしかたなく

 

あらかじめ先生を創始者宗家として雇う

 

というか

 

みかじめ料を払い続ける

 

という手をうったのではないでしょうか?

 

「荒ぶる神も

 

 祠に招き入れて封じ込め供物を捧げ続ければ

 

 守り神として使えるぞ。」

 

と誰かから知恵を授けられたのでしょう。

 

バガボンドにも出て来た古い手口ですね。

 

 

 

これは私の勝手な想像にすぎませんが

 

もし道場長が覚悟を持って自分の流派として活動を始めていたら

 

いったいどうなっていたか?

 

ある日突然先生はふらっと訪ねて来て

 

黒帯と祝いの黒生を置いて行ったのではないでしょうか?

 

そんな気がするのです。

 

 

 

私は別に誰から黒帯を授かっていなくても

 

流派を立ち上げても良いと考える者です。

 

覚悟さえあれば。

 

それは自分で最初から宗家創始者を名乗って

 

全ての責任を取るということです。

 

私の最初の空手の師はそうでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

「俺は流派を立ち上げてからずーっと独りぼっちだった。

 

 誰も仲間になってくれなかった。」

 

とも道場長は言っていました。

 

それはそうです。

 

イチローのモノマネ芸を練習している人と

 

イチロー選手を目指して野球の練習や試合をしている人は

 

同じ道を歩む仲間でしょうか?

 

 

彼は先生の髪型や髭、趣味など完コピを目指していました。

 

(よっぽど先生のことが好きなんだな。)

 

と私は勘違いしていました。

 

しかし彼は

 

未だに黒帯をくれないままの

 

恐らくは一生黒帯をくれないままの先生を

 

恨みくすぶり続けています。

 

 

 

(では何故?髪型や髭、趣味に至るまでそっくりコピーしていたのだろう?)

 

 

 

彼は情報(じょう・ほう)操作&情報(じょう・ほう)遮断に入れ込んでいました。

 

「自分は嘘はついていない。

 

 本当のことの一部を黙っていたら

 

 周りが勝手に騙されたただけだ。」

 

が口癖でした。

 

自白剤でも愛飲しているのでしょうか?

 

じょう    ほう格差にお金がれるという”ケリーの第2基準”を信じているようで

 

流派名も

 

そんなペテン師のような意味を込め

 

”情・報”の順序を操作し、漢字を変えて

 

本当の意味を情報遮断し情報隠蔽した名前を付けていました。

 

さらにそんなふざけた名跡を先生に名乗らせるほどなめてました。

 

のちのち自分が継ぐ名跡の価値を先生のカリスマ性で高めさせていたのです。

 

「**宗家の教えることだけをやれ!

 

 自分で工夫などするな!」

 

と先生への尊敬のふりをして思考停止を稽古生に強要していましたが

 

先生の指導と真逆です。

 

先生は一人一人が自分で考える事を指導していました。

 

どうやら彼の云う**宗家とは先生の事ではなく未来の自分の事のようですね。

 

私も最初は道場長の正体が見えませんでした。

 

一見キチンとして見えるので。

 

正指導員のおばさんを通して道場長を見ることで

 

道場長の正体が見えるようになったのです。

 

おばさんは自分の醜い生きざまを隠そうとはしません。

 

お金をかけて手に入れた正義というラベルを自分に貼っているからです。

 

だから正体は丸見えなのです。

 

そのせいで

 

道場長の隠し続けてきた正体もあぶり出されてしまったのです。

 

 

 

まあ手間暇お金かけて隠した秘密も書き換えた情報も

 

道場で泣き叫んで自分でばらしてしまうので

 

結局無駄なんですけどね。

 

 

 

 

 

泣くほどストレスなら正直に生き、素直に空手を楽しめば良いのに。

 

他者評価を欲しがって優秀に見せかけることをやめれば良いのに。

 

偽物になるための努力をやめ本物になるための努力を始めれば良いのに。

 

他者を騙して手に入れた他者評価に何の価値があるのでしょう?

 

桜の名所のO支部長のような

 

ビジネスの才能がある人は

 

きれいごとではなく

 

本当に貢献感を大事にしているのではないでしょうか?

 

どれだけ噓が周到でも一方的に搾取するだけで

 

win-winの関係は作りたくない人に

 

いつまでもお金は流れないと思いますよ。

 

人はいつまでもバカのままではありません。

 

悪が栄えたためしはない。

 

 

 

 

 

道場長の親(空手はやったことがないが流派オーナー)は道場長に七段を授けた時

 

同時に先生には九段を授けました。

 

九段?

 

❓??く・だ・ん?

