(「その1」の続き)
細かい部分をまとめてみます。
母親のとも子さんが運営されているHP(以下、「母親HP」)や、
去る10月27日に放送された日本テレビ『ザ!世界仰天ニュース』(以下、『仰天ニュース』)、
その他メディアの記事、ユーチューバーの方々の現地調査報告等を参考にさせていただいてます。
(母親HPについて、時系列などについては、とも子さんによると、「当時を思い出しながら記録しています。数分から5分程の誤差はあるかもしれません」とのこと。)
■ キャンプ参加までの経緯
キャンプは9月21(土)~23日(月)の3連休を利用した2泊3日の計画だった。
もともと、美咲ちゃんが通っていた成田小学校では9月21日(土)に運動会が予定されており、この運動会で美咲ちゃんはリレーの選手に選ばれ、家の周りを何周も走って自主トレするなど楽しみにしていたとのことだが、台風17号の接近により運動会は9月24日(火)に延期となった。
この延期を受け、また、同じ市内に住むママ友に誘われたこともあり、小倉家は、仲間が計画していた2泊3日のキャンプに合流することを決めたのだという。)
■ キャンプ参加者について
当日、同じグループでキャンプに参加していたのは、7家族、計27人。
母親HPによると、これらの家族は、親子ぐるみの付き合いで、年に2~3回一緒にキャンプに行ったり、普段から泊まりにいったりする仲の、子育てサークルのメンバーであるという。
7家族(27人)の内訳は以下
小倉家3人(母・子2人)
A家4人(父・母・子2人)
B家5人(父・母・子3人)
C家5人(父・母・子3人)
D家4人(父・母・子2人)
E家3人(母・子2人)
F家3人(父・母・子1人)
計27人(父親5人、母親7人、子15人)
さらにネット情報によると、子供15人の内訳は、小学生12人(小6~小1)とそれ以下の幼児が3人であり、美咲ちゃんの同級生も数人いたとのこと。
■ キャンプ初日(行方不明発生)からの経緯
2019年(令和元年)9月21日(土)、午前7時00分頃: 千葉県成田市の実家を車で出発。
この日キャンプ場に向かったのは、母親と、長女(美咲ちゃんの3歳年上)、次女の美咲ちゃん。
父親は当日仕事が遅くまであり、翌日から合流予定だった。
午前9時00分頃: キャンプメンバー(美咲ちゃんの母親のママ友)の一部が道志村の「民宿旅館・椿荘」に到着し、椿荘オートキャンプ場入場の受け付けを済ませた。
椿荘オートキャンプ場は「民宿旅館・椿荘」が経営しており、オートキャンプ場の予約や入場前手続き、物品の貸し出し等は「民宿旅館・椿荘」で行う必要がある。
(椿荘HPの下の表によると、連休時や、車3台以上の場合は予約が必要。「連休時でなおかつ車3台以上の場合は予約が必要」とも読めるが)。
「民宿旅館・椿荘」で受け付けを済ませたママ友は、美咲ちゃんの母親に「受け付けは済ませたので、直接オートキャンプ場に入ってきて大丈夫だからね」との電話を入れた。
12時15分頃: 小倉家がキャンプ場に到着した。
小倉家を含むグループキャンプのメンバー(7家族、計27人)がテントを張った場所は、「南の森キャンプサイト」の東側に隣接している大きな広場であった(正式な名称は「東の広場」という)。
この7家族のほかに、当日、どれくらいの数の人間がキャンプをしていたのかということについて、気になるところだと思う。
この点、『仰天ニュース』によると、「この日は40か所あるテントを張れる場所のうち、半分ほど埋まっていたという(ナレーション原文ママ)」とのこと。
ただ、この「40か所のうち」という部分については、「民宿旅館・椿荘」のHPによると、椿荘オートキャンプ場の「オートサイト」は「60区画」とのことであり---なぜか同じHP内に「オートサイトは70区画」という文言も見られるのだが---いずれにしても椿荘HPの説明によると、「車をとめテントを張れる区画は、全部で60~70区画程度存在する」ものと思われる。
ちなみに、椿荘オートキャンプ場の案内図を見ると、番号が付いている区画だけでも68区画ある。
このキャンプ場には、「南の広場」「東の広場」などの「広場」が何か所かあるが、そうした「広場」には番号は付されていない。そしてその番号無しの「広場」にも人々は---小倉さんら7家族がそうしたように---車をとめテントを張ることができる。とすると、このキャンプ場で車をとめテントを張れる区画は、「広場」を含めれば70か所以上ある、というのが実際なのかなと。
いずれにしても、当日は、東の広場にテントを張った小倉家を含む7家族(27人)のほかにも、約20か所で、ソロ・家族・グループなどのキャンパーがテントを張っていたものと思われる。
この数日前から、天気予報では台風17号の到来による天候の悪化が予想されていたが、天気予報を分析して「大したことにはならない(キャンプをキャンセルするほどではない)」と楽観的に見た人々も多かった、ということではないだろうか?
