(恨みの念により異常発達した神経「狂経脈」の力により雪代縁は主人公を一時圧倒した。津山事件の都井睦雄が最後に示した爆発力を見るとき、そのあまりの壮絶さにどうしてもこの「狂経脈」という言葉を連想してしまうのだった)
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9軒目は池沢末男宅を襲撃した。池沢家は村の東端の坂道を上った高台にあり、戸主の末男(37)とその妻宮(34)、二男彰(12)、三男正三(9)、四男昭男(5)、末男の父母の勝市(74)とツル(72)がいた。高等小学校の生徒だった長男の肇(14)は、伊勢神宮へ修学旅行中で不在だった。
ここは睦雄が最も恨む女の一人である寺井マツ子の実家であり、当のマツ子は事件直前に一家をあげて京都府愛宕郡花脊村に逃走したため、逃げたマツ子への殺意がその実家にまるごと向けられた形となった。戸主の末男は丹羽卯一宅方面で響いた銃声に目を覚まし、なにごとならんと表雨戸を開けて眼下の様子を窺っていると間もなく三つ目の怪物が
「殺すぞ! 殺すぞ!」
と大声で連呼しながら物凄いスピードで坂を駆け上ってくるので、腰を抜かしそうになったという。末男が家族に逃げよと叫んで裏の雨戸を開けおもてに飛び出したとき、睦雄が早くも家の裏手に回り込んで逃げる末男の後方から銃を乱射し始めた。末男が竹藪に飛び込み身を潜めると睦雄はこれを深追いせず、代わりに開いた裏戸から屋内へと躍り込み、逃げ遅れた家族に向って発砲を始めた。結果、末男の妻・宮と四男の昭男、末男の両親の勝市とツルがそれぞれ胸腹部・背部・腕部等に猛獣弾を1~6発ずつ撃ち込まれて殺害されたが、次男の彰と三男の正三は就寝した状態でなぜかかすり傷一つ受けずに助かった。裏の竹藪に身を潜めていた末男は左膝に軽微な擦過傷を受けたが、間もなく急訴のため加茂の駐在所へと裸足で駆け出した。
事件後、坂下に住み襲撃を免れた西川昇という人物---この人物は村役場の書記をしており、睦雄は徴兵検査を受ける際にこの人物に対して「自分は結核です」と自ら申告して驚かせたことがあった---が語ったところによると、次々と鳴り響く銃声に不審を抱き、裏戸を細目にあけて外の様子をうかがっていた時、この池沢方と思われる高台の方面から
「撃つぞ!」
という裂帛の絶叫が聞こえてきたという。この村役場書記は一連の銃声の主が睦雄であることは察しが付いていたが、戸締りを厳重にして家族を床下に匿い、断続する銃声に幾度か身の危険を意識しつつも、
「もし睦雄が侵入してきた場合には、せめて何の遺恨の殺傷沙汰ぞと問いたい。理不尽に殺害されるのは遺憾だから」
と、心を決めていた。
その妻女は---時刻は不明ながら---何者かが同家の黒い板塀を叩く音を聞いた。翌朝戸を開けてみると、睦雄が同家への侵入を迷いつつ歩き回ったものか、縁先に点々と血痕の滴っているのを発見したという。
(黄色が9~11軒目に襲撃された家)
10軒目は寺井倉一宅を襲撃した。睦雄は池沢末男宅前の坂道をもと来た方向へと駆け下り、下りたところで今度は下茅越へと通じる南東の道へと身を転じ、重さ約4kgのブローニングを抱えたまま急な坂道を一気に200メートルほど駆け上がった。天狗寺山の登り口に近いそこに村の分限者である寺井倉一(61)の立派な石垣を構えた家があった。倉一は金の力で村の女たちの肉体を引き寄せ、睦雄の恨みを買っていた。この家には倉一のほかに、妻のはま(56)、長男の優(28)がいた。
睦雄が表門の付近に到達した時、妻のはまは外の騒ぎをいぶかり、蝋燭の灯を片手に廊下の雨戸を開けておもてを見渡していた。
