岡山地底湖・高知大生行方不明事件(平成20年1月) | 雑感

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 岡山地底湖・高知大生行方不明事件

(着衣のまま地底湖に飛び込んだ浦飯幽助。のらりくらりと逃げ回る仙水の腕に、濡れたシャツを絡みつかせ、動きを封じるための作戦だった。岡山地底湖の事件でも、不明となった高知大生は、着衣のまま、命綱もつけずに地底湖で遊泳していたというが・・・。)

 

※※ パソコンからご覧の場合で、画像によってはクリックしても十分な大きさにまで拡大されず、画像中の文字その他の細かい部分が見えにくいという場合があります(画像中に細かい説明書きを入れている画像ほどその傾向が強いです)。その場合は、お手数ですが、ご使用のブラウザで、画面表示の拡大率を「125%」「150%」「175%」等に設定して、ご覧いただければと思います※※

 

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平成20年(2008年)1月5日、高知大学理学部3年で学術探検部所属の名倉祐樹さん(当時21)が、岡山県新見市にある鍾乳洞「日咩坂鐘乳穴(ひめさかかなちあな)」に同行メンバーと総勢5人で入洞し、洞窟の最奥部にある地底湖を遊泳中、行方不明となった事件。

 

県警機動隊や消防による約200人態勢で捜索していたが、全長1.6kmの鍾乳洞の最奥にある地底湖の捜索は困難を極め、二次被害の恐れもあることから、捜索は早期で打ち切られた。遺体は未だに見つかっていない。

 

この事件をめぐっては、関係者からの記者会見が行われなかったことも含めて、不自然と受け取られた点があるようなのですが、こちらでは多くは触れていません。ネット上では多数紹介されていますので、関心お持ちの方は調べてみていただければと。

 

岡山地底湖・高知大生行方不明事件

岡山地底湖・高知大生行方不明事件

(赤ピンの先が、地底湖の入口付近。新見市の市街地とは、直線で約13km離れている。)

 

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以下、概要等について、当時のミクシィなどネットからコピペ(画像とその説明は当方による補足)

 

 概要その1

 

2008年1月5日午後6時10分ごろ、岡山県新見市豊永赤馬の「日め坂鐘乳穴で四国の社会人と学生の探検グループから、「洞窟(どうくつ)に調査に入った同僚の高知大学3年生の男子学生(21)が池に入ったまま出て来ない」と110番通報があった。

 

県警などによると、同グループ13人のうち5人が日め坂鐘乳穴に入り午後2時半ごろから洞窟内(奥行き約1600メートル)の奥にある地底湖(深さ約32メートル)で遊泳していた。

 

県警新見署員ら約30人が 捜索を続けたが、男子学生は見つかっていないという。

 

同署や新見市消防本部などの調べでは、学生は大学の洞窟(どうくつ)探検サークルに入っており、学生や社会人など近県から集まった計13人で新見市を訪れていた。

 

不明の男子学生は、計5人で午前11時半ごろから洞穴に入り、午後2時半ごろ、着衣のまま遊泳している最中、行方がわからなくなったという

 

新見市教育委員会によると、この洞穴は県の天然記念物に指定されており、洞穴に入るには同市教委への届け出が必要なのに、学生らは届け出ていなかったという。

 

岡山地底湖・高知大生行方不明事件

岡山地底湖・高知大生行方不明事件

岡山地底湖・高知大生行方不明事件

(1~2枚目、ピンクの点線が、洞窟入口から最奥部の地底湖へのルート。線は大雑把に、直線的に引いています。実際は複雑に入り組んだ地形だとのこと。2枚目は、3Dで北西方向から見た図。大地が落ち込み、そこに洞窟の入口が大きく口を開けているのが見て取れる。3枚目は有名な画像ですが、寸法などに少し手を加えました。)

 

 概要その2

 

2008年1月5日、岡山県新見市にある鍾乳洞「日咩坂鐘乳穴(ひめさかかなちあな)」に入っていた、高知大学3年で学術探検部所属の名倉祐樹さん(当時21歳)が、洞窟内の地底湖を遊泳中に行方不明になりました。

 

名倉さんは中国・四国地方の大学探検サークルのコミュニティーで企画された合宿に、高知大学学術探検部員3名(計4名)と共に参加。

 

合宿には他大学や社会人を合わせて計13名参加していました。

 

日咩坂鐘乳穴には5名(構成不明)のグループで入り、必要な市教育委員会への入洞届は出されていません

 

腹ばいになる狭い箇所やザイルを使って降りる場所を通って、 約3時間後に入り口から1.6キロほど奥にある地底湖(直径約25メートル・水深約30メートル)へ到着。

 

