水曜日の絞殺魔・佐賀女性7人連続殺人事件・その4 | 雑感

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たまに更新。ご覧いただきありがとうございます。(ごく稀にピグとも申請をいただくことがあるのですが、当方ピグはしておりません。申請お受けできず本当にすみません)

佐賀女性7人連続殺人事件

(ごちゃごちゃして、かえってわかりにくい図になってしまった。わかりにくさを我慢してご覧いただくと、7事件のうち、北方町及びその周辺で遺体が発見された5事件についての位置関係が、なんとなく把握できるのではないかと)

 

※※ パソコンからご覧の場合で、画像によってはクリックしても十分な大きさにまで拡大されず、画像中の文字その他の細かい部分が見えにくいという場合があります(画像中に細かい説明書きを入れている画像ほどその傾向が強いです)。その場合は、お手数ですが、ご使用のブラウザで、画面表示の拡大率を「125%」「150%」「175%」等に設定して、ご覧いただければと思います※※

 

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 1987年7月発生の第5の事件

 

佐賀女性7人連続殺人事件

 

被害女性Fさん(当時48)は武雄市武雄町富岡在住で、武雄温泉にある老舗割烹で仲居の仕事をしていた。(当時の住所は武雄市だったが、出身は杵島郡北方町大渡)

 

毎朝8時30分ごろに丸山公園東側にある自宅を出て、徒歩で職場に行き、午後7時から午後9時ごろまでには帰宅していた。

 

男女2人の子供があり、病弱な夫に代わって家計を支えていたという。

 

仲居の仕事を終えた後で、武雄市内にあるスナックAを手伝うことがあった。

 

Fさんの行方が分からなくなったのは1987年7月8日(水)、この日、午後9時過ぎに仕事を終えたFさんは、同僚と連れ立ってスナックAに立ち寄った。

 

その後、同僚とともにスナックAを出たFさんは、小料理屋Bの前を通りかかった。

 

Fさんは同僚に、小料理屋Bに寄らないかと誘ったが、同僚は電車の時間の都合でこの誘いを断った。

 

Fさんも、「それなら自分も寄らない」ということになり、午後9時35分ごろ、二人は小料理屋B近くの歯科医院の前で別れた。(Fさん自宅まで約1kmの地点)

 

それを最後に、Fさんは消息を絶った。

 

自宅では、夫が9日の午前零時を過ぎても帰らないFさんを心配し、長女や長男、同じ割烹で働いていたFさんの実姉や同僚に電話を入れ問い合わせたが、誰もFさんの行方に心当たりはなかった。

 

そこで夫は、自宅から割烹までの経路を何度も回ってみたが、Fさんの姿はなかった。(その後、夫が警察に捜索願を出した)

 

 

佐賀女性7人連続殺人事件

(画像中央やや右寄りにあるのが丸山公園。Fさんの勤務先はこの公園の西側にあり、自宅は公園の東側のエリアにあった。が、Fさんが最後に同僚と別れた地点、小料理屋Bもこのすぐ近くにある。ちなみに、は「西浦通り」という通りに位置しているが、西浦通りは現在、道の一部がかなり拡幅されており、当時とは様子が変わっているらしい)

 

 

Fさん失踪の約1年半後(1989年1月27日午後5時50分ごろ)、杵島郡北方町(現・武雄市北方町)志久大峠の雑木林で、Fさんの遺体(を含む3女性の遺体)が発見された

 

発見したのは、佐賀県杵島郡の主婦Aさん(当時55)。

 

Aさんは夫と車で帰宅中、北方町志久大峠の現場付近を通りかかり、そこで車を止めて仏前に備える花を探しているうち、偶然に遺体を見つけたという。

 

比較的詳しい状況がネットに出ているので、以下、そのまま引用させていただく。(太字部分)

(北方町志久大峠で3女性の遺体が発見された事件は、現場の地名をとって、北方事件と呼ばれている)

 

 

「遺体発見者の女性Aさん(当時55)は夫が運転する車で用事を済ませて自宅に帰る途中、すっかり、日も暮れた午後5時50分ごろ、暗い山道を抜けて北方町の大峠と呼ばれる地区に入ったところで、仏壇に供えるのに丁度いいと思ったトウゴシュの花を見つけた。

