(赤矢印は睦雄の武器調達の関係)
「その7」の続きです。
弾や火薬関係を調べてみました。
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● 「実包(じっぽう)」
実包とは、銃に装填すればいつでも発射できる状態の、いわば発射準備OKパッケージのこと。
ショットガン用の実包を
「ショットシェル」
「装弾」
といった風にも呼ぶらしいが、ここでは一般によく知られ、なおかつ津山事件報告書でも用いられている「実包」という呼び名で統一します。
ショットガン用の実包は、下図のような構造になっている。
睦雄はこの実包を自作した。
自作に必要な部品としては、
1. 薬莢(ケース)
2. 雷管
3. 発射薬(ガンパウダー=火薬)
4. ワッド/ワッズと呼ばれるフェルト~厚紙、羊毛、プラスチック等々の素材でできた詰め物
5. 弾丸(つぶつぶの散弾か、一発モノのスラッグ弾)
おおむねこういったところ。
1の「薬莢」については、津山事件報告書では「ケース」と呼ばれているので、その呼び名で統一します。
1~3については、睦雄は3月の家宅捜索時に狩猟免許を取り上げられていたので、狩猟免許を有する知人に頼んで、津山の片山銃砲店から「雷管付きの紙薬莢(紙製のケース)」100個と、「マーズ無煙火薬」1缶200グラム入りを購入してもらっている。驚くべきことに、当時は、狩猟免許を提示しなければ買えないのは「火薬」と「雷管(付きケース)」のみで、銃本体や弾丸は狩猟免許を提示しなくても買えたという。睦雄は火薬と雷管付きケースについては人に頼んで購入してもらったが、銃本体や弾丸、実包作成のための機械については自分で購入した。)
4の「ワッズ」(火薬と弾丸の間に配置する、仕切りのようなもの)については、津山事件報告書には出てこず、睦雄がどうしていたのかは分からないので、ここではスルー。
まず、薬莢(以下「ケース」と言う)について、下はショットガンのケースの一例。
画像のケースは使用済みのもの。
しかしこうしたものでも状態さえよければ、また底部に雷管を取り付け、中に火薬や弾丸を詰め、専用の機械で口を閉じることで再利用ができる。
画像のケースは100個なので、睦雄が津山の片山銃砲店から入手した個数と同じということになる。
見たところ素材はプラスチックっぽいが、真鍮製の高そうなケースもある(下の画像)。こうしたものは何度もの再利用に堪えるらしい。
しかし中には紙製のケースというものも存在し(下画像)、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%99%E8%A3%BD%E8%96%AC%E8%8E%A2
(紙製ケースのウィキ)
睦雄が入手したのは、その紙製のケースに既に雷管が取り付けられているものだった。
その「雷管」とは、次の画像のような小さなもの。中には起爆薬が詰まっている。
この雷管という部品を、ケースの底に取り付ける。(睦雄はすでに雷管取り付け済みのケースを100個購入した)
下は、雷管が取り付けられたケースの一例。
こうして雷管を取り付けたケースに、火薬や弾丸を封入し、専用の機械でケース先端部の口を閉じると、「実包」と呼ばれる発射準備OKパッケージが出来上がる。
下の画像は、左がポンプ式詰替器、右が口巻器。睦雄は---画像のものと同型かは不明ながら---こうした機械もガンショップで購入していた。
天井裏に設けられていたという秘密室にこもり、ポンプ式詰替器でケースに火薬を詰め、口巻器でケース先端の口を閉じながら、実包を自作したものとみられる。
事件後に、残されていた実包を解いて検査したところ、一発につき2グラムの火薬が充填されていた。
下はショットガン実包の完成品の一例。
この実包では、弾丸に一発モノのスラッグ弾が使用されている。
スラッグ弾がケースの外にこぼれ落ちないように、ケース先端がクルクルっと内側に巻かれているのが確認できる。こうした成形は先の「口巻器」を用いて行う。
こうして出来上がった「実包」を銃に装填し、引き金を引くと、「撃針」という先の尖った部品が「雷管」の底を叩く。
