(松本清張『闇に駆ける猟銃』より)
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さて自殺後の流れについてはウィキペディアにて確認いただければと。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%A5%E5%B1%B1%E4%BA%8B%E4%BB%B6
最後に、津山事件に関して自分的にお勧めと思った本の紹介をさせていただきます。お詳しい方にとっては今更ですが、これから調べてみたいといわれる方は、よければご参考いただければと。
この事件をモチーフにした小説、漫画も多く、どれもお勧めですが、今回はノンフィクションに限定するとして、以下、出版年の古い順に紹介していきます。
● 中村一夫『自殺』(1963年)
異色の書。著者の中村一夫氏は1916年(大正5年)埼玉県生まれの精神科医。
本書約200ページ中、津山事件に言及しているのは40ページほどと多くはありません。その中で中村氏は、津山事件報告書や現地取材によって得られた事実をもとに、都井睦雄について「その自殺念慮に注目しつつ、精神病理学的分析を加え」ています。
興味深いのは、中村氏の現地取材によると、睦雄は胸の病気を診てもらっていた地元の担当医や加茂の駐在に対しては、例の徴兵検査の「丙種合格」の件で、
「本当に打ちひしがれ意気消沈した様子を見せていた」
というのであり、
巡査「まったく気の毒なくらいであった」
担当医「何度か繰り返し、そんなにがっかりせんでもいいがな、と慰めてやった」
とのことで、わたし的には、彼らは睦雄の(裏には恐るべき計画を秘めた)相手を油断させるための殊勝な演技にうまいこと騙されていたのじゃないかなあと。
また中村氏は、睦雄と同じ時期に肺尖カタルを患い2年間ブラブラしていたという隣接部落の人物にもインタビューして、断片的ながら、当時の村の肺病患者忌避の様子を聞き出しています。
中村氏はその経歴からして、津山事件を調査した時には、東大医学部の精神医学教室で教鞭をとっておられたのではないかと思うのですが、松本清張よりも早くこの事件に着目し、当時の交通不便の中で現地通いをしてまで調査する入れ込みようで、津山事件研究のパイオニアのような方でいらっしゃるかと。
専門用語が多く文章が難しいですが、本職の精神科医による分析なので貴重かと。津山事件について一般的なところをざっくり捉えたいという方にはお勧めできないかもしれませんが、この事件について少し変わった側面からの深掘りを見てみたいという方にとっては、必読の書かと。
● 松本清張『ミステリーの系譜・闇に駆ける猟銃』(1967年)
松本清張氏の『ミステリーの系譜』という作品に、
「闇に駆ける猟銃」
「肉鍋を食う女」
「二人の真犯人」
の3篇が収められており、このうち「闇に駆ける猟銃」が津山事件のノンフィクション。
基本的に「津山事件報告書」をベースに書かれているので(というか同報告書の丸写しの部分が多い)、これ一冊を読めば津山事件の概要から比較的細部に至るまでほぼほぼ把握できる。
ただし内容に細かな間違いが少なくはなく、例えばこの作品が発表された1967年当時、「睦雄の姉はすでに死んでいる」としていることなどはその一つで、前後の書き方からして松本氏が何らかの配慮で睦雄の姉をあえて「故人」としたとは読み取れず、明らかに取材不足の勘違いでそうしたのかなと。
また「基本的に津山事件報告書をベースに書かれている」とはいえ、例えばある一つの事実について報告書内の5か所に言及がある場合に、それらすべてを突き合わせて正確なところを割り出すということをせず、そのうちの1~2か所に目を通すのみで済ませてしまっているかのような部分も散見され、超の付く売れっ子作家で忙しすぎて元ネタとした「津山事件報告書」の読み込みが甘くなっていたのか、とにかく「松本清張だから、緻密に、正確に書かれているだろう」と鵜呑みにして読むのは危険なレベルかと。
