(「昨夜は本当に心が休まる暇もなかった。一晩中、屋根裏から人が歩き回るような足音が聞こえていて・・・。懐中電灯を持って上がってみたんだが何も見つからなかった。なに、ライフルを持っているから怖いことはないんだが・・・」---殺害されたその日の午後、立ち寄ったシュローベンハウゼンの金物店で、ヒンターカイフェックの農場主アンドレアス・グルーバーはこのように述べていたという)
※※ パソコンからご覧の場合で、画像によってはクリックしても十分な大きさにまで拡大されず、画像中の文字その他の細かい部分が見えにくいという場合があります(画像中に細かい説明書きを入れている画像ほどその傾向が強いです)。その場合は、お手数ですが、ご使用のブラウザで、画面表示の拡大率を「125%」「150%」「175%」等に設定して、ご覧いただければと思います。※※
----------
第1次世界大戦後のヴァイマル共和制下にあるドイツ・バイエルン州グレーベルンのヒンターカイフェック農場で、一家5人とメイド1人の計6人が、何者かにより惨殺された。
以下、長くなっているにもかかわらず矛盾したことを言うようですが、非常にざっくりとした、まさに「概要」になります。
(少し突っ込んだところは、後日に書く予定です。また、この農場の名義は、1914年3月にグルーバー夫妻からその娘のヴィクトリアに移っており、形式上の農場主はヴィクトリアということになるのですが、実質的にはアンドレアス・グルーバーが絶対的な家長で農場主である、ということで、記事中ではアンドレアスを農場主としています)
■ 犯行日時(推定)
1922年3月31日(金)夜~翌4月1日(土)未明。
■ 被害者
1. アンドレアス・グルーバー(ヒンターカイフェック農場の主人で、当時63歳)
2. ツェツィーリア・ グルーバー(アンドレアスの妻で、当時72歳)
3. ヴィクトリア・ガブリエル(上記グルーバー夫妻の娘で、当時35歳。戦争未亡人)
4. ツェツィーリア・ガブリエル(ヴィクトリアの娘で、当時7歳。小学生)
5. ヨーゼフ・ガブリエル(ヴィクトリアの息子で、当時2歳)
6. マリア・バウムガルトナー(グルーバー家のメイドで、当時44歳)
(※ 動画やその他ネットの記事等には、1~6までの当人であるとして顔写真などを紹介しているものもあるが、被害者各人についての間違いのない顔写真は存在(というか判明)していない。唯一、「これでは?」と言われている写真もあるが、確定はしていない。)
■ 事件発生場所
現在のドイツの行政区画によれば、「ドイツ国バイエルン州オーバーバイエルンのノイブルク=シュローベンハウゼン郡のヴァイトホーフェンのグレーベルン地区のヒンターカイフェック農場」。
事件当時の行政区画によれば、「ドイツ国バイエルン州オーバーバイエルンのシュローベンハウゼン郡のヴァンゲンのグレーベルン地区のヒンターカイフェック農場」。
「ヒンターカイフェック」とは、農場のオーナーが自分の農場に付けていた名前であり、「ヒンターカイフェック」という名の行政区画があったわけではない。
「ヒンターカイフェック」とは、英語では「ビハインドカイフェック」、日本語では「カイフェックの後ろ」という意味になるとのことで、
この農場の南東には、地元で「魔女の森」と呼ばれる森が広がっていたが、農場からその「魔女の森」を隔てて南に約1km下ったところに「カイフェック」という名の小集落があり、
このため、農場主としては、そのカイフェック集落の後ろのほうにある農場ですよ、という程度の意味で、「ヒンターカイフェック」と名付けていたものと思われる。
この農場(の建物)はグレーベルンという地区にあったが、周囲に民家はなく、野中の一軒家状態であり、同じグレーベルン地区内にある最寄りの民家までは500m程度離れていた。
