こんにちはurahaです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「返せよ!泥棒が!!」

 

中学の遠足?で山登りの時でした。

 

直前を歩いていたT君が落とした財布を

 

拾って渡してあげた時の

 

返ってきた返事がこれです。

 

ビックリして言い返すことも忘れて固まってしまいました。

 

予想した反応とあまりにも違うと人はフリーズするモノなんですね。

 

T君といつも一緒の学年一の秀才が軽蔑した目で私を一瞥すると

 

二人は目くばせを交わしサッサと歩いて行ってしまいました。

 

啞然として私は一人取り残されたのです。

 

(変わっちゃったな・・・

 

 小さい頃はあんなにいい奴だったのに。

 

 いつからだっけ?

 

 T君と遊ばなくなったのは?)

 

 

 

 

 

 

 

私は幼稚園は一年保育だったので

 

既に出来上がっていた園児のカースト制度に上手く馴染めないでいました。

 

私は乗り物酔いが酷く路線バスの後部に座ると吐いてしまう子供でした。

 

幼稚園バスでは一番前に座れたので

 

(幼稚園バスは酔わないかもしれない。)と喜んでいると

 

カースト上位のグループが乗り込んできたのです。

 

「アーッ!**くんの席に座ってるやつがいる。」

 

「その席に座れる人は決まってるんだよ!」

 

「いーけないんだ。いけないんだ。」

 

「お前なんかの席はあっちだろ。」

 

寄ってたかって言い負かされ

 

まるで悪者かのようにバスの最後部に追いやられたのです。

 

吐きました。

 

それから毎朝卒園まで来る日も来る日も吐き続けたのです。

 

人から差別されるという事を身体で感じ憎んだ最初の体験だったと思います。

 

 

 

 

園庭で遊具に乗り込んで遊んでいた時です。

 

誰も逆らえない暴れん坊のO君の危険行為に巻き込まれ

 

私は恐怖で泣いてしまったのです。

 

「やめろ!何やってんだO!」

 

「もう大丈夫だよ。」

 

それがT君でした。

 

その日からT君は私のヒーローになりました。

 

強くて優しくてリーダーシップの塊で太陽のようなT君のお陰で

 

私は幼稚園生活が続けられたようなものだったのです。

 

 

 

小学校に上がって1~2年生くらいの頃でしたか?

 

何処までも一人で自転車で行けるようになった私は

 

幼稚園バスのコースで一番遠かった県境近くまで

 

頑張って行ってみたのです。

 

切り崩された土がむき出しで崖のようになった山を観るのが

 

地獄のような幼稚園バスで唯一の救いだったからです。

 

この折り返し地点の崖を観ることを目的と思い込むことで

 

幼稚園バス地獄を何とか乗り切っていたのです。

 

 

「T君!」

 

そこで偶然にもT君と会えたのです。

 

嬉しかったですね。

 

小学校が違っていたので久しぶりでした。

 

それからは毎日毎日

 

遠いT君の学校の小さな校庭に遊びに通いました。

 

明るい日差しと緑と花の香りに包まれ毎日が楽しく充実していました。

 

 

「俺たちは友達じゃない。

 

 親友だ。」

 

ある日T君が言いました。

 

「し・ん・ゆ・う?」

 

「友達より上の特別の友達って意味だよ。」

 

「僕たちしんゆうだね。」

 

ヒーローに特別の友達と呼ばれ

 

私は凄く嬉しかったのを覚えています。

 

暖かい光に包まれたようでした。

 

 

 

 

 

こんな日が毎日繰り返されいつまでも続くものと思っていました。

 

 

 

 

 

 

毎日毎日とても楽しいのです。

 

楽しいのですが

 

一つだけ不満と言うほどでも無いちっちゃな不満がありました。

 

T君の家に行った事が無かったのです。

 

今までの友達は仲良くなると

 

「俺んち来いよ。」

 

とその日のうちに誘ってくれたものでした。

 

「T君家に行ってみたいな。」

 

会うたびに言ってた気がします。

 

「お母さんが駄目って言うから駄目。」

 

毎回同じ返事が返ってきました。

 

 

 

 

「俺んち行こう。

 

 今日はお母さんが呼んでもいいって。」

 

「ヤッター!!」

 

大喜びで付いて行きました。

 

何だかT君もうれしそうですよ。

 

 

 

 

T君家に着きました。

 

(中々大きな立派な家だなあ。こりゃ。)

 

しばらく玄関で待たされた後に

 

「上がって上がって。」

 

T君に呼ばれ中に入りました。

 

長い廊下に沢山の部屋

 

