関さば、関あじなら歓迎だが、関光彦だけは遠慮したい・・・そう思う人も多いのではないだろうか?
市川市一家4人殺人事件の犯人・関光彦の死刑が執行された。(執行日12月19日)
1992年3月の犯行当時19歳、2001年12月に死刑判決が確定、その16年後の死刑執行だった。
人間ここまで悪くなれるものだろうかと、語弊のある言い方ながらある種のすがすがしささえ覚えるほどの鬼畜ぶりは、以下のウィキペディアに詳しい。
ただ自分的には、同時に死刑執行された群馬県安中市の松井喜代司のほうが気になった。(1994年に交際相手の女性とその両親の計3人を殺害)
安中と聞くと霧積の事件を連想する。これまで未解決事件を多く根掘り葉掘りしてきた中でも、自分の中では特に印象に残った事件だった。
安中の死刑囚と聞いて、ついこの松井某の犯行の手口や、(霧積の事件があった1972年)当時の年齢を調べてしまった。
あの事件、「犯人は釣り師」と予測したのだったが、犯人はまだ生きているのだろうか?
釣りといえば、冒頭の関さば、関あじも、大分の関崎と愛媛佐田岬との間にある豊予海峡で、一本釣りによって上がるのだという。
その好漁場である豊予海峡のわりと近くに、日出町(ひじまち)という田舎町がある。
日出町では2011年9月、35歳の主婦が失踪してそれっきりになっている。
あまり妄想は広げず、事実関係だけ整理してみたいと思う。
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2011年9月12日(月曜日)午前11時半~15時ごろから、大分県速見郡日出町大神の主婦・光永マチ子さん(当時35)が行方不明となっている。
自宅から失踪したとみられている。その自宅の位置は・・・、(赤ピンの先)
2011年のカレンダー。東日本大震災や原発事故があった年。
※※ パソコンからご覧の場合で、画像によってはクリックしても十分な大きさにまで拡大されず、画像中の文字その他の細かい部分が見えにくいという場合があります(画像中に細かい説明書きを入れている画像ほどその傾向が強いです)。その場合は、お手数ですが、ご使用のブラウザで、画面表示の拡大率を「125%」「150%」「175%」等に設定して、ご覧いただければと思います。※※
■ 光永マチ子さん(以下、マチ子さん)に関する情報
・1975年9月25日生まれ
・身長152~153cm
・体重42~45kg
・顔写真は本名で画像グーグルすれば出ます
・髪は毛先の丸い天然パーマで、肩くらいの長さ(後ろで一つに束ねていることが多かった)
・声が年齢より若くトーンは高め
・手先が荒れやすいため、指輪はしていなかった
・夫と、子供2人あり
・子供は上が男の子で当時10歳の小5、下は女の子で当時7歳の小1(か小2)
・自宅住所が日出町大神なので、子供たちが通っていた小学校は自宅から約2km離れた大神小学校(日出町大神3139-1)ではないかと思われるが、正確なところは不明。
・結婚以来ずっと専業主婦、「ごく普通のと言ってもいい、子供達ばかりを見て生活している専業主婦です」(夫談)
・失踪時の服装は、黒っぽいTシャツ、黒っぽい七分パンツとみられており、これは普段着として着ていたもの。
(胸に白字のある黒のTシャツに、下は茶色に近いベージュの七分丈の綿パンという情報もある)
・化粧品はおろか、着替えの一枚も持ち出された形跡がない(夫談)
・日出町大神の自宅は、田畑に囲まれた一軒家
(遠く失踪現場となったと思われる自宅を望む。付近は民家が点在する田舎の集落。最も近い隣家は直線で約140m離れたところにあり、文字通りの田畑の中の一軒家)
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■ 失踪当日の流れ