(農場自体は非常に広く、農地の端は隣人所有のそれと境を接していた。)
事件発生時、ドイツ国はいわゆる「ヴァイマル共和制」下にあった。
第1次世界大戦で敗北し、英仏からは天文学的な賠償を突き付けられ、領土をそぎ取られ、戦時中から進行していたインフレも悪化の一途をたどり(翌年にはルール占領を契機としてパン1個1兆マルクのハイパーインフレが発生)、左右の政治勢力が暴れまわるなど、極めて不安定な情勢下にあった。
■ 遺体発見時の経緯
1922年4月4日(火)の午後5時ごろに、遺体が発見された。
殺害されたとみられる3月31日(金)の夜以降、一家の行動が見られなくなり、家にも人の気配が消え、なにかおかしいということで、知人らが家を捜索してみると遺体が見つかったのだった。
経緯をざっくり並べてみると、
まず4月1日(土)、ツェツィーリア(7歳)が、通っているヴァイトホーフェンの小学校に来なかった。
同日昼ごろに、コーヒーの行商人が注文のコーヒーを届けるために一家を訪ねているが、家には鍵が掛かっており、また、どれだけノックしても返事がなかった。
コーヒーの行商人は500mほど離れた家(主人S)にも寄り、主人Sは不在だったので、その妻に「グルーバーの家に注文のコーヒーを持って行ったが、誰もいなかった」ということを話した。
4月2日(日)、一家が日曜日に通っていたヴァイトホーフェンの教会のミサを欠席した。聖歌隊でリードシンガーを務めていたヴィクトリアにとって、これは珍しいことだった。
4月3日(月)、朝、新聞配達人(郵便配達人でもある)が新聞を届けに来たが、いつも台所の窓から見えている乳母車とその中で遊ぶ2歳のヨーゼフがこの時はいなかったのが印象に残った。(新聞配達人は、いつも台所の窓のところに新聞を挟んでいた)
また、ヒンターカイフェック農場の近くに農地を所有しそこで作業をしていた男性が、グルーバーの農地が静まり返っており、家のほうからは犬の鳴き声もしないのを不思議に思っていた。(妙に静かだという雰囲気については、この男性は、4月1日から気付いていたという)
4月4日(火)、農場の家長アンドレアスから発動機(農機具のエンジン)の修理依頼を受けていた修理工(当時19)が、この日の午前中に、修理のためグルーバー家を訪れた。
ところが、家には鍵が掛かっており、どれだけ呼んでも誰も出てこず、しばらく待ったがやはり誰も出て来なかった。
修理工は、遠くからリュックに工具を詰めて自転車で来ていた。
また、この日には他の修理案件も抱えており、ぐずぐずしていると一日のスケジュールが終わらないということで、修理工は、納屋の北側に隣接していたエンジンの置いてある小屋の鍵を勝手に工具でこじ開け、中に入って、数時間ののちに修理を完了した。
ところが、修理完了を報告しようにも家には人がいない(誰も出てこない)。
修理工はやむなく次の修理依頼の現場へと向かったが、その途中、農場から500mほど離れたグレーベルンの某民家(主人S)で庭仕事をしていた二人の娘に、
「ヒンターカイフェックにエンジンを直しに行ったのだが、誰もいないんだ。グルーバー家の人を見たら、エンジン修理は完了したと伝えてくれないか?」
と頼んだ。(午後3時前後のこと)
娘たちはこれを了承、自分たちの父親(S)に対して、「修理工が、グルーバー家の人々がいないようだと言っていた」という話をした。
Sはこの時、「3日ほど前にも、コーヒーの行商人がグルーバー家の人々の不在のことを言っていた」という話を聞かされた。
心配になったSは、まだ未成年だった息子二人に、グルーバーの家に行って様子を見てくること、そして、もし人がいたら「エンジンの修理は完了している」旨を伝えてくるように言った。