 

宗家創始者を名乗って頂いておいて

 

何故十段で無いのだろう?

 

そんな中途半端な段位を失礼な!

 

何のために十段を取っておいているのだろう?

 

将来誰かさんが十段を名乗るのは何のためだろう?

 

インチキ段位で先生に勝つことで溜飲が下がるのですか?

 

白帯十段なんて・・・

 

ギャグマンガのタイトルみたいですが?

 

 

 

 

 

 

もし仮に

 

30年後の稽古生たちにとって

 

先生の存在が全く見えなくなっていて

 

先生に向けられていた尊敬が

 

別の誰かさんに向けられていたように

 

上手にすりかえられてたとしても

 

それが何だというのでしょう?

 

偽物として完成したところで

 

どこまで行っても所詮本物ではないのです。

 

偽物は必ず偽物とばれます。

 

というか最初からばれているモノです。

 

直伝講習などで先生や他の師範が喋っていると

 

子供達は熱心に聞き入り時にゲラゲラ笑ったりしていますよね。

 

ところが

 

道場長が一言無難なことを喋ったとたんに

 

シラーっと白け気温が下がったかのようになります。

 

子供達のほとんどは道場長のことはろくに知らないはずです。

 

私や先生や他の師範の方々や指導員の方々の様に

 

道場長の人間性の低さを知り尽くしてはいないはずです。

 

それでも注目を集めた途端にばれてしまうモノなのです。

 

普通の神経では耐えられないと思います。

 

恐らく頭の中で現実を書き換えることがデフォルトになっているのでしょう。

 

ほう遮断しじょう報操作することが

 

彼の自分の武道のでしょう。

 

 

本物と偽物を上手にすり替えても

 

本物が手にしていた色々を偽物が手にすることなど出来ないのです。

 

結局本物として生きるしか本物になる手はないのでしょう。

 

そもそも(周囲に本物だと思ってもらいたい)がGOALな人は

 

その時点で偽物なのだと思います。

 

そして本物の影響を綺麗に消し去ることも出来ないでしょう。

 

先生は肩書があるから皆から敬愛されているのではありません。

 

私は先生に宗家創始者とか九段とか最高顧問などの肩書が無かったとしても

 

敬愛していたでしょう。

 

多くの弟子は同じだと思われます。

 

実力や立ち居振舞いの格好良さもさることながら

 

弟子たちの成長が心からの楽しみで

 

弟子たちの成長に全力で貢献される方だから敬愛されているのです。

 

実力や貢献全く無しに肩書コレクションだけ増やしていっても

 

今も昔も  

 

この先も

 

未来永劫変わらずタダの晒し者のままです。

 

醜い生きざまのまま人の上に立ったらすなわち晒し者なのは当然のことです。

 

権威のピラミッドを完成させたいのでしょうが

 

誰からも敬愛されていない人間が

 

権威のピラミッドを完成させた時

 

 

その時こそ最も命が危険にさらされる時

 

 

歴史を観れば分かるのではないでしょうか?

 

 

 

そんな無意味な復讐ごっこに一度しかない人生を使い果たして

 

タダの徒労だと私は思うのです。

 

先生のDNAは確実に優秀なお弟子さんたちに受け継がれているのです。

 

 

 

一体どのタイミングで復讐するつもりなのか?

 

先生に怯えている彼は先生がご存命のうちには復讐できないでしょう。

 

そのとき誰を代替品として復讐し溜飲を下げるつもりなのか?

 

 

 

 

 

 

「証拠はどこにあるんだ?」

 

悪人の決まり文句ですね。

 

私は刑事でも検事でもない。

 

ただの稽古生だった者なので悪事の証拠集めに義務も興味もありません。

 

月謝を払った立場からただただ不満を述べるのみです。

 

 

世間は法廷ではありません。

 

推定無罪がまかり通るような悪人に甘い場所では無いのです。

 

そもそも冤罪では無いので証明は偽装するしかありません。

 

そんなのいくら金をつぎ込んでも無理でしょう。

 

情報操作流などにこだわり

 

よどんだ心を護るより

 

心を入れ替えて

 

稽古生の成長に貢献したら?

 

それはそんなに嫌な生き方なのでしょうか?

 

愚かで弱い生き方なのでしょうか?

 

道場長が持っている利口な人、強い人のイメージが歪んでいるのでは?

 

騙せる人が利口な人なのでしょうか?

 

イジメる人が強い人なのでしょうか?

 

私が思うにそれは単なる悪人ですよ。

 

どうしてそんなに悪人に憧れるのか?

 

おばさん指導員にへーこらするのも悪人への憧れからですか?