失踪したのは2011年9月12日(月曜日)、その日、マチ子さんは朝から体調がすぐれなかった(夫談)
体調がすぐれなかったためか、マチ子さんは朝の支度が遅れた。
そのため子供たちが遅刻気味となり、その日はマチコさんが子供たちを学校まで車で送った。
(普段は徒歩で通学。大神小学校だとすれば、徒歩での距離は約2km)
午前9時45分ごろ、小学校から「長女の歯が欠けたので迎えに来てほしい」と連絡があり、マチ子さんは車で小学校へ向かった。
午前10時過ぎ、マチ子さんは小学校で長女を引き取り、歯科医院へと向かった。
(歯科医院は日出町川崎4941-2の「なかしま歯科」)
(歯科医院。南側から見た風景)
治療後、マチ子さんは長女を小学校に送る前に、歯科医院から約1km離れたところにあるスーパー「マルショク川崎店」に寄って買い物をしている。
スーパーの防犯カメラには二人がお茶などを買う姿が映っていた。
(治療後、長女が学校に戻ることを希望したとの情報がある)
(マルショク川崎店。上は東から、下は西からの風景)
午前11時30分ごろ、長女を小学校に送り届けた。その際、長女に「家に帰って寝ている、終わったら電話して」と約束して帰宅している。(夫談)
(別れ際に長女に言い残した言葉としては、「気分が悪いから病院に行くね」「眩暈がするから家で横になるね」というものであったとの情報もあり、一定しない。「病院に行く」と「家で寝ている」では、かなり違う気もするのだが・・・)
午後3時ごろ、長女が帰宅すると、玄関のカギは開いており、マチ子さんはいなくなっていた。
「私達家族は妻が何かしら事件に巻き込まれた、連れ去られたと感じています。」(夫談)
(画像中央やや右上、ピンクの大きな丸の中にマチ子さんの自宅がある。小学校については、子供たちは自宅住所からして大神小学校に通っていたのではないかと思うが、川崎小学校という言葉も出ていたので、念のため川崎小の位置も示した)
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■ その他の情報
・マチ子さんの失踪後、家から次のものがなくなっていた。
①普段使っているモノトーンのポーチ
②財布などが入っていたバッグ(黒とグレーのチェック地の英字がプリントされたショルダーバッグ、との情報あり)
③自宅のカギ
④マチ子さんが使っていた車のカギ(カギのみがなくなっており、「外出時には必ず使っていた(夫談)」というマチ子さんの車は家に置いたままだった)
⑤マチ子さんが使っていた白い枕
⑥長女がタオルケット代わりに使っていたプリキュアのプリント入りバスタオル
⑦鼻緒に大きな白い花のついた水色のビーチサンダル
「部屋から持ち出したことの無い妻の枕と、娘のバスタオルが無くなっています」(夫談)
・なくなっていたバッグには子供とマチ子さんの健康保険証、キャッシュカード、クレジットカードも入っていたとみられている。
しかし保険証、カード類が失踪後に使われた形跡はないとのこと。
・失踪前にスーパー「マルショク川崎店」で買ったとみられるお茶が、飲みかけの状態で冷蔵庫に入っていた。
・携帯電話は自宅に置いたままだった。
・「とても慎重な性格で、いつも家のカギをかけて出かけていた(夫談)」が、長女が帰宅した時、カギはかけられていなかった。
・部屋に荒らされた形跡はなかった。
・当日の日中の最高気温は約30度、一日を通じて降雨はなかった。
・マチ子さんの夫が情報募集のためのブログを開設している(ここ数年更新がない)
・警察犬にマチ子さんのにおいをかがせて探らせたところ、すぐに家の前に戻ってきてしまった、との情報がある。
(これについては、マチ子さんの夫の知り合いとみられる人物が情報を呼びかけるアメブロの記事中で、「ご主人から前に聞いたことです」と断ったうえで、「自宅には鑑識など来ず、警察犬が一回来て簡単に処理されたと伺いました」と述べている。)