息子二人は直ちに出ていき、グルーバー家でドアを叩いたり、森に向かって名前を叫んでみたりした。しかし誰も出て来ず、息子たちは引き返して、誰もいなかった旨を父親に伝えた。
いよいよ不審に思ったSは、隣人の男性2人に声をかけ、グルーバー家になにか起きていたらいけないから様子を見に行ってみようということになった。(この時Sからは、「一家心中したのかもしれない」という話も出たという)
そこで男性3人と、まだ未成年だったSの息子2人の、計5人がグルーバー家へと向かった。(午後5時ごろだった)
家は鍵が掛けられていたが、納屋のある部分に一か所だけ鍵がかかっていない部分があり、一行はそこから納屋に進入した。
(少年ら2人は屋外で待つよう言われたが、この時は中に付いて入ったという)
進入して最初にあった戸板を蹴破る形で飼料置き場に踏み込み、薄暗い中を進んでみると、左前方にあった畜舎へと続く小さな扉の近くに、藁をかぶせられ小山のようになっている部分があり、そこから人間の足が見えていた。
Sがその足をつかんで引っ張り出してみると、アンドレアス・グルーバーの遺体だった。
Sがさらに藁を掘ると、アンドレアスの遺体の下や横から、妻ツェツィーリア、娘ヴィクトリア、7歳ツェツィーリアの遺体が発見された。
その後さらに母屋内を探索して、2人の遺体を発見(2人=2歳ヨーゼフ、メイドのマリア。この母屋の二人の遺体については、少年らは見ていない)、
Sは、息子の一人に、ヴァンゲンまで走ってそこの区長に事件のことを知らせてくれ、と指示を出した。
ヴァンゲンの区長から警察に連絡をしてもらおうとの心づもりだった。
ヴァンゲンの区長は、息せき切って駆け込んできたSの息子の話を、当初は全く信じなかった。
しかし、繰り返し訴えるうちにようやく信じて、警察に連絡を入れたという。
Sと共に第一発見者となった隣人の男性2人は、村へと引き換えし、村の人々に事態を伝えた。
Sは一人現場にとどまり、家畜に餌を与えるなどしていたが、まずは噂を聞き付けた大勢の野次馬が近隣から集まって遺体を見るなどし、
次にホーエンヴァルト、シュローベンハウゼン、ミュンヘンなどの警察関係者らが順次到着して捜査が開始された。
(警察が来る前に、現場はかなり荒らされた形だった)
■ 各被害者の遺体が発見された(家屋内での)場所
家長アンドレアス(当時63)、その妻ツェツィーリア(当時72)、その娘ヴィクトリア(当時35)、その娘のツェツィーリア(当時7)は、農場内の建物の、大雑把に言えば「納屋」と称される部分の、飼料が置いてある区画で発見された。
(大雑把に言えば、4人は「納屋」で発見されたということになるが、細かく言えば、納屋内の一区画である「飼料置き場」で発見された、ということ。)
2歳のヨーゼフは、寝室に置いてある乳母車の中で発見された。この寝室は、ヴィクトリアや7歳のツェツィーリア、2歳のヨーゼフ専用の部屋だった。
メイドのマリアは、台所の横にある小さなメイド室で発見された。
(マリアはメイドとして採用されたばかりであり、4月1日が仕事始めだった。3月31日午後に、キューバッハという故郷の町を出発し---キューバッハはヒンターカイフェックから南西に直線で約15km離れている---午後4時ごろにグルーバー家に到着したのだが、その夜のうちに事件に巻き込まれた。)
■ 遺体の状況
6人全員が、頭部・顔面部に、重量のある物体で激しく殴打されたかのような重傷を負い死亡していた。何人かの被害者については、殴打された部分の骨が砕けていた。
ただしその傷には、頭蓋骨に食い込んだ丸形や三角、星形の小さな穴、後頭部に空いた大きくて深い穴、顎の下にぱっくりと空いた横向きの大きな切り傷などがあり、一概に重量のある物体で殴打されたというだけでは説明のつかない多様さがあり、何種類かの凶器が用いられた可能性があるとされた。