Aさんはそのトウゴシュの枝を拾いに車を降りた。約2mのその枝は何かで切り落とされているようだった。ついでに、道沿いに咲く花を摘んでいたAさんは、ふと崖下に目をやると、何か白いものを見つけた。
なんだろうと思い、崖を降りその白いものに3mまで近づいたとき、それが女性の死体であることに気づいた(89年1月に失踪した7人目の被害者・Yさんの遺体、後述)。

110番通報で、警察(大町署員)が駆けつけ捜査が始まった。

すると、その白い服を着た女性の死体からわずか2mのところに上半身が腐乱状態になっている女性の死体を発見した(88年12月に失踪した6人目の被害者・Nさんの遺体、後述)。

さらにその1mほどのところで白骨死体を発見(これが87年7月に失踪した5人目の被害者・Fさんだった)。

3人の遺体のそばにはシャツやセーター、下着、タオルなどが木の枝に通してぶら下がっていた。

また、Aさんが見つけたトウゴシュの枝はノコギリで切られたような跡があり、それは死体遺棄現場を指し示すかのように丁度、真上に置かれていた。

被害者の物と思われる遺留品が遺体発見現場の周囲2km圏内に点々と捨てられていた。」

 

 

Fさんの遺体は白骨化しており、現場には、頭蓋骨とその他の部位の骨が、およそ3m四方に散乱している状態だった。

 

翌28日に佐賀医大で司法解剖が行われ、白骨遺体の身元が、87年7月から行方不明となっていたFさんであることが判明した。

 

これは、見つかった頭蓋骨の歯型と、Fさんの生前の歯のレントゲンフィルムを照合した結果、明らかになったのだという。

 

Fさんは白骨化していたため、死因は不明とされた。(同時に発見されたNさんとYさんについては、死因は窒息死と判明、後述)

 

 

佐賀女性7人連続殺人事件

(3女性の遺体が発見された、北方町志久大峠の雑木林地点を上空から。グーグルアース画像)

 

 

佐賀女性7人連続殺人事件

(3女性の遺体発見現場地点、1981年10月4日に撮影されたもの。81年の時点で、すでに問題の林道は開通している。北側に植林地帯が見えるが、これは地元の人々によって共同開墾されていたミカン畑。女性らが作業に従事していたというが、事件をきっかけの一つとして、ミカン栽培は取りやめになった)

 

 

佐賀女性7人連続殺人事件

(3女性の遺体発見現場地点、1991年5月5日に撮影されたもの。遺体発見から2年3か月ほどが経過しているが、の北側、ミカン畑あたりの様相が変わっているように見える。すでにミカン栽培は取りやめになっていたのだろうか)

 

 

佐賀女性7人連続殺人事件

(ストリートビューより、遺棄現場となった雑木林を東側---坂の下側から見てみる。道わきは落ち込んで崖状になっており、その崖状の斜面に木々が生い茂り、雑木林を形成している。3女性の遺体は、その崖状の斜面に遺棄されていた)

 

 

佐賀女性7人連続殺人事件

(このあたりかと思われる地点に寄ってみる。もう少し右だろうか)

 

 

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 1988年12月発生の第6の事件

 

佐賀女性7人連続殺人事件

 

被害女性Nさん(当時50)は、杵島郡北方町志久在住の主婦だった。

 

簡易郵便局長の夫と、3人の娘があった。

 

長女はすでに嫁いで87年に出産しており、Nさんは夫と次女、三女との4人暮らしだった。

 

長女は父親(Nさんの夫)と同じ郵便局で働いていたため、その間の長女の子供の面倒をNさんが見ていた。

 

Nさんは、主婦業のかたわら、自宅敷地内のプレハブ工場で縫製の仕事なども行っていた。

 

体を動かすのが好きで、地元のミニバレーボールチームに所属していた。

 

1988年12月7日(水)の午後7時10分ごろ、次女が休憩のため仕事先から一時帰宅すると、Nさんは既に食事を終えて、北方スポーツセンターで行われる週1回のミニバレーボールの練習に行く準備をしていた。

 

同日午後7時20分ごろ、Nさんは黄土色のセーターに横線模様が入ったカーディガン、紺色のジャンパー、紺色のズボンを着用し、シューズを入れたバッグと会費千円を持って、徒歩でミニバレーの練習に出かけた。

 

Nさんは常に眼鏡をかけており、この日も眼鏡をかけて出かけた。

 

Nさん宅から北方スポーツセンターへは、その距離700~800m程度、徒歩にして約10分の道のりだった。

 