・その他、「マチ子さんが休んでいた部屋の窓とカーテンが全開だった」「残されていた携帯電話は布団の下にあった」等の情報があるが、真偽は不明。関心のある方は、調べてみていただければと。
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■ マチ子さんの友人のアメブロ記事に見る失踪前の様子
以下(「 」内)は、マチ子さんの友人のアメブロ記事からの抜粋。
マチ子さんの人となりや、失踪前の様子を垣間見るには参考になるのではないかと。
元記事はググれば簡単に見つかるので、できればそちらを読んでみてください。
「マチ子ちゃんは、子煩悩で、家族をすごく大切にしていた。姿を消したという言い方は、あまりにも不自然な感じだ。誰かに連れ去られたんじゃないのかと、考えている。いなくなる3日前には、仲の良い友人たちでみんなでカラオケに行った。いつも通りの、すごく楽しい時間を過ごした。その後は、(マチ子さんの)親戚の結婚式があると言うことで、結婚式に着て行く服を選びに二人で買物に行った。その後、私の家でいつものようにおしゃべりしながらお茶をした。いつも通りのマチ子ちゃんだった。普段通り、何も変わった様子もなかった。じゃ~またね~!今度はランチでも行こう~って話して別れた。」
「毎週、火曜日と水曜日と金曜日は子供の習い事で、(マチ子さんと)顔を合わせていた。(失踪翌日の)火曜日には、またいつものように馬鹿話をしていたはずなのに。月曜日(2011年9月12日)の昼ぐらいから、忽然と居なくなった。子供の帰る時間にはいつも家で待っていたはずのマチ子ちゃん。その日は、学校に子供を迎えに行く予定だった。でも、迎えには来なかった。子供が学校から帰ってきた頃にはもう、姿はなかった。カバンと、タオルケットと枕という、持ち歩くには不自然なものと一緒に、いつもきちんとしていた戸締りはしないまま・・・いつも持ち歩いていた、携帯電話は置いたまま・・・それから、何も分からないまま7か月と言う時間が過ぎた。人が一人、忽然と居なくなったのにもかかわらず、何もわからない状態。」
「あれから7か月・・・私たち、仲の良かった友人との集まりも、なくなった。マチ子ちゃんの家族の生活も一変した。(マチ子さんの子供たちは)学校も転校し、祖父・祖母と生活している。まだまだ小学生。母親に甘えたい気持がいっぱいだ。まだまだ母親が必要な年代だ。旦那様も、一人でマチ子ちゃんの帰りを待っている。マチ子ちゃんが居なくなったあの家で。想像を超える辛さだと思う。どう考えても、マチ子ちゃんの意志ではなく、第三者の手によって連れ去られたんではないのか? 何度考えても、どう考えても不自然なことばかりだ。」
「(マチ子さんが失踪した日の)夜の7時ごろのこと。マチ子さんの子供たちがおばあちゃんと一緒にうちに来て、お母さんが来てない?(家に)いないんだけど、と私に尋ねた。話を聞くと、子供たちが学校から帰って来てから、ずっと母親(マチ子さん)がいないとのこと。(マチ子さんの帰りを待っているうちに)夜になったので、お父さんとおばあちゃんに電話したとのこと。いつも、子供の帰る時間には家にいたマチ子ちゃんが?って、不思議だった。」
「何も言わず、何の前触れもなく、いなくなってしまって、何がどうなったのか全くわからない状態。いつも子供たちや、家族のことを誰よりも大事にしていたマチ子ちゃん。いいかげん子離れしないと~、なんて、笑って言っていた。そんなマチ子ちゃんが、どんな事情があったとしても家族に何も言わないまま自分の意志で失踪するとは、とても考えられない。居なくなる前は一緒にカラオケ行ったり、買い物に行ったりしていた。とても自分の意志で出て行くとは思えない状況。(マチ子さんの親戚の)結婚式に行く話や、(近々行われる)運動会の話などをしていた。いつも子供達のことを一番に考えていたマチ子ちゃん。そんなマチ子ちゃんが、子供を置いて自分のことだけを考えて、自分の都合だけで、出て行くとは思えない。」
