こんにちはurahaです。

 

今日は寒いのでポトフを作りました。

 

中々美味しかったですよ。

 

 

 

 

 

 

 

空手の突きは板や瓦も割るくらい威力があるので

 

ボクシングのように長時間のパンチの打ち合いにはならず

 

一撃必殺です。

 

 

 

 

 

 

 

そんな甘いわけないですよね。

 

ボクサーもやればパンチで板や瓦を割るでしょう。

 

ただ拳が大事なのでやる人がいないだけでしょうね。

 

そもそも板や瓦が割れるくらいでは一撃必殺には程遠いことは

 

空手をやっている人なら誰でも分かっています。

 

 

またボクサーにもワンパンチKOが出来る人がいますしね。

 

 

 

勿論空手家にもワンパンチKO出来る人もいますが

 

空手を習えば必然的に出来る様になるわけではないないですよね。

 

では何故?空手はことさらに一撃必殺などと言うのでしょう?

 

空手は柔術や居合などと並ぶ武道の一種ですよね。

 

武道は別名”動禅”とも呼ばれます。

 

禅の一種なので矛盾問題に取り組む修行なんですね。

 

武道は不立文字でもあります。

 

従って矛盾問題は型として出題されていると言えるでしょう。

 

空手の型が伝える矛盾問題とは何でしょうか?

 

そうですね。

 

”丸腰で単独の私が

 

武器を所持した複数の殺意ある敵に

 

取り囲まれているという

 

絶体絶命の状況から絶対に生き残る”

 

という矛盾問題などどうでしょうか?

 

大体空手の型のイメージではないですか?

 

この状況をリアルにイメージしてみて下さい。

 

 

 

どうですかね?

 

助かる気がしないですよね?

 

かつて達人大山倍達氏は

 

「素人相手なら何人相手でも大丈夫だ。

 

しかしちょっとでも空手をやった者が相手だと二人でも難しい。」

 

と言うような事を著書で仰っていました。

 

私は達人ならもう少し行けそうなイメージを勝手に持っていたので

 

当時習っていた空手の二人目の師に

 

「そういうものですか?」と尋ねました。

 

「いや、私の場合は素人相手でも4人いたらキツイ。」

 

師は若い頃100人以上を率いる暴走族のリーダーでしたので

 

実体験から仰っているようでした。

 

ご本人は否定されていましたが私の眼には

 

師は紛れもない達人でしたので

 

達人でも素人4人はきついくらい

 

大勢に囲まれると言うのは難しい状況なんだなあと

 

受け取りました。

 

実際私は以前から型を打つたびに

 

前後二人に挟まれたら

 

(絶対助からないよなあ)と思っていたのです。

 

正面の相手に一瞬でも手こずっていたら

 

背面の相手に攻撃されてお終いでしょう。

 

私が若い頃、一人で大人数と喧嘩した時は

 

取り敢えず全力疾走で最寄の交番に向かって逃げました。

 

囲まれたらアウトだからです。

 

全力で追ってくる奴は普通一人だけです。

 

そしてそいつはその中でも一番弱い奴です。

 

戦える強い奴ほど用心深いのでゆっくり追ってきます。

 

戦えない癖に数に油断しているお調子者が

 

無抵抗な弱い者をいじめるつもりだから全力で追ってくるのです。

 

簡単にボコれます。

 

その調子でやれば理論上は1対1の繰り返しで済みます。

 

大抵は先頭のお調子者をボコれば逃げ切れるでしょう。

 

用心深い奴は逃げ切ってもらった方が喜ぶものです。

 

無傷で武勇伝が手に入りますからね。

 

 

しかし空手の型が孕んでいる矛盾問題は

 

武器を持った大勢に

 

既に囲まれていると言う前提なのです。

 

一瞬でも正面の相手に手こずったら

 

背面や側面の相手にやられてアウトです。

 

その時にハタと気付いたのです。

 

”空手は一撃必殺”ってそういう意味だったのかと

 

そうです。

 

武器を所持した大勢に囲まれて生き残りたかったら

 

最低限、一撃必殺だけは出来ている必要がある

 

 

 

 

 

そう言う意味だったのです。