こんにちはurahaです。
今日は京都に出ている娘が帰ってきました。
皆さんはいかがお過ごしでしょうか?
武道と武士道は全く違うものです。
どちらかと言うと真逆の思想だと思います。
武士道は城勤めのサラリーマンの心得の事です。
武士と言う名称には
武術の専門家としての側面と
城勤めのサラリーマンとしての側面の
2面性があるのです。
言葉のトリックと言えます。
武術の専門家としての武士の中の武士である宮本武蔵は晩年まで
城勤めのサラリーマンとしての武士は嫌がっていた節があります。
晩年、武士道精神みたいなことも書いていますが
雇い主からの依頼に応えただけだと推測します。
色々大人の事情があったのでしょう。
武士道はあからさまに
殿(雇い主)が武士(従業員)を支配しやすくする為の奴隷洗脳教育ですよね。
そんなもん武の達人がわざわざ後世に書き残したいでしょうか?
武士道の元をたどれば儒教です。
格付けを特徴とします。いわゆるピラミッドですね。
格に拘束され自己犠牲することを誇りに思うように躾けます。
人類史上最悪の発明の一つカースト制度と兄弟と言えるでしょう。
パワハラや承認欲求、自己犠牲を悪と認識できるようになってきた
現代人の感覚からすると悪そのものですが
武士道と言う耳障りの良いネーミングが功を奏してか
レトリックに引っ掛かって中身に興味のない人が多いのか
未だに大人気ですね。
名付け親天才ですね。
というか日本人は未だに無意識レベルで儒教にぎっちぎちに縛られてる人が
多いだけなのかも知れません。
「お前は立派な奴隷だ」と褒められるべく律して生きて
認めてもらえると何が誉れなのでしょうか?
私には理解できないのですが。
まとめると
武士道とは
奴隷教育を
美学に見せかけたモノ
と言えます。
一方
武道は動禅です。
武道は禅の一種なのです。
元をたどれば仏教です。
さらにさかのぼれば釈迦が修行したバラモン密教でもあります。
禅なので矛盾問題に取り組む修行なのです。
一般的に矛盾問題は具体に縛られている間は解けないようですね。
抽象度を上げ具体の縛りから自由になることで解けるようです。
実は抽象度を上げ自由になる事が真の目的なのだと思います。
抽象度が上がると自己犠牲無く全体に貢献できるようになるそうです。
つまり貢献と自己犠牲は似て非なるものなのです。
騙されてはなりません。注意深さが特に必要な所です。
貢献はランナーセンタードで自由なのですね。
この様に武道の矛盾問題は自由になる為の矛盾問題なのです。
武道は自由になるためのツールなのです。
矛盾問題は型という表現で出題されています。
武道は不立文字だからです。
ちなみに私は仏教の回し者ではありません。
仏教も一部の仏教のような地獄を使って脅すやりくちは嫌いです。
本来の仏教は怪力乱神を語らずと言って
地獄のような作り話を禁じているのです。
日本人は無宗教な所が取り柄とも思いますが
そのせいか各宗教が出鱈目になってしまっているように見えます。
また私は日本人ですが儒教以外は韓国の文化も好きです。
若い頃にフランス料理、スペイン料理、イタリア料理、無国籍料理などの店で働いて
色んな国の方々と触れ合ってきた事もあるので
国で人を差別する人間にはなりたくないと思っています。
私は宗教全般に対して一定の距離を保って研究するスタンスです。
日本に仏教伝来した時
同時に相撲も伝来したそうです。
当たり前ですね。
当時から中国で仏教僧と言えば
インドの達磨が伝えた武の修行僧です。
現在の少林拳ですね。
すもうは相撲る(あいなぐる)と書きます。
拳法のことですよね。
各地の寺で相撲=拳法は伝承され
寺の普請の時は村人にお披露目をし
布施(お金)を募ったそうです。
勧進相撲ですね。
元々は相撲取りは僧だったのです。
各時代で金剛力を修得した有名な僧が出ています。
例えば
平安時代の武蔵坊弁慶
幕末~明治時代の拳骨和尚
などですね。
江戸時代の有名な僧,沢庵和尚は
将軍家兵法指南役の柳生但馬守と
起倒流柔術開祖の茨木俊房に
武道の極意を授けています。
武道家は元々は僧だったんですね。
江戸時代に興行師が仏教僧の勧進相撲に目を付け
全国の強豪を集め興行を打ちました。
現在の大相撲のもとになったそうです。
江戸時代に出た名横綱が
死人が出やすい危険な直突きと前蹴りの禁止を呼びかけ
現在の相撲のようになったそうです。
死人がたくさん出るほど危険な戦いだったわけですね。
この様に仏教はまず武道修行をやるものだったのです
僧とは決して現在のような墓場利権の受益者のことではありませんでした。
僧はまずは武道修業者だったのです。
仏教と武道は近代のどこかで意図的に切り離された
もしくは繋がりを隠されたのでしょうね。
まとめると
武道とは
能力開発
と言えます。
KJ法では文化は伝搬した最も遠い場所にオリジナルが保存されている
と言われているそうです。
もしかすると日本の大相撲が
中国の少林拳のオリジナルの姿を保存しているのかも知れませんね。
発勁用意!