明るく子煩悩というマチ子さんの人物像が浮かんでくる。
マチ子さんに自ら失踪する理由があったかどうかはわからないが、少なくとも表面的には、自ら失踪するなどとは微塵も感じさせない様子であったことが見て取れるのではないかと。
上の友人のアメブロに、マチ子さんの夫が次のようなコメントを寄せていた。
「誰かの手で連れ去られたとしか言えない状況です。行方不明になる直近の将来にマチ子が楽しみにしていた行事が続く予定でしたし、子供逹が一番大事なマチ子が子供逹を置いて出て行ったなど考えられません。」
ここで夫が言っている「マチ子が楽しみにしていた行事」とは、マチ子さん本人の誕生日(9月25日)や、親戚の結婚式、運動会などのことかと思われる。
同じくマチ子さんの友人のアメブロに、マチ子さんの親戚と称する人物が、次のコメントを寄せていた。
「まっちゃん(マチ子さん)は、寝るとき携帯はバイブにするみたいです。姉が言ってました。携帯見つけた時はバイブのままだったらしいです。人の命に関わる問題なのに警察は! しょせん他人事として軽視してるんですかね。」
本当に親戚なのかどうか、またこのコメント内容の真偽はどうなのか、わたし的には、他のコメントも合わせ読んでみて、本当に親戚の方だろうという印象を持ったので紹介してみた。(ただしこれはあくまで真偽不明なので、それぐらいの情報として、参考にしてみていただければと)
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■ マチ子さんの失踪前後に起きていた日出町の二つの事件
(画像中央やや右上、ピンクの大きな丸の中にマチ子さんの自宅)
● マチ子さんが失踪した翌日(2011年9月13日)のこと、大分県日出町川崎に住んでいた2歳の女の子の行方が分からなくなるという事件が起きている。
この女の子の母親(当時34)は、当初、警察に対して「娘を車の後部座席に乗せスーパーに買い物に来た。駐車場に車をとめ、自分だけ店に入り5分ほどで車に戻ってみると、娘の姿が消えていた」と説明していた。
このスーパーが日出町川崎にある「マルショク川崎店」であり、光永マチ子さんが失踪直前に長女と一緒にお茶などの買い物をしたスーパーであった。
1日違いで消息を絶った同じ日出町在住の女の子と主婦、その二人ともがマルショク川崎店に来ていたということから、二つの出来事が何らかの形で関連しているのではないかという噂も乱れ飛んだようではあった。
しかし女の子の事件のほうは結局、発生から約5か月後に死体遺棄容疑で母親が逮捕され、その供述に基づき、日出町大神の墓地近くの雑木林で白骨遺体の一部が発見された。死因が特定できず、殺人容疑での立件には至らなかった。
ちなみにマチ子さんの夫によると、マチ子さんとその2歳の女の子との間に面識はないとのこと。
(日出町大神の墓地。白骨遺体が見つかったのは画像中央やや左手に見える林の中と思われる)
● マチ子さん失踪の約2か月半前(6月27日)、大分県日出町川崎在住の老夫婦の刺殺体がその自宅で発見されるという事件が起きている。
その老夫婦の自宅はとある歯科医院の斜め前にあり、その歯科医院というのが、マチ子さんが失踪直前に歯の欠けた長女の診療をしてもらった歯科医院だった。
マチ子さんが失踪当日に訪れていた歯科医院の斜め前の家で老夫婦の刺殺体が発見され、マチ子さん失踪の時点ではいまだ未解決のままだったのである。
このことからやはり、老夫婦刺殺とマチ子さん失踪は何らかの形で関連しているのではないかという噂が乱れ飛んだようではあった。