しかし松本氏のこのレポートがいいのは、明らかな事実誤認や津山事件報告書との齟齬---「齟齬=間違い」とは限らないにせよ---が散見されるといっても悪意からのそれ(捏造とか)とは見られないこと、また、そうした部分も見過ごせば見過ごし得る程度の比較的些細なものばかりで、事件の核心を読み誤らせてしまうような致命的なそれではないということで、
そのあたりを承知の上で「手っ取り早く事件を概観してみる」といった姿勢で読んでみる場合は、超有名ミステリー作家の読ませる筆致でもあり、またそこそこ細かい部分まで書かれていることもあり、津山事件の入門書としては最適の一冊ではないかと。
● 筑波昭『津山三十人殺し―日本犯罪史上空前の惨劇』
初版は1981年に草思社から、改訂版が2005年に新潮文庫から出ており、津山事件報告書その他の資料や、筑波氏が現地取材して関係者から聴き取った情報を基に書かれたノンフィクションという体裁をとっており、睦雄や姉、祖母、その他登場人物による会話や心理描写に至るまで、まるで見てきたかのように微に入り細にわたって描かれています。
その詳細ぶりから、津山事件といえばまずはこの本というくらい、長らくバイブル的な地位にあったのですが、今日では著者による多くの捏造が混ざっているのではないかと批判されています(本書中、「阿部定」「雄図海王丸」「内山寿」「登場人物による会話や心理描写」・・・こういったあたりにまつわる部分に捏造の疑いがかけられていますが、詳細は割愛します)。
仮に捏造であれば特にまずいと思われるのは「阿部定」に関する部分で、筑波氏は作中、睦雄は阿部定に並々ならぬ関心を寄せていたとしてそれを示す多くのシーンを描き、その挙句に、睦雄の言葉として
「阿部定は好き勝手なことをやって、日本中の話題になった。わしがどうせ肺病で死ぬなら、阿部定に負けんような、どえらいことをやって死にたいもんじゃ」
というものを紹介し、
「だから睦雄の凶行の動機には、結核による絶望と部落民への憎悪のほかに、強烈な自己顕示欲があずかっていたにちがいない。その自己顕示欲は、空前絶後の大量殺人という形において、はじめて完成を遂げたのかもしれない」
と本書を結んでいることかと。
仮に阿部定云々への睦雄の関心が捏造であった場合、筑波氏の示したこの凶行の動機に関する見立て(「強烈な自己顕示欲による犯罪」言い換えれば「デカいことをして目立ちたいがためにやった犯罪」)も「捏造に基づくミスリード」ということになり、
「動機」という、事件の核心部をも捏造しているという点で、本書はお勧めできないを通り越して、津山事件を調べるにあたっては有害とさえいえるかもしれないなと。
にもかかわらず、これをお勧めの一冊として紹介させていただいたのは、登場人物の会話や心理描写の部分など、作り話かどうかなどどうでもよくなってくるくらいに巧みな筆致で読ませるものがあること(つまりフィクションと割り切って読めばとてもよくできている)、
さらに、文庫版(新潮文庫)でいえば311~347ページの、遺書の執筆から襲撃の開始~荒坂峠での自殺に至るまでの部分、この部分は基本的に津山事件報告書の記述をよく踏まえており、見過ごせないレベルの事実誤認(捏造)もない上に、睦雄がこの犯行で示した人間離れしたかのような爆発力が壮絶なスピード感とともに描かれており、「闇に駆ける猟銃」という題は筑波氏の本のこの部分にこそ相応しいとさえ思わせるものがあったからでした。(松本清張氏の猟銃は駆けておらず、どちらかというと「闇に歩く猟銃」かと。)
「阿部定」「雄図海王丸」「内山寿」・・・こういったワードが出てきたら、それらにまつわる話はとりあえず捏造の疑いありとして無視、
そして、登場人物の会話や心理描写については、多分に津山事件報告書の記述をベースにした作者の創作混じりであることを承知で読む、というポイントを押さえてさえおけば、
あとは津山事件報告書からの豊富な抜粋や巧みな筆致など、良いところが目立つお勧めの一冊かと。(「雄図海王丸」というのは、筑波氏が「睦雄が書いていた小説」と主張している小説で、1981年の草思社版には一部筋書きが掲載されていますが、新潮文庫版ではカットされています。)