すると雷管が起爆し、その直上に配置された発射薬(火薬)に着火し、ケース内での燃焼ガスの急激な発生と膨張によって、ケース先端部に配置された「散弾」であるとか「スラッグ弾」であるとかの弾丸が銃身内部を前方に押し出され、銃口から発射されるという仕組みだった。
下は弾丸発射後の使用済みケース(いわゆる「空薬莢」)の一例。矢印の先に、撃針によって叩かれた痕---小さなくぼみ---がある。
弾丸発射後は、銃の内部にはこの空のケースが残され、自動または手動で銃の外に排出される(排出されないものもある)。
銃を用いた犯罪の場合、たまに地面に落ちた空のケースを回収せずに現場から逃走する犯人がいる。
「餃子の王将」社長の大東氏が射殺された事件でも、現場には空のケース(空薬莢)が数個落ちていたという。
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● 猛獣狩り用弾丸「アイデアル弾」
睦雄は自作した実包の弾頭に、「アイデアル弾」というスラッグ弾を使用した。
アイデアル弾は、1902年にドイツの銃工、フリードリヒ・シュテンドバッハにより特許取得された、鉛製、鼓(つづみ)型の弾丸。
中央にテーパー状の風切り穴が空いており、穴の内側にはプロペラ状の風切り羽が付けられている。
こうした工夫はジャイロ効果による直進安定性を狙ったものだったが、鋳造に手間がかかるわりには期待されるような効果は得られず、後発の弾丸が普及するにつれて廃れてしまったという。
ただし現在のロシアでは、この形を改良した「メイヤー・スラッグ」と呼ばれる弾丸が広く用いられているという。
アイデアル弾を各アングルから。
鉛製でこの形状なので、命中すれば弾は大きく変形したり、破裂したりする。その威力から、シカ、イノシシ、クマなど、大型獣の狩猟用として推奨された。
睦雄はこの「アイデアル弾」のコピー品を大阪市のショップで購入し、犯行に使用した。(購入日は1938年4月25日)
店員には、「人から頼まれて来た。アイデアルの実丸100発を売ってくれ」と述べ、弾の用途については、
「害獣ヲ駆除スルノニ使用スルノダ」(捜査報告書原文ママ)
と説明した。
「害獣駆除」とは、これから恨む人々を片っ端から殺害しようとしている睦雄なりの皮肉が込められていたのかもしれない。
ちなみに津山事件について調べていると、たまに睦雄の使用弾として
「ダムダム弾」
という言葉が出てくる。(津山事件報告書にもその名が出てくる)
嘘のようなホントの話として、ダムダム弾とは、もとは19世紀に英領インドのダムダム市にある軍直属の武器工場「ダムダム工廠」で製造された対人用拡張弾頭のことをそう呼んでいた。
(対人用拡張弾頭 = 命中すると弾頭が幅広く変形したり破裂したりする弾丸のこと。代表的なものとして、弾頭にくぼみを設け命中時にはそこを中心に弾丸が拡大~破裂するように設計された「ホローポイント弾」とか、柔らかい鉛の芯をむき出しにして破裂しやすくしている「ソフトポイント弾」とかいったものがある。)
そうしたエグイ系の弾丸で、ダムダムで作られたからダムダム弾というわけなのだった。
それがいつの間にか、ホローポイントとかソフトポイントとかの弾丸は、すべてひっくるめてスラング的に「ダムダム弾」と称するようになった。
ただし今どきは、ホローポイント弾もソフトポイント弾もその素材や構造によって殺傷力はピンキリであり、全部が全部かつてのダムダム工廠製のような、戦時の使用禁止が国際会議(1899年@オランダ・ハーグ)で宣言されたような高い殺傷力を有するとは限らないらしい。
睦雄の使用した「アイデアル弾」は鉛製のホローポイント弾の一種であり、猪や熊狩り用に推奨されていたことからその破壊力は推して知るべしであり、そうしたことから、睦雄の使用弾として、よく「ダムダム弾」と称されるのだと思われる。
(上はロシアのメイヤースラッグ弾とそれを用いた実包。メイヤースラッグはアイデアル弾の外側に羽を付けたような構造になっている。)
