(宮澤家の西を流れる仙川対岸の遊歩道わきで発見された謎の地蔵。
事件発生から100日目にあたる2001年4月9日の朝、「拝んでいる人がいる」との住民の通報を受け、警察官が駆けつけると、そこには歩道脇から対岸の宮澤家に向かい両手を合わせるこの地蔵の姿があったという。)
※※ パソコンからご覧の場合で、画像によってはクリックしても十分な大きさにまで拡大されず、画像中の文字その他の細かい部分が見えにくいという場合があります(画像中に細かい説明書きを入れている画像ほどその傾向が強いです)。その場合は、お手数ですが、ご使用のブラウザで、画面表示の拡大率を「125%」「150%」「175%」等に設定して、ご覧いただければと思います。※※
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この事件にはまだ、
・地蔵
・アイス
・ネット接続
・抜けていた(?)パソコンのコンセント
・浴槽への書類等、物品ぶちまけ行為
・何かを探していたのか、探していたとすれば、それは何だったのか
・遺体の状況から思うこと
などの、考えてみたい点があると。
その他にもまだあるとは思いますが、
とりあえず、上の点について考えをまとめてみたいと。
まず地蔵について、状況は次のようであったと。
2004年10月15日の朝日新聞:
「東京都世田谷区で00年12月、一家4人が自宅で殺害された事件で、警視庁は15日、発生から100日目に現場近くで見つかった『お地蔵さん』を公開した。
これまで3年半にわたって事件との関連を調べてきたが、『だれが、何のために置いたのかはまったく謎』としており、同庁は情報提供を求めている。
成城署捜査本部によると、地蔵は御影石製で高さ約60センチ、重さ約20キロ。
台座に『六』らしき文字が刻まれている。
比較的新しく、中国製か韓国製とみられる。
01年4月9日朝、同区上祖師谷3丁目の亡くなった宮澤みきおさん(当時44)方の西側を流れる仙川の対岸の遊歩道脇で、住民が『拝んでいる人がいる』と通報してきたため、見つかった。
当時24時間態勢で周囲を監視していた警察官は気づかなかったという。
事件発生から100日目という区切りの日で、地蔵の顔も現場を向いていた。
捜査本部は『事件と関係のある者が置いた可能性がある』とみて、持ち帰って調べた。
しかし、指紋や付着物は見つからず、流通ルートの捜査も行き詰まった。
事件を悼んだ人による『供養』の可能性もあり聞き込みをしたが、これまでのところ判明していない。捜査本部は『心当たりのある人は、名乗り出て欲しい』と話している。」
2004年10月20日の東京スポーツ:
「発生からまもなく4年経つ世田谷の宮沢みきおさん一家4人惨殺事件で謎の地蔵に注目が集まっている。
この地蔵が発見されたのはちょうど事件発生から100日目01年4月9日早朝のこと。
世田谷区祖師谷三丁目の宮沢さん宅から、仙川をはさんで南に30mの遊歩道のベンチに置かれていたという。
材質は東南アジア産出の御影石で出来ており、高さ60cm 重さ20kg比較的最近中国か、韓国でつくられたものだという。
いったいこの地蔵の意味は?供養なのか!或いは?ミステリーは深まる。」
(警視庁資料より。台座も含めた全体の高さは約59cm、重さは約19.5kg。その他パーツについての詳細は画像にて)
(宮澤家の周辺地図、上が北、下が南。A地点~C地点などと仰々しいようですが、深い意味はなく、単に地蔵が置かれていたのが、そのA地点~C地点を結ぶ仙川沿いの遊歩道わきであり、2017年現在では、A地点に車止めがあり、B地点が先の東スポの記事でいう「宮澤さん宅のちょうど対岸から南に約30m下った地点」で、そのあたりには現在はベンチはなし、C地点が宮澤さん宅のちょうど対岸から南に約170m下った地点で、そこには現在ベンチが設置してある、という程度の意味)
(現場一帯を、東の空から西を望んだ図。A地点~C地点の意味合いは、先の地図と同じです)
A地点: 遊歩道の北側の入り口から、南を望んでみる。
B地点(2011年頃の風景): こちらは宮澤家のちょうど対岸から南に約30m下ったあたりを、南から北に向かって望んだ図。
東スポによると、上図(B地点)の〇か〇のあたりの「ベンチ」に地蔵が置かれていたらしい、とのことだが、そこにはベンチは見られないが、当時はあったのだろうか? また、「地蔵は顔を宮澤家の方角に向けていた」とのことだが、それは、〇の位置からなのか、〇の位置からなのか、確かなことは報じられていないように思える。多くの情報のニュアンス的には、〇の位置かどうかは別としても、「歩行者に背を向ける形で置かれていた」ということのようではあるが・・・。(※ベンチの位置については、その後の調べで〇の位置にあったのではないかということで、令和元年12月25日にその旨「追記」のアップロードをしております。よければ、そちらもご覧いただければと。一方でこの「その6」の記事については、論旨・結論に全く変更はないので、令和元年12月の「追記」を受けての内容修正は行わず、以下、アップロード当時のままで掲載を続けさせていただきます。※※2019年12月31日追記: 件の地蔵については、ベンチの上ではなく、そのベンチのわきの土手に置かれていた、とする情報もあるとのことです。世田谷事件を専門に考察されているmonazite氏のサイトの2019年7月の記事にそのくだりがあり、山元泰生氏の『世田谷一家殺人事件の真実』という本にその情報が書かれているとのことでした。その他は、当方の以下の考察も含めて変更なしということでお願いいたします。)
