井の頭公園バラバラ殺人事件・その3 | 雑感

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井の頭公園バラバラ殺人事件

(1995年3月20日、オウム真理教による地下鉄サリン事件が発生した。その約11か月前に起きた井の頭バラバラ事件で司法解剖を担当した杏林大の佐藤教授は、遺体処理のあまりの特異さから、「過激なカルト教団に属する、複数の人間たちによる犯行」との印象を受けたということだが・・・)

 

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 犯人像(再度、基本情報)

 

とはいうものの、なかなかこれといった犯人像が思い浮かばないのだった。

 

もう一度、基本情報についてザックリとしたところを並べてみるので、犯人像の推測に、よければ使ってみていただければと。

 

 1994年4月23日(土)午前11時ごろに事件発覚(切断遺体発見)、遺体発見場所は、三鷹市の井の頭公園の池の周囲に設置された複数のゴミ箱。(所轄は三鷹署)

 

 被害者は、井の頭公園の近くに住む一級建築士の川村誠一さん(当時35)。(被害者自宅は武蔵野市吉祥寺南町1で、公園の池からほんの少し北側。自宅から公園遊歩道まで徒歩1分半、自転車だと30秒程度)

 

 川村さんは自ら設計した二世帯住宅で、妊娠中の妻(当時35)、息子(当時3)、川村さんの両親と暮らしていた。(妻は事件後、94年9月の終わりごろに次男を出産)

 

 川村さんは当時、港区新橋の建築事務所(大手)に勤めており、積算部の主任に昇進したばかりだった。その設計事務所には当時約2年勤めており、それ以前は、新宿区高田馬場の設計事務所に約10年勤めていた。

 

 4月21日(木)夕刻~、新しい職場での川村さんの昇進を祝うため、高田馬場時代の同僚らが川村さんのために飲み会を開き(高田馬場駅のそばの飲食店)、川村さんはそれに出席し、気分よくカラオケを歌うなど和やかに飲んでいた。

 

 飲み会がお開きになったのち、川村さんは山手線で新宿駅に向かい、そこで元同僚ら二人(一人とも)と別れ、中央線乗り口方向に歩いていくのを目撃されたのを最後に消息を絶った。(4月21日午後11時半ごろ)

 

井の頭公園バラバラ殺人事件

 

 4月22日(金)の夕方ごろ、川村さんの妻が、外泊したことのない夫が前の日の夜から帰らないことを心配し、行方不明の捜索願を警察に提出した。

 

 4月23日(土)午前11時ごろ、井の頭公園の女性清掃員が、公園内のゴミ箱に捨てられていたゴミの中から、人間の切断遺体の一部(左足首)を発見した。(のちに川村さんの遺体と判明)

 

 遺体は穴の開いた水切り用の袋(色は黒とされる)に入れられ、さらにそれを東京都推奨の炭酸カルシウム混入半透明ゴミ袋に入れて結び、結び目でひっくり返してもう一度同じ袋で包むという特殊なやり方で梱包されていた。調理人や、釣り人・漁師など魚を扱う人が内容物の水やにおいを外に漏らさないための方法ともいわれ、病院の汚物処理と同じ方法ともいわれる。

 

井の頭公園バラバラ殺人事件

(東京都推奨炭酸カルシウム混入ゴミ袋。現物はこういったものだったのだろうか)

 

 袋の結び目は「団子状に重ねられて」おり、非常に固かった(何重にも結び目を作っていた、ということかと思われる)。第一発見者の女性が袋を手で開けようとしたが、結び目がほどけず、やむなく竹串で破くようにして中身を改めたという。

 

 通報により、三鷹署と警視庁捜査一課が公園内を捜査したところ、同様のやり方で半透明のゴミ袋に梱包された人間の切断遺体が、公園内のゴミ箱から次々と発見された。

 

 それらのゴミ箱は中が見えない郵便ポスト型で、投入口のサイズは20cm×30cmだった。

 

井の頭公園バラバラ殺人事件

 

 発見された遺体の断片は27個(33個という情報も)。部位は、両手足と右胸の一部のみ。体全体の三分の一程度で、総重量20kg程度。(頭部と、胴体の大部分は見つかっていない)

 

 各断片のサイズは、長さが定規で図ったかのようにほぼ22cm、厚さは、厚い部分は刃物で肉を削ぎ落とすなどして20cm以下に揃えられていた。

 

 見つかった袋(ふくろ)の数は、全部で24とも27ともいわれる。

 

 それらの袋が投入されていたゴミ箱の数は、7とも14ともいわれる。先のオカルトクロニクルさんのサイトでは7であるとし、当時の新聞や週刊誌の記事をもとに、そのゴミ箱の分布と袋の数を以下のようなものとされている。

(図中の池周囲のピンクの数字が、袋が入れられていたゴミ箱の位置と、そこで見つかった袋の数。池の外周の遊歩道の距離は約1.6km、徒歩でノンストップで一周すると20分程度、ママチャリだと6分程度?)