途中には、昼でもひと気の少ない、木々の生い茂った切り通しの細道などもあった。

 

普段、Nさんはその道を、近所に住む練習仲間の主婦と二人で通っていたが、その日は練習仲間が都合で休んだため、一人で出かけた。

 

午後10時50分ごろ、次女が仕事を終えて帰宅したとき、Nさんはまだ帰宅していなかった。

 

その日は、ミニバレーの忘年会についての話し合いがあるということを聞いてはいたが、あまりに帰りが遅いので、次女がミニバレーの関係者に電話をしたところ、Nさんが練習に来ていないことが判明した。

 

その後、帰宅したNさんの夫が事情を聞いて、北方スポーツセンターまでの経路を捜してみたが、Nさんの姿は見当たらなかった。

 

翌8日の午前2時過ぎ、佐賀県警大町警察署に捜索願を提出した。

 

大町署では、夜明けとともに地元消防団の協力も得て捜索を開始、北方スポーツセンターへの道沿いや周辺の山などを捜索するも、Nさんの行方はつかめなかった。

 

警察犬も出動したが、Nさん宅から徒歩5分程度のところにある切り通しの道のある地点で、足取りを追えなくなった

 

目撃証言が一つあり、それは、Nさんが家を出てすぐの午後7時30分ごろ、先の「警察犬が足取りを追えなくなった」という切り通しの道のある地点の付近で、Nさんと思われる女性が、自転車から降りてハンドルを握った女性と立ち話をしていた、というものだった。

 

目撃したのは、その地点を自動車で走行していた人物であり、Nさんと思われる女性が話していた女性は、年齢30~40歳ぐらいで、やや小柄だったという。

 

警察では、この女性の洗い出しを急いだが、結局、身元は判明しなかった。

 

 

佐賀女性7人連続殺人事件

(画像向かって右端、水色線の先の地域から、Nさんは徒歩で北方スポーツセンターを目指した。水色線がそのルート。途中ピンク色の道からでもスポーツセンターへは行けるが、Nさんがどちらのルートを辿ったかは不明。出発してわりとすぐのところにあるA地点の付近で、警察犬はNさんの足取りを追えなくなった。また、Nさんと思われる女性が自転車の女性と立ち話をしているのを目撃されたのもA地点のあたりだという)

 

 

佐賀女性7人連続殺人事件

(A地点から、Nさんが来た方向を望んでみる。Nさんはこの道を、夜、一人で歩いてきた)

 

 

佐賀女性7人連続殺人事件

(A地点から、Nさんが向かった方向---北方スポーツセンターの方向を見てみる)

 

 

佐賀女性7人連続殺人事件

(北方スポーツセンター、ミニバレーボールの練習会場だった)

 

 

Nさんの失踪から約50日後の1989年1月27日、失踪地点と思われる切り通しの道から直線で約2.5km離れた北方町志久大峠の雑木林で、成人女性3人の遺体が発見された

 

うち一体は白骨化しており、これは先述した武雄市武雄町富岡在住の老舗割烹仲居・Fさん(当時48)の遺体だった。(死因不明)

 

白のスカートにカーディガン姿の新しい遺体があり、これは2日前(1989年1月25日)に行方不明になっていた北方町大崎在住の縫製会社勤務・Yさん(当時37)の遺体だった。(死因は扼殺。後述)

 

Yさんの遺体から約1.3m離れた場所に、うつ伏せの状態でセーターとスラックスを着用し、上半身の腐乱の著しい遺体があったが、これが、前年の12月7日夜にミニバレーの練習に行くと言い残して失踪していたNさんの遺体だった

 

腐乱が著しいこと、また、胃の内容物がほとんど消化されていなかったということ等から、食事を終えてミニバレーの練習に出た直後に殺害されたものと推定された

 

失踪時にNさんが持って出た布製の手提げバッグとその中身(運動靴、靴下片方、輪ゴム、ピンク色手袋、黒地手袋)が現場に遺留されていた。

 

Nさんが常時着用していた眼鏡は発見されなかった。

 

Nさんの首の一部には、骨折や手指で絞められたような皮下出血、筋肉内出血が認められたため、死因は扼頸に基づく窒息であり、他殺であると推定された。(扼殺)

 

 

佐賀女性7人連続殺人事件

(北方スポーツセンターから3女性遺体発見の現場までは、直線で約2.9km)

 

 

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