しかし老夫婦刺殺のほうは、2014年3月、刺殺体のうちの一方である夫(当時86)による無理心中であったとして、殺人の疑いで、容疑者死亡のまま大分地検に書類送検されている。
部屋が密室状態で争ったり荒らされた形跡がないこと、司法解剖の結果、夫と妻の死亡推定時期に数時間から半日のズレがあること、夫は自傷後、少なくとも1時間は動ける状態だったのに助けを求めたり逃げたりしていないこと等の状況から無理心中と判断されたとのこと。
遺体発見から3年近くも経って無理心中という判断なのかと若干いぶかしく思わないでもないが、ともかくもその幕引きとされたのだった。
人口2万8千の静かな海沿いの町で、似たような時期に立て続けにセンセーショナルな事件が3件も起きたことで、それらの事件の関連を疑いたくなるのは当然だとしても、結果的には、これらの事件の間に関連性はなかったとみてよいのではないかと。
(老夫婦の事件があったのは画像向かって右側のほうのどこかかと思われるが、間違っているかもしれないし、あまり言わないほうがいいと思われるので特定はしないでおこうと。これも調べれば簡単にわかるので、関心ある方は調べてみてください。すでに取り壊し済みかと思いますが・・・)
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■ まとめ
自発的失踪の線は薄く、車で移動したのではないかなと。
自発的失踪を考えないとすれば、
A. 生きた状態で強制的に家から連れ出された
B. 亡くなった状態で家から運び出された
C. 玄関先で車に乗ったところまでは自発的だったが、その後に(生死はともかく)自分の意志で動けない状態になった
思い浮かぶのは上の三つぐらいかと。
マチ子さんの夫の記憶が正しければ、家から以下のものがなくなっていたとのこと。
①普段使っているモノトーンのポーチ
②財布などが入っていたバッグ(マチ子さんや子供たちの保険証、キャッシュカード、クレジットカードなども入っていたとみられている。バッグの種類については、黒とグレーのチェック地の英字がプリントされたショルダーバッグ、との情報あり)
③自宅のカギ
④マチ子さんが使っていた車のカギ(カギのみがなくなっており、「外出時には必ず使っていた(夫談)」というマチ子さんの車は家に置いたままだった)
⑤マチ子さんが使っていた白い枕
⑥長女がタオルケット代わりに使っていたプリキュアのプリント入りバスタオル
⑦鼻緒に大きな白い花のついた水色のビーチサンダル
仮にAかBの状況だったのだとすれば、①~⑦がなくなっていたというのは、マチ子さんを連れ出した(運び出した)者が「証拠隠滅等、何らかの必要に迫られ持ち出した」あるいは「自発的失踪を装う等、偽装のために持ち出した」といったところが考えられるのではないかと。
もちろんその両方、つまり「一部については証拠隠滅のための持ち出し」であり、「その他については自発的失踪を装うため等の偽装としての持ち出し」といったことも考えられるかと。
一方で、仮にCの状況だったとすれば、マチ子さんは①~⑦のようなものを持って、自らその人物の車に乗り、どこかへ行こうとした、その後、事件に巻き込まれたのだろうなと。
この事件のキツさというのは、当時小学生だった、まだ学校に通っている子供たち(現在高2と、中1か中2)がいるということで、あまり妄想を逞しくするのもなんであると。
Cの場合に考えられることとして、一つだけ感想を書くことをお許しいただくとすると、それは、タクシーに乗った可能性かと。
もしマチ子さんが家の固定か携帯からタクシーに電話していれば(警察がその気になって捜査すれば)足がつくと思われるものの、電話しなくてもタクシーには乗れるわけで、