72歳のツェツィーリア・グルーバーと、その娘ヴィクトリア・ガブリエルについては、首を絞められたような跡があった(ただし、死因は窒息ではない)。
事件の翌年に農場の建物が取り壊された際、屋根裏部屋の床下から、乾いた大量の血と人間の髪の毛が付着した大型のつるはしが発見され、さらに、納屋から血の付いたナイフや鉄の輪が発見され、これらが凶器として用いられたものと推測された。
■ 事件前の不審な出来事
事件発生の半年ほど前(1921年8~9月ごろ)、当時のメイドが、屋根裏からの得体のしれない足音や声が聞こえてくると怯え、「この家は何かにとり憑かれている」と訴えて突然辞めた、との話が後世に伝わっている。
(この話にはやや尾ひれがついているが、ある不思議な現象に怯えて辞めたというのは、当時のメイドの証言によれば事実)
また、事件発生の数日前~前日にかけて、
「家の玄関の鍵がなくなる」
「家族の誰にも心当たりのない、最近の日付のミュンヘンの新聞が農場内で見つかる」
「発動機の置いてある小屋に侵入されたり、納屋の飼料置き場に侵入を試みた形跡が見つかる」
「牛が畜舎の中で紐を解かれているのが見つかる」
等の不審な出来事が連続して発生していた。
事件前日(1922年3月30日)の早朝、農場主アンドレアス・グルーバーが、雪上に不審な足跡を見つけた。
それは二人分の足跡であり、雪上を一直線にグルーバー家の建物へと向かい、不思議なことに、入っていく足跡はあっても、出ていくそれは見つからなかった。
アンドレアス自身、何者かが家に入り込み、隠れているのだろうと考え、同日午前に、近隣で農業を営む二人の男性に、家の鍵がなくなったこと、(一部の)建物に侵入されたり、侵入を試みた形跡があったこと、そして、雪上に建物へと続く怪しい足跡が残っていたことなどを話した。
それを聞いた隣人たちは、それぞれ、「銃を貸そうか?」「警察に言ったほうがいいのではないか?」等の助言をしたが、アンドレアスは、「べつに怖くはないから」「警察を家に入れたくない」と、まともに取り合おうとはしなかった。
その日の夜、グルーバー家では、屋根裏からひっきりなしに人が歩き回るような足音が聞こえていた。
たまりかねたアンドレアスが懐中電灯を持って上がってみても、何も見つけることができなかった。家族にはその夜、気の休まる暇もなかったという。
(1枚目、黄色の部分が農場建物。わかりやすいように、実際のサイズよりもかなり大きくしてある。2枚目は、1枚目のピンクの枠内を拡大したもの。水色の四角の部分は、納屋の北側に隣接していた小屋であり、アンドレアスはここに発動機---エンジンを置いていた。道路わきには、窯や煙突を備えたパン焼き小屋があった。3枚目は、建物内部の見取り図。こちらのブログ的には、向って右側の「納屋」「通路」「機械室」の部分をひっくるめて「納屋」と呼んでいるが、細かく分けると図のようになる。青色の部分はすべてドアになっており、通り抜けができる。×の部分は、遺体が発見された場所。※ 「機械室」と書かれている部分は、厳密には「旧・機械室」。事件以前には、そこに馬で引かせるタイプの---文字通り「馬力」の---脱穀などに用いる大型の農業機械が据え付けられ、「機械室」と呼ばれていた。事件当時はすでにその実態は失われていたようだが、当局も含めて、多くの人々が証言の中でその部分を旧名のまま「機械室」と呼んでいるので、こちらでもそこは「機械室」とした。また、「地下室の出口」としている部分については、出口ではなく、単に「地下室の上部構造部分」としている資料もある。「出口」としてしまうと、そこから出入り可能なことが決定してしまうようで迷ったが、いちおうここでは「出口」とした。ただ、単に「上部構造部分」であって、そこから出入りはできない可能性がある。)