 

井の頭公園バラバラ殺人事件

 

 遺体の切断は、普通の手ノコによる(電動ノコギリではない)。肉を削いだ部分には鋭利な刃物を使っている。

 

 切断の仕方にはいくつかのパターンが見られた。(肉を削ぎ骨を露出させてから手ノコをあてた部分、そうせずに、いきなり肉の上から手ノコをあてている部分、骨の一番下まで手ノコで切断している部分、骨の途中まで手ノコで切って残りをポキンと折っている部分など、少なくとも3パターンくらいは明らかに異なった切断方法が見られた。)

 

 血液が一滴残らず抜かれていた。解剖医は、水を溜めてもみ洗いをしたのだろうという印象を受けた。

 

 指紋は削ぎ落とされ、掌紋にも傷がつけられていた。

 

 入念に洗われた形跡があった。手掛かりとなるような付着物も採取できなかった。

 

 死因の特定はできなかった。毒殺の形跡なし、交通事故のものと思われる傷もそれらの断片には見られなかった。唯一、生活反応のある傷として、「胸郭に属する軟部組織、肋骨の一部に付着している筋肉組織に、ほんのわずかな出血があった」

 

 死亡時刻の推定はできず、「この遺体は、そんなに古いものではない」ということのみわかった。

 

 4月26日(火)、遺体の身元が特定された。身元特定はDNA型によったほか、わずかに残っていた真皮の指紋によった、あるいは、傷つけられた掌紋の一部によった等の情報がある。

 

 第一発見者の女性清掃員によると、4月22日(金)の午後3時のゴミ収集時点では、不審なビニール袋はなかった。

 

 1994年当時、川村さんが居住していた武蔵野市についていえば、家庭用「燃えるゴミ」の日は「月・水・金」であり、「午前中」に回収作業を行っていた。(正確には、遺体が発見された池周囲ゴミ箱の位置は「三鷹市」となる)

 

 新宿駅で元同僚(ら)と別れて以降の、被害者および不審者(不審事象)の目撃情報はいくつかあり、「その2」を参照いただければと。

 

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 犯人像(解剖医の見解)

 

司法解剖を担当された杏林大の佐藤教授は、死体処理の特異さから、マインドコントロールを受けた過激なカルト教団の人間たちによる犯行、という犯人像を抱かれたと。

 

自分的には、明確な犯人像はわからないながらも、カルト教団による犯行という風には思っていないのですが、その特異すぎる遺体を実際に手に取り分析された方の見方ということで、非常に参考になると考えるので、以下に紹介してみます。

その1が、1999年出版の雑誌における談話。その2が、控訴時効成立後の2010年に出版された雑誌における談話)

 

その1---「文字通り、血は一滴も残っていませんでした。おそらく搾りあげるようにして抜いたと思うのですが、組織の深いところにある血液は、ただ絞るだけでは簡単に抜けないものなんです。逆にいうと、血液を一滴も残さずに絞り出すには、ある程度のテクニックが必要とされる。だからこの作業をした人は、少なくとも血管の走行を熟知している人、深いところに溜まっている血液をどう出すかを知っている人だと思います。そんなことができる人間は限られてくるのですが・・・。

(中略)おそらく体内に血液が残っていると、被害者の血液型が判明したり、DNA鑑定が可能になると思ったのではないでしょうか。でもそれは素人考えなんですね。たとえば、血液がなくても、骨髄や筋肉の組織、つまり核を持っている細胞が残っていれば、そうした鑑定はできてしまうんです。

(中略)犯人が複数だと思うのは、切断の仕方に数種類の特徴がみられるからです。遺体を切るにあたって、いきなり乱暴に手ノコをあてているところがあるかと思うと、鋭利な刃物で肉を切って骨を露出させてから慎重に切断している個所がある。また骨のいちばん下まですっきり切っているところもあれば、途中まで切ってポキンと折っている個所がある。

骨を折るのは、処理をしながら"学習"したということも考えられますが、少なくとも3パターンくらいは明らかに異なった切断方法がみられるんです。

遺体処理については、おそらく数人がグループを組んで、遺体を切る、洗う、梱包するというのを流れ作業的にやっていると思います。

またあれだけ大量の血を搾り出すには、大量の水が必要になりますから、普通の家の浴室というのは考えにくい。あの処理の仕方を見ると、元々準備されていた場所で、定められた遺体処理の手順にのっとって、冷静に行われたという感じがします。