到着後、名倉さんが一人で着衣のまま命綱などもつけずに調査の為に地底湖に入ります。

 

声を掛けながら岸壁などを調査していたが、突如声が途絶え行方不明になります。

 

叫び声などは聞こえなかったといいい、残りのメンバーは洞窟を出て救助を要請しました

 

県警機動隊や岡山大学ケイビングクラブ等がゴムボートを出すなどして捜索したが、名倉さんを発見できないまま、捜索は打ち切りになりました。

 

この事故に関して名倉さんのmixiの内容が不明後改竄され、大学や部が詳細な会見や報告書の公開をしないことからさまざまな憶測がネットで取り上げられました

 

岡山地底湖・高知大生行方不明事件

(ストリートビューより、洞窟入口近くの路上から、1月の風景。名倉さんが洞内で行方不明になったのも、1月初旬のことだった。)

 

 捜索の状況その1

 

山陽ニュース: 

 

8日の捜索は正午から、7日と同じ30人程度の体制で行われる見込みです。

 

7日の捜索では、名倉さんが行方不明になった地底湖に10人程度のスタッフが入りましたが、水の流れが非常に早い上、濁っていてダイバーを潜らせての捜索を断念し、ボート上から水中カメラを使っての捜索しかできませんでした。

 

鍾乳洞の入り口から地底湖まで3時間以上かかる上、途中には険しい崖があるなど、8日の捜索も難航が予想されています。

 

 捜索の状況その2(捜索打ち切り)

 

時事通信: 鍾乳洞の捜索打ち切り=不明大学生発見できず-岡山(1月10日22時30分配信)

 

岡山県新見市豊永赤馬の鍾乳洞で5日、高知大学探検部に所属する男子大学生が遊泳中、行方不明になった事故で、岡山県警は10日夕、捜索を打ち切った。

 

行方不明となっているのは、同大理学部3年の名倉裕樹さん(21)=高知市=。

 

県警機動隊や消防による約200人態勢で捜索していたが、現場は極めて危険な地形で、2次被害の恐れもあることから、捜索続行は難しいと判断した。

 

 捜索の状況その3(捜索隊のコメント)

 

「隊員歴16年の中でも3本の指に入る大変さだった」―。

 

高知大3年の男子学生(21)が今月5日、新見市赤馬の鍾乳洞「日咩坂鍾乳穴(ひめさかかなちあな)」で行方不明になり、捜索が連日行われた。

 

その中心的役割を担った岡山県警機動隊の田村吉永(よしひさ)警部補(40)はそう振り返る。

 

延べ6日間にわたって懸命の捜索が続けられ、発見がならないまま捜索は終了したが、2次災害の恐れも懸念される過酷な状況の中、捜索を支えたのは「何としても救出したい」という思いだった。

 

「洞くつ最奥部の地底湖で仲間が遊泳中に行方不明になった」と通報があったのは5日午後6時過ぎ。

 

新見署は当初、翌朝からの捜索を予定していたが「洞くつは昼も夜も関係ない」と徹夜での捜索が決まった。

 

暗やみの中、行方を遮る今にも崩れ落ちそうな岩。

 

小隊長として数々の現場をこなしてきた田村警部補だが「最初の日は文字通りの手探り。着いても戻って来られるかと本当に不安になった」と話す。

 

洞内は胸まで水に浸かる個所や、高低差20メートルをロープで降りる断がいなどの難所が続き、湖への到達には約3時間を要した。

 

ポケットのビスケットはほふく前進で砕け、ずぶ濡れの制服が体温を奪う。

 

機材も十分に搬入できず、地底湖に浮かべるボートは半分浸水した状態。

 

湖面からの声はドーム状の地形に吸収され、岸の隊員へは届かない。

 

帰りの体力を考えれば捜索は3時間が限度だったが、何度もいかりを下ろし湖底を探った

 

捜索には経験豊富な大学OBらも同行した。

 

「彼らのサポートがなければとても湖まで到達できなかった」と感謝する一方、小隊長として「2次災害は絶対に起こしてはならない」と言い聞かせ、関係者の安全確保を第一に考えた。

 

懸命の捜索も実らず捜索は今月10日で終了した。(1月10日に捜索終了

 

陣頭指揮を執った秋山吉由副隊長は「勇気と誇りを忘れず、本当に頑張ってくれた」と関係者の労をねぎらう。

 

過酷だった連日の捜索も田村警部補は「隊員として当たり前のことをしたまで。それよりも学生を発見できなかったのが本当に残念。災害はいつ発生するか分からない。どんなことにも対応できるよう、装備の充実や技術の向上に力を入れていきたい」と、悔しさをバネに今後も人命第一に徹した職務遂行を誓っている。

 

(引用終わり)