その瞬間、睦雄のブローニングが轟然と火を吹いた。
弾ははまの右肘に命中したが、気丈なはまは痛みをこらえて雨戸を閉め、駆け寄った倉一とともに戸を押さえ睦雄の侵入を防いだ。
睦雄は開けろと喚きながら戸を乱打していたが、開かぬとみるや雨戸に向かってめくら滅法に5発を撃ち込んだ。うち1発がすでに傷付いたはまの右の前腕に再び命中、たまりかねた倉一は2階に駆け上がってガラス窓を開け、眼下の集落に向かい
「人殺しじゃ! 助けてくれ!」
と声を限りに絶叫した。獣の咆哮にも似たその声は集落中に響き渡ったという。その声に向かい睦雄は2~3発を撃ち掛けた。倉一の声はそこで途切れたが、弾は逸れて軒に当たり、屋根瓦を貫いて夜の闇に飛散した。
死の直前に書いた遺書からしても、睦雄は弾が外れて倉一を討ち洩らしたことに気付いていたものと思われる。にもかかわらず、ここでは追手の迫るのを気にしていたのか、それ以上の深追いをせず、屋内への侵入を見合わせて立ち去った。倉一と息子の優は命拾いをしたが、右腕を射抜かれたはまは事件後に医師より手当てを受けるも、出血多量のため約12時間後に息を引き取った。
11軒目は坂元部落にある岡本和夫宅を襲った。ここは貝尾から北西へ坂道を延々と下り、真福寺の横を抜けた先にある三差路に近い場所にあった。しかし睦雄は平素人々が用いる坂元までの生活道路をとらず、倉一宅の付近から西に広がる山中へと分け入り、そこに伸びている獣道を辿って岡本宅を目指した。
あたりはすでに騒然としており、貝尾を脱出して駐在に走ったとみられる者たちもいた。坂元まで生活道路(いわば集落の大通り)を辿れば、駆け付けた駐在などと路上で鉢合わせる危険もある。そうした時のために、睦雄はあらかじめこの獣道を研究していたものと思われた。夜更けに2キロ近いその道を迷うことなく駆け抜けたのである。
目指す岡本宅には戸主の和夫(51)と妻みよ(32)がいた。睦雄は事件後、村の多くの女性と肉体関係があったと噂されたが、噂レベルではなく確かにその関係にあったといえる数少ない女性の一人が、この岡本家の妻みよだった。前年の末以降、睦雄の夜這いを受け入れ関係していたのである。しかしこのところは夫の和夫が睦雄の親族に苦情を申し入れ対策を要求するなどひと悶着起きており、それでも性懲りもなく夜這いを仕掛けてくる睦雄からみよを隠す一方で、みよ本人は村の金持ちである寺井倉一とは肉体関係を維持するなど、睦雄の怒りと嫉妬を買い殺意の対象となっていた。
警察の調べによると、睦雄は襲撃した戸毎に大声で家人の名を呼び自己の到来を告げつつ躍り込んだともいわれているが、ここ岡本宅でも和夫とみよの名を怒号しながら踏み込んだものと思われた。
現場の状況から、和夫は当夜、表六畳の間まで出てきて、睦雄撃退用に津山で買い求めていた空気銃で応戦したものとみられている。坂元部落は停電は免れていたため(停電は貝尾のみ)、もし和夫が睦雄の怒号に目を覚まして部屋の灯りをつけ、
「また都井が来たのか。今日という今日は思い知らせてやる」
とばかりに空気銃を手に表六畳の間に出たのであれば、灯りの中に浮かび上がった朱に染まった睦雄の異形に、腰を抜かさんばかりに驚いたかもしれない。
9連発ブローニングで武装した睦雄の前には空気銃は文字通り「空気」に等しく、和夫は為すすべもなく猛獣弾4発を撃ち込まれて即死した。妻のみよも、奥の間の縁側から戸外に逃走を図るも、背部と腰に3発を浴びて絶命した。
一連の襲撃はこれで終了した。
時刻は午前3時頃、襲撃開始から約1時間半が経過していた。