こんにちはurahaです。

 

ロードスターピカピカにしました。

 

 

 

 

 

 

私はもう少し若くて元気な頃

 

自分の店を持ちたいと思っていました。

 

しかしレストランを出す資金は頑張ればナントカ貯められるとして

 

問題は続けていく事だと思いました。

 

飲食業は利益率がとても悪いのです。

 

私のアイデアは食材費を抑えることでした。

 

かと言って量を減らすとか質を落とすとかは御免です。

 

不味い料理は作りたくないのです。

 

たっぷりと良質な食材を使って

 

それでも食材費は安いということはできないだろうか?

 

 

 

例えば自分で種を蒔き収穫すればどうだろう。

 

仕入れた食材の野菜からとった種を庭の空き地に蒔いてみました。

 

芽が出たり出なかったりしますね。

 

芽が出てもまともな野菜にはなりません。

 

本で調べてみると色々な問題が視えてきました。

 

 

一つは肥料です。

 

皆さんは”肥沃な大地”という言葉に聞き覚えがあると思います。

 

ナイル河とかチグリスユーフラテス河とかインダス河とか黄河とかの

 

世界史で出てきた言葉ですよね。

 

意味はご存知でしょうか?

 

毎年定期的に河が氾濫して水浸しになる土地のことだそうです。

 

あれー?

 

もっと良い意味かと思ってましたよ。

 

なんか作物が良く育つみたいな。

 

実はそうなんですね。

 

良い意味なんです。

 

河が氾濫して水浸しになる土地は

 

いイメージですが

 

実は作物が良く育つ良い土地なのだそうです。

 

川の水というのは山のミネラルを豊富に溶かし込んでいるのだそうです。

 

そのミネラルが野菜の肥料になるのです。

 

現代の日本では河川の氾濫のい面だけをクローズアップし

 

税金のた・だ・し・い・使い道の一つである公共事業で

 

河川の治水もするので

 

人里近い河川は滅多に氾濫できません。

 

従って人間の住む土地は極めて瘦せた土地になってしまっています。

 

肥料を撒かないと作物は育たない土地にされています。

 

そして肥料は作物に吸収され収穫されるので毎年無くなります。

 

従って毎年毎年お金で肥料を買って撒く必要があります。

 

元々は手もかけずタダだった肥料に毎年毎年手間とお金が掛かるのです。

 

「肥料を撒かなきゃ野菜が育つわけないだろ!」

 

「そんなの常識だろ!!」

 

「川の氾濫なんていことに決まっているだろ!」

 

「そんなの常識だろ!!」

 

現代では多くの人がそう言うでしょう。

 

何故なら現代では既に現実化してしまっているからです。

 

現に肥料を撒かない庭に種を蒔きましたが野菜は育ちませんでした。

 

また、現代のように大金を掛けなくては建たないようにされた家が

 

河川の氾濫で床下浸水したら目も当てられないでしょう。

 

道路が水浸しになったら大金はたいて手に入れた車も走れません。

 

既に河川の氾濫は昔に比べ大ごとにされてしまっているのです。

 

 

しかしその現代の常識

 

大自然から先人が学び取った知恵ではありませんよね?

 

長い時間をかけて誰かに造り込まれた

 

大規模なカラクリの一部なのではないでしょうか?

 

 

 

 

一つは種です。

 

F1種って聞いたことがありますか?

 

スーパーのすみっコで売っている野菜の種の袋を見ると書いてあります。

 

フォーミュラーワンって何だか格好いいですね?

 

何のことですか?

 

調べてみると子供の頃持っていた動物図鑑で主役級だった

 

レオポンとかライガーのことだそうですよ。

 

確か

 

ライオンと豹のハーフがレオポン

 

ライオンと虎のハーフがライガー

 

だったですか?

 

子供の頃は気づきませんでしたが

 

これらは元のライオンや虎より1.5倍くらい巨大な動物なんだそうです。

!牛なみにでかいです。

 

実物を観たかったですね。

 

さぞかし立派で強そうだったでしょう。

 

しかし代わりに子供を作る能力がありません。

 

信濃雪ますと言う美味しく立派な川魚がいますが

 

あれなんかもF1なんですね。

 

子孫を残せない代わり

 

そのエネルギーを自分を大きくすることに使っているわけです。

 

F1種も全く同じです。

 

原種よりも1.5倍くらい大きな作物が出来ますが

 

代わりに種なしです。

 

仮にあっても蒔いてもろくに育ちません。

 

だから私がスーパーの野菜から採った種を庭に蒔いても育たないわけです。

 

伝統野菜などの昔の野菜は、小ぶりですがとても味が良いと感じます。

 

栄養価も100倍くらい高かったと書いている研究者もいます。

 

当たり前ですね。

 

F1は元の野菜とその近縁種の雑草などのハーフですから。

 

 

収穫した昔の野菜から採った種は蒔けば育ちます。

 

サステイナブルなんですね。

 

楽に持続可能な産業だったんです。

 

私はTVの時代劇の影響で

 

昔の農業はとても非力というイメージを持っていました。

 

まあ農家の暮らしは実際大変だったかもしれませんが

 

暮らしが大変だったのは搾取のせいですよね。

 

逆に考えると

 

