警告: 

 

              釣りではありません。

             

             苦手な方はご遠慮くださいますよう

             お願い申し上げます。

 

 

 

 「今日さあ、

夜の部一人しか来ないんだよね。

可哀想だから、

君、

残って一緒に稽古できるかな?」

 

 いつも優しく面白い空手の先生が、

道衣に着替えながら、

にこやかにそう訊いてきました。

 

 「押忍、大丈夫です。

自分残れます。」

 

 私もにこやかに答えました。

 

 その時、いつも明るい先輩方の顔色が、

一瞬で真っ青に変わるのを、

私は、見逃しませんでした。

 

 「押忍、失礼します。」「押忍。」「押忍。」「押忍。」・・・

みんなうつむいて、

そそくさと帰って行きます。

 

 何か変だな??

 

 直感がささやきましたが、

次の瞬間,

先生の背中に気を取られてしまいました。

 

 いつも先生はジャージを着ていたので、

ちょっと太めの人だなと思っていたのですが、

脱ぐと肩幅が異様に広く、かつ、

極端ななで肩という特異なシルエットで、

特に、肩甲骨周りが、

{なんというか上品な表現が思いつかなくて申し訳ないのですが、

当時の私が思った感想を正直に書かせてもらいますと、}

おばあさんのオッ*イのように垂れ下がっていました。

筋肉量も凄いのですが、

脱力具合が尋常でなく、

写真や動画でも見たことない

物凄いヒットマッスルだなと

見とれてしまったのです。

 

 「夜の部まで時間があるから、

折角だから組手を教えてあげよう。

私の組手は、

世界最高峰の組手だから、

しっかり学ぶように。」

 

 私は(これってヤバイんでは?)と感じつつも、

同時に(何か凄いモノが見れるんでは?)

という予感でワクワクしていました。

 

 「君は、

目突き

金蹴り

何やっても良いので

こ*すつもりで掛かって来てください。

私からは攻撃しないので安心して掛かって来るように。

では、

始め。」

 

 そんなことを言われても恨みもないのに中々できるもんではありません。

取り敢えず威力に自信があるローキックの連打をしました。

猫足立ちの前足だけで軽く脛受けされました。

 

 ローキックばかりでは能がないので、

ローと見せかけてミドルキックを出した瞬間、

天地がひっくり返って床を舐めていました。

何をされたのかサッパリわかりません。

しかし恐ろしい話が脳裏によみがえったのです。

 

 「師範の円受けは、凄いんだよ。去年の夏合宿の自由組手の時、俺の直前の奴が投げられてお腹に踵蹴りを食らってゲーゲー吐いたんだよ。だから俺は投げられた時必死でよけたんだ。そしたら道場の床に足の形に穴が開いたんだよ。」

「そんな、マンガじゃあるまいし。」

私は、そう言って周りの先輩方を見回すと、

皆さんうんうん頷いているのです。

「そこだけ色が違うでしょう?暫く穴が開いたままだったんだよ。」 

 

 私は、全力で転がって

出来るだけ遠く逃げました。

素早く立ち上がって構え直すと、

先生は、チョットだけ感心しているように見えました。

  

 再び、先生と対峙はしたものの、

どうにもこうにも、

私の中から何も攻撃が出て来ません。

 

 暫く先生は、待っててくださったのですが、

もうこれ以上待っても何も出て来ないことが分かったのでしょう。

 

 先生は、終わらせにかかったのです。

 

 股間左側に3回激痛が走りました。

組手の最中でもどうしても前をおさえて前屈みになってしまうものなのです。

 次の瞬間、

首と肩を極められて顔面に膝蹴り5連発。

 多分その時の私を他人が正面から見たら、

全身一色でコーディネートした、

悪趣味な人だと思ったことでしょう。

 そのまま投げられ即踏みつぶされそうになりましたが、

これも間一髪転がってよけました。

 

      (こ*される)

 本気でそう思ったのは、長い人生でこの時だけです。

      (生き残るために戦わなければ)

 私は、必死で立ち上がり反撃のローキックを出しました。

勿論簡単に受けられてしまいましたが、

先生は、珍しい生き物を見るような目で私を見たのです。

 

 「止め。」

 

 先生の顔に微笑みが浮かんでいました。

私は、生き残れたんだと思いました。 

 

 どうして先生は珍しいモノを見たような表情をされたのだろう?

どうやら未だかつて先生に金的をつぶされて反撃した者は、

一人もいなかったようなのです。

 

 私は、中学生の時にイジメに合っていました。

  

 2年間位続いたでしょうか。

 

 無抵抗で暴力を振るわれていれば、

いつか飽きてくれるのではないかと、

淡い期待をもっていたのです。

 

 当時、教師たちは、

授業中に教室でシンナーを吸っている彼ら不良グループに、

何も言えない状態でした。

 私の助けになるような力は、

望むべくもなかったのです。 

 私に暴力を振るっていた男は、

不良グループのリーダーで、

別格の存在でした。 

 

 両親に心配かける気にもなれません。

 

 私の様子がおかしいと気づいたのは四つ年上の兄でした。

 

 「お前いじめられてるのか?」

「うん。」

「そうか、じゃあついて来い。」

 

 兄は従兄から松濤館空手とキックボクシングを習っていましたが、

「空手は教えられるほど上手くないから、鍛え方を教えてやるよ。」

と言って近所の山での自主トレに付き合わされたのです。

 

 最初は正直億劫でしたが、

次第に夢中になり、

兄がいない日も、

台風の日も

自分から山に通うようになっていました。

 

 1年近く鍛えた頃でしょうか、

 (いじめられっぱなしは嫌だ。

負けるだろうし、

もっとひどい目にあうだろうけど

、戦わなければ。

 と心境が変化したのです。

 

 実際負けましたし、

いつも以上にやられましたが、

何と

反撃に出て、

たった二日で、

 

   イジメが終わったのです。

 

 なぜでしょう?

なぜ永遠に続く気がしたイジメが、終わったのでしょう?

 

     ”いじめとは、

      戦う覚悟がある者と戦うこと、

      ではなく

      戦う覚悟がない者をなぶること”

 

 なのではないでしょうか?

であるならば、

 

 戦う覚悟を持てれば、

いじめは成立しないことになります。

 

 この時私は、

 

 ”勝てるかどうかは二の次で、

まづは、

生きるために戦う覚悟が必要だ”

 

 と学んだと思っています。 

  

 兄には、本当に感謝しています。 

巷にあふれる、愛というラベルが貼られた共依存ではなく、

アドラーの言う愛(愛とは自立を目的とした技術である。)を、

私にくれたのだと思っています。

 

そして

 “心を強くするために

先ずは、体を強くする”

ということに気づけたのです。

 

 痛む股間をかばうため、

片足を引きずり引きずり、

いつもの3倍の時間をかけて帰りました。

 

うちに着いて速攻で確認したところ、

 そのあたりはあざになり、

 袋の中の、玉の膜が破れ中身が少し出ているようで、

 玉の形が、ピーナッツのように変形していました。

 その日のうちに確認しましたが、

幸い、

使用上の問題は何もありませんでした。

 19歳だったので、恥ずかしさもあり、

医者には行きませんでした。

(皆さんは医者に行くことをお勧めします。)

 一か月以上痛くて片足引きずっていたのを覚えています。でも、

   

     安心してください!

 

 結婚して2人の子供を授かりました。

 今ではもう2人とも大きくなり私たち夫婦の手をはなれました。

 

 イジメの話も

 タマが片方潰れた話も

 

 今では

私の心の中の

特別な場所を占めているのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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