翌日(3月31日、事件当日)、アンドレアスと娘ヴィクトリアはシュローベンハウゼンまで買い物に出たが、午後に立ち寄った金物店で、アンドレアスは、「今日は早めに帰らないといけないんだ」と切り出し、前夜の「屋根裏からの足音」のことを話した。
「昨夜は本当に心が休まる暇もなかった。一晩中、屋根裏から人が歩き回るような足音が聞こえていて・・・。懐中電灯を持って上がってみたんだが何も見つからなかった。なに、ライフルを持っているから怖いことはないんだが・・・」
などと話したという。
娘のヴィクトリアも別の店で、「家が不気味なことになっているのよ。今日は早く帰らないと・・・」として、父親と同様の話をしていた。
二人がこの話をして町を出たのが、生きている二人が目撃された最後となった。
その夜のうちに、メイドも含めた一家全員が、何者かにより惨殺された。
■ 村人たちのグルーバー家への印象
ヒンターカイフェック農場は、グレーベルン集落内の最寄りの家まで約500m離れているとかの、わりと隔絶された一軒家(というか農場)だった。
しかし、隣が離れているからといって、集落の人々とまったく付き合いがなかったのではなく、付き合いはあるにはあった。
農繁期に集落の人を雇ったり(集落内の手癖の悪い不良でも安月給で雇ったりしていた)、建物の改築とかになると、ご近所の人々を雇って手伝ってもらったりしていた。
だから、その集落の人々によるグルーバー家への印象みたいなものが、文字になって残ってはいるのだが、それらの証言から総じて言えるのは、集落の人々は、グルーバー家(特に家長のアンドレアスと、必然的にその妻ツェツィーリア)に対して、
「非常な働き者」
「倹約家」
「金をため込んでいる」
「本当に用事のある時以外は人と交わろうとしない(人付き合いは悪い)」
「ドケチ」
という印象を抱いていたというのは、疑いようのないところだった。
しかし、娘のヴィクトリアへの印象は違っており、この人は、同時代の人々の証言によると金髪の美人で、教会の聖歌隊でリードシンガーを務めるほど歌声が素晴らしく、
頑固で偏屈で面倒くさいオヤジが付いてはいるが、ヴィクトリアについては好意的に見る、といった感じの存在ではあったらしい。
■ グルーバー家にまつわる噂
「グルーバー家の家長アンドレアスと娘ヴィクトリアが、近親相姦の関係にある」・・・これは村で誰一人知らない者のない公然の秘密だった。
実際に現場を目撃したという証言者もあり、殺人事件の起こる約6年前には、二人はこのことで当局に逮捕され、裁判の末に、父1年、娘1か月の実刑に服しているので、それが間違いなく事実であったかどうかは別としても、根拠のない噂のレベルは超えていたものと思われた。
ヴィクトリアには、1922年3月の殺人事件発生時点で二人の子供がいたが(7歳女子、2歳男子)、この子供たち、とくに2歳男子のほうについては、「家長アンドレアスがその父親ではないか?」という噂が、集落内で囁かれ続けていた。
■ 捜査
遺体発見後に、ホーエンヴァルト、シュローベンハウゼン、そしてミュンヘンなどから、警察(警察犬も)、検事、地裁の判事、医師などが現場に赴き、現場検証、凶器の捜索、遺体の検死、聴き込み、事情聴取など、当時の彼らなりの捜査をした。
遺体の検死は、農場の庭に材木と戸板を用いて即席でしつらえた検死台の上で行われた。
現代の司法解剖のようなことは行われず、どこにどういった傷があるとか、傷口の形状から凶器を推測したり、どれが致命傷になったのかを推測したりしたのみだった。
頭部に重要な証拠が残っていることから、検死の最後に6人全員の首を切り落とし、これを大学で標本化して、ニュルンベルクの霊媒師に送っている。
遺族は首のない遺体を埋葬することになった。