(ショットガン実包の一例。こちらのスラッグ弾はフランス製の風変わりな形状をしたホローポイント弾。命中時の弾道チェックに使う弾道ゼラチン---バリスティック・ゲル---と呼ばれる物体に撃ち込んでいる映像を見たが、ゲルの中で弾が破裂し、破片が各所に食い込み、エグイことになっていた。)
(ショットガン実包の一例。こちらは「フォスタースラッグ」と呼ばれる非常にポピュラーなホローポイントのスラッグ弾を使用している。破壊力はもの凄い。)
(ショットガン実包の一例。弾丸に銅製のホローポイント・スラッグ弾を使用している。命中すると6分割され、各断片がターゲットに食い込む。)
(ショットガンによるものではないが、ホローポイント弾の一例。命中すると画像のように、キノコの傘が開いたような形になる。これを「マッシュルーミング」と呼ぶ。体内でこの形になり、対象に大きなダメージをもたらす。)
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● 「マーズ無煙火薬」
睦雄が犯行に使用した国産猟用無煙火薬の商品名。
睦雄は事件前3月の家宅捜索でそれまでに集めた武器弾薬を没収され、合わせて狩猟免許も没収されてしまい、火薬や雷管を買えない身分になってしまった。
そこで彼は、狩猟免許を有する知人に「免許をなくしてしまったので」と偽り、火薬と雷管の代理購入を依頼した。
「(家宅捜索の)あくる朝すぐ今田勇一氏を訪れ、金四円の札にてマーヅ火薬一ケ、雷管附ケース百ケをば津山片山鉄砲店より買って来てもらった。」(遺書より)
「マーズ無煙火薬」は、1924年(大正13年)に「板橋火薬廠」により製造販売が開始され、翌年に行われた公開試射会では、米レミントンその他の輸入無煙火薬に比肩する性能が確認されたという。
ちなみに「無煙火薬」について、ウィキによると、
「無煙火薬とは、爆発時に大量の白煙を放出する黒色火薬や褐色火薬(有煙火薬)に対し、発煙低減のために開発された火薬のこと。」
「無煙火薬は、主に火器の発射薬(ガンパウダー)として使われ、燃焼後の灰分が減った副産物として銃砲の清掃周期が延び、また、薬室内部に滓(かす)がこびりつく頻度も減ったので、速射砲や機関銃のような自動火器の信頼性向上に大きく貢献した。」
「ナポレオン戦争頃までの軍指揮官は、火器を発射すると出る大量の白煙に不満を持っていた。この厄介物は風が吹けばやがて晴れるが、無風状態だと戦場に霧のように停滞していつまでも視界を妨げるからである。特に19世紀初期までは、軍の命令伝達は、伝令を出して直接伝える以外、旗旒信号や腕木通信などの視覚通信に依存していたため、視界を妨げる白煙の悪影響は大きかった。また軍服も友軍への誤射を避けるために、煙の中でも目立ちやすい派手な色を使ったり、煙による距離の誤認を防ぐために高い帽子を採用したりしていた。(そのため、発煙の少ない火薬の開発が求められた)」
「『無煙』と称されるものの、完全に煙が出ないという訳ではなく、大量の煙を出す黒色火薬に比較して発煙量が少ない程度と理解する必要がある」
とのこと。
下の画像、AとBそれぞれ、画像の中心に赤●があり、赤●の右に敷いた黒い筋が「無煙火薬」、赤●の左に敷いた黒い筋が「黒色火薬」。Aは無煙火薬に着火したもの、Bは黒色火薬に着火したもの。
無煙火薬のほうは、ウィキによれば、「まったく煙が出ないということではない」とのことながら、画像で見る限りは、ほぼ煙は出ていないように見える。黒色火薬のほうはご覧の通り。
確かに、黒色火薬を使用した場合、戦場で銃や大砲を撃つたびにこれでは、視界が妨げられ作戦行動に支障をきたすものと思われ、無煙火薬の開発が求められたのも頷ける。
下の画像は、映画『丑三つの村』より。
睦雄は凶行前に電線を切断し、目指す集落を暗黒化した。
自身の視界を確保するため、側頭部には2本の懐中電灯を取り付け、胸にはナショナルランプを吊り下げた。
この状況で発煙量の多い黒色火薬を使用すれば、自身の視界さえままならなくなるものと思われる。
無煙火薬の利点はウィキにある通り様々ながら、睦雄が特に無煙火薬にこだわった理由の一つに、
「暗闇での視界確保」
ということがあったのではないかと想像する。