私は殺人事件などの場合は、必ず犯人と被害者の動きなどを頭の中でシミュレーションするんですが、それと同じように、この遺体処理の跡を見ていると、どうしてもそんな複数犯のイメージが浮かんできてしかたがないんです。

(中略、捜査本部の刑事たちに解剖の説明をしたあと)私は、遺体の処理について、『これはマインドコントロールされている人間たち、たとえば過激なカルト教団に属する人間が、複数で、粛々とやった行為だと思う』と言いました。

私が知っている限り、これほど緻密で異常な遺体処理をやっている例は、世界の犯罪史上でも類を見ないんです。そんなことができるのは、なにか宗教的な背景があるグループでしかない。」

 

その2---「(遺体の)それぞれの部分の両端の切断面には水切りの網がはめられていて、血液がすべて抜かれていたのです。水を溜めて、もみ洗いをしたのでしょう。飲食店で働いていたか、食肉加工に携わったことがある人でないとできないような作業です。

血を抜くには血管がどう走っているかを知っていなければできませんから、医学的な知識も兼ね備えていたと考えられます。

(中略)遺体の処理や梱包の仕方を目の当たりにして、私はこんなことは一人ではできないとすぐに思いました。犯人は複数で、一人は粛々と決められた長さに遺体を手ノコで切断している。もう一人はその大きさを調整し、さらにもう一人はそれを水洗いして、血を抜いている。最後の一人はそれを一つずつ丁寧にビニール袋に梱包していく。

少なくとも四人の人間が並んで、冷静に作業を進めている映像が脳裏に浮かんできました。

場所は大量の水が流せて、四人が整然と作業ができるだけの広さを備えたところでしょう。大型の台所や厨房、浴室などです。

切断で大量の血液が出ますから、それを流せるところでなければできません。複数の人間が協力して、自分の役割を冷徹に遂行しなければ、このような遺体処理はできません。

果たして犯人たちは何者なのか。

私は強いマインドコントロールを受けた過激なカルト教団に属した人間たちではないかと考えました。なぜなら、普通の人間であれば、遺体を切断し、処理するような作業をするとき、吐き気や頭痛が起こり、逃げ出したくなるような衝動に駆られるはずだからです。

そこで私は捜査にあたっていた警察官にある宗教団体の名前を告げ、広域捜査体制を敷くことと、犯人のプロファイリングのために警察庁の科学警察研究所にいるプロファイラーの協力を仰ぐことを提案しました。

(中略)しかし、返ってきた反応は「いや、先生、あそこはそこまではやらんでしょう」というものでした。

確かに家族も含めて被害者とその宗教団体との関係はまったくありませんでした。

(中略)しかし、被害者はカルト教団に間違って殺されたのだと考えることはできないでしょうか。

信者の中に被害者と似た人がいて、彼が教団を抜けようとした。それで粛清の指令が下された。実行犯は間違って殺したことに途中で気づいたが、捕まらないために、計画通り、遺体を処理するしかなかった・・・。

(中略)これは解決できないかもしれない、と思ったのは、被害者の足取りが途絶えた夜に、被害者の通勤路で『ドーン』という衝撃音が聞こえたという情報に警察が引っ張られていったときです。死因はわからないにもかかわらず、その情報と、遺体の横隔膜にほんのわずかな出血があったことから、被害者を轢いてしまった犯人が隠蔽のためにバラバラにした、という見立てがなされてしまった。しかし単なるひき逃げ犯があんなやり方で遺体をバラバラにするでしょうか。案の定、交通事故と事件は無関係であることがわかりました。」

 

 最後の部分、「案の定、交通事故と事件は無関係であることがわかりました」とあるが、何日何時にどこでどんな交通事故が起こり、どんな捜査によって事件と無関係であることがわかったのか、ということは、気になるところながら、談話中では語られていない。

 

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以下、※※の部分は自分が感じた素朴な疑問というか、メモみたいなものです。

 

※※

佐藤教授の言葉として、「それぞれの部分の両端の切断面には水切りの網がはめられていて」とある。この状況が想像しにくい。

それぞれの断片の両端(切断面)に、画像のような水切りの網がカポっとはめ込まれ、紐か何かでぐるぐる巻きにされ固定された状況を一瞬思い浮かべたが、さすがにそれはないだろうと。

 

井の頭公園バラバラ殺人事件

 