以下の図は、昨年9月19日15時での台風進路予想図。小倉家がキャンプ場に宿泊予定だった21日(土)と22日(日)などは、台風はまだこの位置とされている。当日の天気については、後でまた取り上げる予定です。
13時00分頃: グループで昼食に天ぷらそばを食べた。
(母親HPでは「13時頃から、昼食の天ぷらそばを食べた」となっているが、『仰天ニュース』では「午後1時、昼食を食べ終わると、子供たちは美咲ちゃんも含め、広場の裏にある森の中で遊び始めた(ナレーション原文ママ)」として、「子供たちが広場の裏の森で遊び始めたのが13時頃だった」として構成している。)
昼食を食べ終えてから、15時20分頃までの流れ:
昼食後、子供たちはテントを張った広場の裏(横)にある南の森で遊んだ。木を組んだり、苔をとったりして遊び、数人の大人たちが、かわるがわる付き添って見ていたという。
産経ニュースによると、このとき森で遊んでいた子供たちは12人だった。
この森は樹木の密集した視界の悪いそれではなく、下枝のよく掃われた針葉樹の森であり、樹間の視界は良好で、子供たちの遊ぶ姿は広場の大人達からもよく見通せる状況だった。
年下と思われる幼児と遊ぶ、実際の美咲ちゃんの姿も写真に残っている(下の画像)。
美咲ちゃんの部分を拡大してみると、
ユーチューバーの「プリパルライダーズ 娘とタンデム」氏が、上の画像の場所について、『間違いなく、テントを張った広場の裏の森内にある某所である』として、周囲の樹木の形状など比較画像付きで場所を特定されていた。
さてこのとき森で遊んでいた子供たちの中には、以前にもこのキャンプ場でキャンプをした経験のある子供がいた(美咲ちゃん自身はこのキャンプ場は初だった)。
その子供は、森の斜面を登れば上の林道に出られることを知っていたため、「登って上に出よう」と提案した。
この提案を受け、子供たちは森の斜面を登り、美咲ちゃんもこれに続いた。(これが、子供たちが広場裏の森で遊び始めてから、約1時間20分後のことだったという。『仰天ニュース』では、そのときの時刻は14時20分頃のこととしている。)
このとき斜面を登った子供たちの正確な人数は不明だが、『仰天ニュース』では、美咲ちゃんを含めた5人の子供が斜面を登るシーンが描かれていた)。
斜面を登り、上の林道まで出た子供たちは、その道を少し下ったところにある「椿三の橋」を渡り、「白い家」の前にある「椿二の橋」の方向に下って行った。
子供たちがこの林道で遊んでいた時の状況について、母親HPでは、「(子供たちは)南の森から白い家の周りの林道を通り、追いかけっこをしながら(道を下って行った)」と説明されている。
最終的に子供たちは、「椿二の橋」を渡る直前、「白い家」の道路向かいにある「小径」に入り(以下、「小径A」という)、そこを20m程度進んだところにいた時、大人から「おやつだよ~!」と声を掛けられ、皆で広場=キャンプサイトへと戻った(15時20分頃)。
『仰天ニュース』では、子供たちが20m程度入り込んでいたというこの「小径A」について、「子供たちがおやつ前に遊んだ場所」として、下の図を示していた。
私はこの事件では現場の見取り図の東西南北を、多くの方々が参考にされているであろうグーグルマップのそれにできるだけ合わせたいので、雑で見苦しいですが、上の画像を180度回転させてもらいます。こうなります。(地図中に私が少し補足を入れてます)
子供たちがおやつ前にいたという「小径A」は、その入り口をグーグルのストリートビューで見ることができる。非常に細く写っており、徒歩か自転車・バイクでしか通れないようにも見えるが、実際には、軽自動車程度なら進入できる道幅がある。
また、この入り口の画像からではよくわからないが、小径Aの右手下方には椿沢がよく見え、対岸でキャンプをする人々の様子もよく見える。
(下の画像は、小径Aから見た、対岸の西の森キャンプサイトでテントを張る風景)
ちなみに、小径Aを100m程度進んだところに小さな畑を含む開けた場所があり、ユーチューバーの「トキドキTV」氏による現地調査報告によると、その小さく開けた場所の北端で小径Aには柵がされ、一応の行き止まりになっている。
その行き止まりの地点の右手には小さな物置小屋があり、その物置小屋の裏手から、林の中を椿沢のほうに向かって獣道的な道がのびており、その道に分け入って少し進むと、椿沢の河原(西岸)に出ることができる。
(下の画像、数字の7の直下にある白の点線部分でその獣道的な道を示してみた。この図についてはあとでまた説明します。)
(その3に続く)