例えば、マチ子さんはその日、朝から体調がすぐれなかった、長女にも学校での別れ際(午前11時30分ごろ)に、「具合が悪いので家で寝ている。終わったら電話して」あるいは「具合が悪いので病院に行くね」と言ったとのことで、
とにかくマチ子さんは体調が悪かった、長女と別れてそのまま自宅に戻ったマチ子さんは眩暈(めまい)がするやらで本当に寝ていた、そうこうするうち、これは本当にまずいのではないかと思うほど苦しくなってきた、これは病院へ行こうと、
そこで午後イチの診察時間に合わせて車で自宅を出ようとした、電話に出たい気分でもなかったので携帯は布団の上に置いたままにした、
運転席に乗り込みハンドルを握るが眩暈がする、本当は運転するどころか後部座席で寝転がりたいくらいだが仕方がない、自分で運転していくしかないと腹を決め、
家の敷地から公道に乗り出そうとしたところで、向こうからタクシーが走ってくるのが見えた、「無理するなというサインかも」・・・自力で行くものと決めていたマチ子さんの緊張の糸がここでプツリと切れた、
ブレーキをかけてウインドウを下ろし、タクシーに向かって手を振るマチ子さん、道脇に車を寄せるタクシー、マチ子さんは車を降り、「病院に行きたいが体調が悪く自分で運転するのはきつい。ちょっと待っていてほしい」と運転手に事情を説明、
そのまま自車を車庫に戻し、家に入ってタクシーの後部座席(あるいは病院の長椅子)で寝転ぶための愛用の枕と軽く上に掛けるもの(娘のバスタオル)を持ち出し、それを手にタクシーへと向かった、
眩暈がするやら急ぐやらで、玄関に鍵をかけることは忘れた、あるいは施錠のことを忘れたわけではなかったが、その時は体調の悪さのため、もういいやという投げやりな気分になっていた、
そのままタクシーに乗り込み病院名を告げ、後部座席で枕をして横になり、タオルケットをかけ、運転手に「すみません、気分が悪いので・・・着いたら呼んでください」と言って目を閉じた、マチ子さんのその様子から、運転手もシートベルトのことはとやかく言わなかった、
道中、運転手は目を閉じて横になるマチ子さんの姿をチラチラとバックミラーで見ていた、やがて良からぬ心が頭を持ち上げてきたのである・・・
病院へと向かう曲がり角を素通りし、一路、山奥へと続く林道の入り口を目指すタクシー、異変に気づかず目を閉じて横になっているマチ子さん、
「もうこのあたりでいいだろう」
運転手は雑木の生い茂る薄暗い林道脇に少しだけ開けた草地に車を停めると、無言でドアを開け後部座席へと歩み寄った・・・。
(日出町某所の林道奥)
とはいえ、こういった展開は考えにくいと思う。
やはりいい歳をした女性が、どれほど気分が悪いといっても、タクシーに乗るのに枕とタオルケット持参というのには違和感があるかと。
また、病院へ行くのに、鼻緒に大きな花のついたビーチサンダルを履いていくというのも解せない。仮に当初は自分で運転しようとしていたなら、なおさら、この履物には違和感を覚えるのだった。
なので、仮にCの状況(玄関先で車に乗ったところまでは自発的だったという状況)があり得たとしても、それは、タクシーに乗ったのではなく、別の何かに乗ったのではないかと思う。
A. 生きた状態で強制的に家から連れ出された
B. 亡くなった状態で家から運び出された
C. 玄関先で車に乗ったところまでは自発的だったが、その後に(生死はともかく)自分の意志で動けない状態になった
自分的には、CよりはABであり、AよりはBではないかという気がする。
なので、本来はBについての妄想を展開してみるべきかと思うが、それについては、色々と気の引けるところもあり、遠慮したいと。
調べが足りないので、まだまだ記載漏れの情報もあると思われ、妄想話も途中でやめるなど、消化不良気味になってしまった。
考えたり、話題にすることが、風化防止や記憶の喚起に役立つこともあるのではないか、と思う。
関心のある方は、独自に調べて、考えてみていただければと。