とすると、ウィキペディアにもある通り、遺体の断片は細かい穴の開いた水切り袋に入れており、佐藤教授はこの状況を、「それぞれの部分の両端の切断面には水切りの網がはめられていて」と表現したのだろうか。おそらくそうなのかな、と想像するが。

 

井の頭公園バラバラ殺人事件

井の頭公園バラバラ殺人事件

(遺体の断片は、まずこのたぐいの水切り袋に入れられ、それからさらに大きめのゴミ袋に入れてられていた、ということだろうか)

 

※※

佐藤教授の言葉として、「文字通り、血は一滴も残っていませんでした」とある一方で、「遺体の横隔膜にほんのわずかな出血があった」ともある。

「横隔膜にほんのわずかな出血」という部分については、別の個所で、「胸郭に属する軟部組織、肋骨の一部に付着している筋肉組織に、ほんのわずかな出血があった。でもそれは打撲されるような場所ではないし、肋骨が折れているわけでもない。結局、なぜそこに出血が起きたのかを特定することはできませんでした」とも表現されている。

「血は一滴も残ってなかった」という状況と、「横隔膜にほんのわずかな出血」という状況は、専門的には特に矛盾はないということなのだろうか。

(出血したその血が残存していたということではなく、出血した"痕跡"が残っており、それは血が一滴もないということと矛盾しない、ということなのかなと想像するが、どうなのだろうか)

 

※※

発見された断片の総数が27個(33個という情報も)、その部位は、「両手足」「右胸の一部(胴体の大部分は未発見)」であったと。

仮に、「断片の総数 = 27個」との前提に立ち、「両手足からの断片 = 25個」、「右胸の一部からの断片 = 2個」として無理やり設定し想像してみると、

両手足から「長さ約22cmの断片」が25個とれるとは、どういう切断の仕方だろうか?・・・などと考えたりする。

すべての断片を「骨付き」とすると、「長さ約22cmの骨付きの断片×25個 = 550cm」となり、人間の両手足の長さの合計としては長すぎるので、断片の中には、骨の付いていない、肉だけの部分も多数あったのかなと。

厚みのある部分は肉を削いであったとのことで、おそらくそれは「太もも」や「ふくらはぎ」だったのかと思われ、そういった部分から削ぎ落した、骨の付いていない「肉だけの断片」も混ざっていたのではないだろうか。

被害者の身長は伝わっていないが、仮に170cmだとすると、指先から肩上までが72cm程度、股下が77cm程度が平均値らしい。

とすると、片腕からとれる骨付きの断片(長さ約22cm)は、単純計算で3.3個、端数を切り捨てて3個、

片足からとれる骨付きの断片(長さ約22cm)は3.5個、

ただし、大腿骨は股上まで(股関節まで)伸びているし、身長170cmの人でも、寝かせてつま先を伸ばした状態なら、一概に「股下の平均77cm」とかでは語れないと思われ、それを考えれば、片足からは「長さ約22cmの骨付き断片」が4~5個はとれるのかなと。

両手足から長さ約22cmの断片(骨付き)が計14~16個、これだと25個にはまだ9~11個足りない。

その足りない9~11個が、骨付きではない、太ももやふくらはぎから削いだ「肉だけの断片」だった、ということなのだろうか。

特に腕の部分と太ももの部分などは太さが全く違う。太さは腕のほうのそれに合わせようとしたのではないだろうか。

 

井の頭公園バラバラ殺人事件

(この人体の骨格が約170cmとして、水色の線はその間隔が約22cmになるように引いてある。例えば、くるぶしのすぐ上で切るやり方だと、こういった感じになるかと)

 

※※

最初に発見された袋には「左足首」が入っていたという。

そして断片は「長さ約22cm」で揃っていたというのだが、この「左足首」については、どの部分が長さ約22cmだったのだろうか?

というのは、被害者は男性であり、足の裏のサイズだけでも、25cm前後はあるのではないだろうか。

足の指や踵(かかと)を削って長さ約22cmに揃えていたという話は聞かないが・・・それとも、被害者の足は長さ約22cmと、女性並みに小さかったのだろうか?

(実はソース不明のネット情報ながら、「被害者の足のサイズは女性並みに小さかった」という情報がある)

足首の部分については、「長さ約22cm」というのは、女性並みに小さかった(かもしれない)足の裏の寸法ということなのだろうか?

 

井の頭公園バラバラ殺人事件

ピンク水色の、どの矢印の部分が長さ約22cmだったのだろうか? 男性ならどの矢印の部分であれ、長さ約22cmというのは非常に小さい部類だと思う。それとも、この図とは全く違う切り方をしていたのだろうか?)