 

親から受け継いだ文化的遺伝子なのかもしれませんが

 

一度見直した方が身のためだと思いますよ。

 

稽古生の上達に貢献出来ること

 

それは私にはとても幸せな生き方だと感じられましたよ。

 

試しにやってみたらどうですか?

 

 

 

 

道場長は

 

白帯据え置きのことをずーっと根に持っているため

 

せめて自分の道場からは先生に認められた黒帯は絶対に出したくないという

 

わだかまりを持っているようでした。

 

また”不労収入”という言葉にも憑りつかれていて

 

それを拡大解釈し

 

自分は他者に給料も指導も強さも黒帯も何も与えず

 

他者からは自分は月謝や労働力や自己犠牲を搾取しよう

 

としていました。

 

看板に書いてある”武道”の字の隠された意味は

 

不働ですか?

 

無働ですか?

 

侮働かな?

 

「働いたら負けだと思ってる。」ってか?

 

 

 

 

 

私は金儲けが悪いと言っているのではありません。

 

お金を儲けることは楽しいことだと私は思っています。

 

人を喜ばせた代わりにお金を頂く。

 

それなら素晴らしい生き様だと思います。

 

しかし情報操作により情報格差を創り金の流れを生む。

 

それって不細工な生き様だと思います。

 

金儲けの手段が醜いのです。

 

 

 

事実を捻じ曲げ私を貶めようとしたから

 

当然の報いとして

 

私にボコられるのです。

 

「あなたの強さも指導力も分かっている。

 

 しかし今私はお金が必要なので

 

 道場利権を欲しがっているおばさんに長く続けさせて

 

 なるべく長くお金を落とし続けさせたい。

 

 そんな訳で空手の出来ないおばさんばかりを持ち上げるが

 

 理解して欲しい。」

 

とでも素直に私に相談していれば・・・

 

 

 

どうしても人々を騙す力を信じたいのですね。

 

 

 

 

 

そんな道場長から

 

実力で黒帯をむしり取って自尊心を満足させた私は

 

程無く流派を去りました。

 

 

 

私を可愛がってくださった先生には合わす顔が無かったので

 

挨拶もせずに辞めてしまい本当に申し訳無く思っています。

 

本当にありがとうございました。

 

 

私が指導していたクラスの子達のことは心残りでしたが

 

(この道場にいるような人間性の低いパワハラ人間達は

 

 現在のPTAにも将来の会社にもいくらでもいるものだ。)

 

そう割り切りました。

 

結局

 

私が辞めて2週間ほどで

 

何十人といた稽古生はほぼ全員退会したそうです。

 

正直安堵しました。

 

一人残った子は自分のGOALイメージをリアルに持っている子だったので

 

大丈夫でしょう。

 

 

 

 

この流派には空手を学ぶつもりで入ったのですが

 

本当に学んだのは

 

依存症と共依存症の恐ろしさでした。

 

本来彼は、白帯でありながら

 

高度なK式空手で全日本を取るほど

 

可能性に満ちた人間だったのです。

 

「俺さあ、天才って嫌いなんだよな。

 

 ろくに学びもしないうちから出来る様になっちまって

 

 日本一になったら空手をゴミの様に捨てちまう。

 

 蜜柑の皮だけ食って身を捨てちまうような

 

 そんな薄っぺらい奴

 

 大っ嫌いなんだよ。」

 

先生から初めて聞かされたとき

 

私は正直

 

(先生のような天才に天才と呼ばれるなんて羨ましいな。いったい誰なんだろう?)

 

などと見当違いなことを考えていました。

 

先生はかつて

 

20人かそこらの青空道場から

 

硬式、フルコン、グローブ空手、キックボクシング、伝統派の形etcで

 

6~7人の日本一を輩出していたという

 

有り得ないほどの大天才指導者なのです。

 

今は先生が言う天才が誰の事か良く分かりますし

 

先生の仰る通り薄っぺらだと思います。

 

とは言え確かに天才だったのでしょう。

 

選手としては立派な実績を上げています。

 

しかし天才肌の彼は

 

一歩一歩歩み続けることが唯一とんでもない高みに達する方法である

 

という真理が全く見えていないのでしょう。

 

だから老亀にぶっちぎりで抜かれるのです。

 

だから指導も全く出来ないのです。

 

先生はそんなあなたを見抜いているから

 

”永遠の白帯”

 

なのでしょう?