「この部屋は絶対に入っちゃダメだよ。

 

 秘密の部屋なんだ。」

 

「うん分かった。絶対絶対入らないよ。」

 

そう言いましたが

 

そんなことを言われたら気になりますよね。

 

 

「これ面白いよ。これも面白いよ。あとこれも・・・」

 

T君が高そうなおもちゃを次から次へと持ってきてくれます。

 

凄く羨ましかったのを覚えています。

 

T君との時間は凄く楽しくて夢中になって遊んでいました。

 

ふと気になって

 

「さっきの秘密の部屋は財宝が隠してあるの?」

 

「あはは、違うよ。秘密だから教えられないけど。」

 

そんなやりとりを何回かした気がします。

 

そうこうしているうちに窓の外がだいだい色に染まってきました。

 

まだまだ遊び足りません。

 

しかし何せ子供には遠いのです。

 

凄く残念ですがそろそろ帰らなくてはなりません。

 

そう伝えると

 

「じゃあ最後にとっておきのモノを見せてあげるよ。親友だから特別だよ。」

 

そう言って案内されたさっきの秘密の部屋にあったものとは

 

 

 

時代劇でしか見たことの無い立派な本物の

 

鎧兜

 

だったのです。

 

 

 

「俺の先祖は侍なんだ。」

 

 

 

 

 

 

 

「ねえねえパパ僕んちにも鎧兜ある?」

 

「いや無いな。」

 

「どうしてないの?」

 

「どうしてって言われても無いモノは無いよ。」

 

「うちの先祖は侍じゃないの?」

 

「一応侍だったらしいよ。

 

 郷士って言って

 

 城勤めじゃなくて普段は畑をやってて

 

 戦の時だけ戦ったそうだけどね。」

 

「じゃあ、絶対絶対あるよ。倉庫にあるかな?」

 

「いや、無いよ。見たことないもの「探してくる!」

 

「もう夜だから暗いし、危ないモノも沢山あるからやめなさい。

 

 探しても無いモノは無いよ。」

 

「じゃあ買ってくれる?」

 

「何で?買わないよ!要らないだろう?」

 

 

父はとても優しい人で私を可愛がってくれましたが

 

無駄使いを絶対しない人でした。

 

太平洋戦争で父親を亡くしたそうです。

 

長男だった父は小学生の頃には

 

日が昇る前から闇米120kgをリヤカーに乗せ

 

警察の目を避けるため

 

わざわざ大変な山越えを選んで

 

隣りの県をまたいだ信じられないほど遠い港町の闇市まで卸しに行き

 

幼い弟妹7人を養ったそうです。

 

それほどの苦労をしても一番小さな双子の赤ちゃんは育ちませんでした。

 

長男だった父は大きすぎた危機感と責任感からでしょう

 

無駄使いを絶対できない人になったのです。

 

 

「絶対絶対要るんだよ。」

 

幼かった私は自分のことしか考えれずに優しい父を追い詰めました。

 

「どうしてそんなに急に鎧兜って言い出したんだ?」

 

困った父は母に話を振りました。

 

「この子ったら、友達のうちで先祖が侍だって鎧兜を見せてもらったそうで

 

 羨ましがってるのよ。」

 

と母

 

羨ましいのではありません。

 

1日も早く自分も親友のT君と同じ侍の子という

 

同じ仲間であることを証明しなければならないと焦っていたのです。

 

「へえ、どこに住んでる子だい?」

 

「あっちにずーっと行ったところの崖のそば。」

 

「県境のあたりよ。」と母

 

「!あっアッハッハッハ

 

 そりゃ噓だよ。

 

 あの辺は部落だもの。

 

 侍なわけない。

 

 大方、落ち武者狩りでもしたんだろう。」

 

「部落!?

 

 インディアンがいるの?」

 

「アッハッハッハ

 

 インディアンじゃないよ。」

 

「じゃあ何?」

 

「・・・・・・・・」

 

両親は顔を見合わせ黙ってしまいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「この辺は部落だからT君の先祖はお侍じゃないって。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それっきりでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

情けないことに中学の遠足の時まで私は忘れていたのです。

 

当時の私は自分が何をやったのか理解していませんでした。

 

遠足の一件で記憶を手繰ったことで

 

ジグソーパズルができ上がっていくように

 

自分が仕出かしたことが徐々に形になりその醜い姿を現して

 

中学生ではじめて

 

自分のやった事の意味を理解したのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は差別をしたのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

ごめんなさい。

 

 

 

幼いT君がどれほど傷ついたか想像することも出来ません。

 

思い出したのです。

 

 

 

あの時のT君の目を。