皇族や貴族、武家、職人、商人、etcなどの

 

自給自足能力ゼロの膨大な数のお荷物を食わせてやれるほどの絶大な余力を

 

原始的な農業は持っていたことが分かります。

 

 

しかし昔の野菜は余り一般には流通しません。

 

大きさが農協の基準値に達しないからです。

 

品とされ取り扱ってもらえないらしいですね。

 

つまりF1でないと流通できないようになっていたのです。

 

従って農家さんはF1を使うしかなかったんですね。

 

種が採れないので毎年毎年種を買わなければなりません。

 

元々タダだった種を毎年毎年お金を出して買わなければならないのです。

 

聞くところによるとF1種の大元は一つの企業だそうです・・・

 

 

一つは農薬です。

 

私が子供の頃ベトナム戦争がありました。

 

ベトナムはジャングルをうまく使いアメリカをきりきり舞いさせました。

 

アメリカはジャングルを無くすため枯葉剤を開発したそうです。

 

枯葉剤は人体にも悪影響を出すものでした。

 

それが現代の除草剤の原型だそうです。

 

戦争のために開発された人を*す兵器としての毒ガスは

 

その殺傷力をハエを使って検証していたそうです。

 

お察しの通りそれが現代の殺虫剤の原型だそうです。

 

どちらも莫大な開発費が掛かっています。

 

戦争が終わって償却できなかったので

 

用途を変えて償却し儲けを生む事にしたそうですね。

 

ではどうして?

 

現代の農業はこんなにたくさん

 

そんな薬剤を必要とするのでしょうね?

 

 

恐らく広大な農地を単一作物だけで埋める農法が

 

誰かに推奨されて普及して常識になっているからではないでしょうか?

 

庭は、キク科ばかりで埋めたりバラ科ばかりで埋めたりすると

 

病気や害虫が発生しやすく全滅し易くなるそうです。

 

もし広大な農地を単一作物だけで埋めて

 

農薬を使わないと病気や害虫が発生し作物が全滅する可能性があります。

 

それだけでなくお隣さんの農地にまで病気や害虫が広がるかも知れません。

 

だから農薬を撒かないことはまるで事のようになっているのです。

 

 

昔のように作物に多様性のある農業をすれば

 

大分違うのではないでしょうか?

 

 

 

 

どうも一口に農業と言っても昔のお百姓さんのやり方とは

 

ガラッと変えられてしまったようですね。

 

元々は知恵さえあれば大自然に働きかけるだけで

 

自給自足プラスアルファが出来ていたはずが

 

資本金とランニングコストが必須の事業にすり替えられていますよ。

 

これでは第一次産業でも何でもないのではないでしょうか?

 

モノの本によると最初の東京オリンピック頃に

 

現在の農業関連のキャッシュフローシステムが完成してしまったようです。

 

 

 

ここから現代における

 

いわゆるの正体が何かが視えてきます。

 

キャッシュフローシステムの邪魔になるモノに

 

というラベルが貼ってある

 

と推測できるのではないでしょうか?

 

その観点からあらためて法律を視てみると

 

何故?これが罪が重くあれが罪が軽いのか?

 

今まで生理的な正義感では納得できなかった点が

 

矛盾なく納得できてしまいました。

 

やれやれですね。

 

 

また現代における常識とは何かも視えてきます。

 

キャッシュフローシステムを永続化するために

 

人々に信じ込ませていると都合が良い洗脳に

 

常識というラベルが貼ってあると

 

推測出来るのではないでしょうか?

 

「チョット待った

 

常識は庶民の中から自然発生するのでは?」

 

確かに一見そう見えますよね。

 

しかし多くの人はTVや新聞などのマスメディアから

 

常識というラベルが貼ってある情報をゲットしているだけなのではないでしょうか?

 

常識は、権威の言うことを鵜吞みにする権威主義者が多いと

 

正義を騙る強引な圧力と化して、周囲の人を圧迫します。

 

バイオパワーです。

 

その権威主義者の正体は、権威に依存する依存症だと私は思います。

 

薬物依存症が薬物無しでは生きられないように

 

権威主義者は権威無しでは生きられないのです。

 

「俺のバックを誰だと思ってんだ。」

 

とチンピラが言うのと全く同じなのです。

 

つまり権威主義者とはチンピラなのだと思います。

 

そして現代は依存症だらけの依存症社会なのだと感じます。

 

私は小さな子供の頃

 

太平洋戦争の頃の日本人は

 

「天皇は神様だから神様のやるこの戦争は正しい。」とか

 

「神様の戦争の応援をしない奴は非国民だからみんなでぶっ飛ばせ。」とか

 

(馬と鹿だったんだろうなあ。)

 

(多分学校教育が充分に普及していなかったんだろうなあ。)

 

(だから自分のアタマで考えられず

 

オエライサンが馬を鹿だと言ったら

 

馬を見て鹿だと言うんだろうなあ。)

 

(馬を見て馬だと言う人を憲兵に売り渡すんだろうなあ。)

 

(今の日本人は学校教育が普及して

 

自分のアタマで考えられるようになって

 

本当に良かったなあ。)

 

と思っていました。

 

しかし

 

コロナ禍の今を視ると・・・