 

 

 

親の歪んだ愛?で

 

どれほど選民意識に縛られ貢献感を感じられない人生になるか

 

どれほど肩書コレクションばかりで中身が空っぽのさらし者になるか

 

どれほど強がるばかりで覚悟の無い、恐怖で一杯の人生になるか

 

自分の課題を他人任せにして成長が止まってしまうか

 

結果不安と不満で一杯になるか

 

これでは病まない方が無理というものです。

 

 

後年アドラー心理学を学ぶ私にとって

 

オーナーと道場長の親子関係は

 

見事な反面教師だったのです。

 

私が教わったアドラーではこのような親子関係を

 

一種の虐待と考えるそうです。

 

子供の自由な可能性を奪っているからです。

 

そして親の方から

 

(!親子関係に問題があるせいで子供が外の社会に適応できないんだ。)

 

と気づかないと

 

子供の方からは中々難しいものがあります。

 

実際40過ぎても気づけていません。

 

そして自立もまずは親からです。

 

親から共依存を克服したいものです。

 

共依存症は愛とは似て非なるものです。

 

薬物依存が薬物無しでは生きていけないように

 

共依存の親は依存症の子供無しでは生きていけません。

 

だからと言って子供をいくつになっても依存症のままキープしたいって?

 

親が子供からの評価を欲しがって

 

いつまでも子供の”人生のタスク”を解決してたら

 

子供は歳を取っても自立出来ません。

 

自立するための勇気がくじかれるのです。

 

いつまでも親から能無し扱いされているわけですから。

 

「**ちゃんは何もしなくていいのよ。ママとパパが何とかするわ。」

 

 

「**ちゃんは無能だから何かしちゃダメよ。」

 

と言っているのと同じです。

 

40過ぎてその扱いは痛いでしょ。

 

せめて”痛い”と感じられるように育てなかったらダメでしょ。

 

子供は親のペットではありません。

 

親の方が先に死ぬのですから

 

何としても子供の自立を成し遂げる必要があるわけです。

 

「キャッシュフローシステムさえこさえといてあげればOK!」

 

な訳ないだろ?

 

まず親は”嫌われる勇気”を持って

 

”課題の分離”をする必要があります。

 

子育てのGOALは子供の自立です。

 

もし彼が親から経済的にも精神的にも自立出来ていたら

 

ちゃんと外で苦労を味わうことができて

 

遥かに有意義な納得の行く地に足の着いた人生だったのではないのか?

 

蜜柑の中身を味わえる人生だったのではないか?

 

黒帯を心に巻ける人生だったのではないか?

 

少なくとも目も笑っている笑顔ができる人生だったでしょうね。

 

 

馬*息子を甘やかすためにだけ作った流派など

 

社会から見れば迷惑でしかありません。

 

正直この世から消えて欲しいです。

 

この流派の方々は殆どが誠実な指導をしたいと思っているようだとは感じていました。

 

しかしトップである経営者が不誠実だったらやはりむずか・・・

 

「こんな弱い流派の宗家なんてうっかり引き受けちまって

 

 俺は恥ずかしくてもう他流派の先生方の集まりに出ていかれない。

 

 俺は一体どうしたらいいんだ?」

 

先生も嘆かれておりました。

 

それを聞いた道場長は

 

「またおかしなことを言い出しやがった。」

 

と陰で吐き捨てていましたが

 

先生の嘆きはいたって正常な感性から来る嘆きだと思います。

 

あなた方のしている事は例えれば

 

動物園のオーナーが

 

自分の溺愛する座敷犬に

 

"ライオン王"という名札を付けて

 

ライオンの檻の中で威張らせてあげているような事です。

 

座敷犬が危険な状況なのは誰でも一目瞭然です。

 

オーナーさん夫婦が息子のために創った

 

キャッシュフローシステムであるこの流派は

 

護真ー武道どころか逆に

 

あなた方の息子を命の危険にさらしているのです。

 

 

 

オーナーさんもここらで気づかないと

 

孫はもっと危険なことになることは

 

誰の目にも・・・

 

 

 

息子や孫を助ける道は唯一

 

先生に丸投げする事です。

 

 

 

ここで見たことは

 

本当に子育て自分育ての参考になりました。

 

何が問題なのかさっぱり視えなかった私の家族の問題。

 

その克服したい問題点を鮮明に視せてくれたのです。

 

嫌われる勇気をもって課題の分離をし

 

家族の依存共依存体質を克服し

 

お互いの自立に向けて勇気づけする。

 

お互いに感謝する。

 

そう気づいたのです。

 

私にとっては実りの多い学びの場になりました。

 

 

 

 

 

 

今現在稽古相手もいませんが

 

私の強くなる楽しみは

 

実は

 

あれ程

 

(もういいよ。)

 

と思っていた

 

空手の型だったりするのです。

 

面白いものですね。