遺体発見直後の捜索で、納屋の屋根裏の一部に藁が敷き詰められ、人が寝ていたようなくぼみが(二つと言われる)あったことから、何者かが足跡を消す等の目的で藁を敷き詰め、そこに寝泊まりしていたのではないかと推測された。(※ くぼみの数については、証言によってまちまち。後述)
また、母屋や納屋の瓦が数枚、後ろにずらされており、その隙間を通して、屋根裏から中庭への人の出入りが覗けるようになっていた。
遺体発見直後の捜索で、畜舎からはつるはし(血痕などで汚れていない状態)が見つかったが、実験によっても、これが凶器だとは断定できなかった。
約1年後に農場の建物が取り壊された際、母屋の屋根裏の床下から別の大型のつるはし---鍬とつるはしのあいのこのような農具---が、また、納屋からはナイフや金属製の輪などが見つかった。
これらにはいずれにも乾いた血が付いていたが、特につるはしには人間の髪の毛も付いており(猫かウサギのものと思われる毛も付いていたが)、これらが凶器として用いられたものと推測された。
犯行動機について、当初は物取りの犯行と思われたが、札を漁った形跡は認められたものの、金銀の硬貨や宝石のたぐいは、見落とすとも思えないような場所にかなりの額(量)が残されていた。
また被害者への打撃も激しいものであり、一部被害者には首を絞められた痕もあったこと、2歳の幼児にまで手をかけていること、
何らかの方法で納屋に一人ずつおびき出し殺害したと推測されること、犯行後数日は犯人が農場に寝泊まりしながら、飲食をしたり、家畜に餌をやったり、牛を搾乳していた痕跡が認められたことから(つまり見ようによっては家畜の保全にはこだわっている)、
物取りのほかにも、顔見知りによる怨恨や、近縁者による遺産狙い(農場乗っ取り)など、捜査対象者は広がっていった。
懸賞金は、遺体発見直後の4月7日には早くも10万マルクが掛けられているが、のちに50万マルクに跳ね上がった。
事件後すぐに、農場をめぐっての遺産相続争いが起きたが、ヴィクトリアの亡き夫(カール・ガブリエル、1914年12月西部戦線において戦死)の父親がこれを受け継ぎ、グルーバーの遺族には金銭的な補償がなされることになった。
しかし、ガブリエル家では当該農場を受け継ぐことをせず、1923年2~3月にかけて、知人らの助けも借りながら農場の建物を取り壊した。
先述の通り、この時、母屋の屋根裏の床下から、乾いた血や人間の毛髪が付着した大型のつるはしが発見された。
また、納屋ではナイフや金属製の輪も見つかったが、これらにも血が付着していた。
警察はこれらを凶器であると推測し、その出所や指紋なども調べたが、何も分からずじまいだった。
単独犯か複数犯かということも定まらず、動機も不明のまま、捜査線上に幾多の容疑者が浮かんでは消えた。捜査対象者は100人を超えた。
やがて第2次世界大戦が勃発し、その末期になされた連合国によるドイツ空爆で、捜査初期に作成された多くの書類は失わた。
またこの混乱の中で、切り落とされていた6人の頭部も行方不明になったと言われている。
戦後も関係者への聴取は続いていたが、1950年代の中盤以降は、めぼしい捜査も行われなくなった。
1984年、殺害されたツェツィーリア・ガブリエル(当時7)の同級生で、84年当時まだ存命だった一人の女性に、生き残りの証人として、当局から最後の聴取が行われた。
2007年、ドイツの警察学校の生徒らがこの事件をテーマとして分析を試みた。
生徒らの出した結論としては、あまりに原始的な当時の捜査に加えて、85年もの歳月の中で証拠は散逸し、証人や容疑者は全て亡くなり、完全解決は不可能としたが、彼らなりに一人の人物を最重要容疑者として特定するには至った。
しかし、現在生きているこの人物の親類縁者たちの名誉にかんがみ、その名の公表は差し控えられた。