C地点: 宮澤家のちょうど対岸から南に約170m下ったあたりを、南から北に向かって望んだ図。
上図(C地点)の歩道西側に、画像の通り、現在ベンチが置かれている。東スポのいうベンチとは、これだろうか? しかしこれは、宮澤家のちょうど対岸から170mも下った地点のベンチであり、ここに地蔵が置かれていたとしても、その顔の向きについては、「北を向いていた」とかの判断はできても、「宮澤家に顔を向けていた」とかの判断は、できないように思うのだが・・・。画像中央に白い車止めが見えるが、その車止めからさらに北に向かって120mほど進めばB地点に、そして、B地点からさらに30mほど進めば、そこがちょうど宮澤家の(仙川を挟んだ)対岸ということになる。
地蔵本体の底面と、台座の上部に「六」に似た文字(?)が彫られている。
(上の朝日新聞の記事では「台座」のみに彫られていると読み取れるが、警視庁資料でも図示されている通り、実際は、「地蔵本体の底面」にも彫られている)
地蔵から指紋等は採取されていない。
先の記事には、「(地蔵は)比較的新しく、中国製か韓国製とみられる」との記述がある。
(警視庁公開の資料には、中国とか韓国の文字はない。)
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誰が何のために置いたのか・・・
そのあたりを考えてみると、地蔵は事件に関連して置かれたのであり、とはいえ、4人を惨殺後に家じゅうを荒らしアイスをむさぼり食い、糞尿を流さずに逃げた犯人やその関係者が置いたのではなく、4人の死を悼んだ地元の誰かが置いたのかな、と。
また、もしかするとですが、お地蔵さんにとっては「体のいい厄介払い」だったのかもしれない、と感じるところもあります。
「体のいい厄介払い」というのは、お地蔵さんの存在を持て余していた誰かが、「これを機に手放そう」みたいな。
でも、その場合でも、悼む気持ちはあったのだろうなと。
そう思う理由ですが、まずこの地蔵の顔が、どうやら仙川の対岸からとはいえ宮澤さん宅方向に向けられていたらしい、ここから考えれば、これは事件とは無関係に置かれたのではなく、事件に関係する何らかの意図で置かれたのだろうと。
その意図とはおそらく、地蔵のポーズと合致しており、様々なポーズのある地蔵の中から、あえて「合掌」のそれを選んだとすれば、地蔵設置者の内面としては、宮澤家に向かって合掌したい意図、すなわち4人の死を悼む、鎮魂を願う、冥福を祈る、哀悼の意を表する、言い方は様々ながら、とにかくそういった意図があったのではないかと。
特に日本における民間信仰で、
「(地蔵菩薩は)道祖神としての性格を持つと共に『子供の守り神』として信じられており、よく子供が喜ぶ菓子が供えられている」・・・(「地蔵菩薩」のウィキペディアより)
との点に注目すれば、祖師谷公園の桜の下で、無事に入学~進級を果たした子供らの元気な声が響き渡る時期、地蔵設置者としては、とりわけあの---2001年4月から小学校入学や進級を迎えるはずだった---幼い二人の子供のことが思い起こされ、その死を悼み、冥福を祈る気持ちが高まっていたのではないかと。
発見されたのが「4月9日の早朝(朝8時頃という情報もある)」、どうやら、4月8日の夜から翌9日早朝までに置かれたらしいのは偶然とは思えず、おそらくは、百箇日法要(いわゆる卒哭忌)に合わせて---百箇日法要的には2001年4月8日(日曜日、大安)がその日に当たる---4月8日の深夜に置かれたものと思われ、
設置場所については、宮澤家から見て仙川の対岸に置いたのは、設置者の趣味が変わっていたわけではなく、本来なら宮澤家の前に、そこを訪れる人に顔を向ける形で(通常の形で)設置したかったところ、まだ事件後まもなく、現場には物々しさが残り、警察が常駐しており、地蔵の設置を言い出せる雰囲気でもなかったので、やむなく仙川を挟んだ向かい側の遊歩道わきを設置場所と定め、
そこからだと宮澤家までの距離がやや離れていたので、事件を悼む意味合いの地蔵であることをわかってもらうため、また、自らの悼む思いを地蔵のポーズに仮託して表現するため、顔を宮澤家に向ける形で設置したのではないかと。
設置場所の選定にあたっては、リサーチで宮澤さん宅周辺を何度か見て回る、ということをしているかもしれないなと。
ただ、気になる点としては、どういう経緯があったにせよ、結果的には、設置許可も取らずに対岸の遊歩道わきに、しかもおそらくは歩行者に背を向ける形で置いたという事実(以下、これを前提に)、
ここには、4人を悼む気持ちは見て取れるにせよ、「遊歩道の歩行者に立ち止まって手を合わせてほしい」という視点が感じられず、その視点が欠落しているのは、つまり、あの遊歩道への執着というのか、接着性というのか、「どうかこの遊歩道に置いてあげてください」という熱意というのか、意欲というのか、とにかくそういったものが薄いと思われるのであり、どちらかというと、
「どうせ、早晩撤去されるだろう」
「撤去されてもかまわない」
という気持ちが見え隠れしているようでもあり、また、先の東スポの記事、「(地蔵は)宮沢さん宅から、仙川をはさんで南に30mの遊歩道のベンチに置かれていた」・・・仮にこの記事の通り、当時その地点にベンチがあり、そのベンチに置いて立ち去ったのだとすれば・・・、そこには、
「百箇日の節目に、宮澤家の方角に向けて、子供の守り神ともされる地蔵を置いた」という手厚さと、
「見つかり次第撤去される可能性の高いベンチの上に置いた」といういい加減さの二面性が見て取れると思えるのであり、
それはやはり、悼む気持ちとともに、どこかにこの地蔵を、有意義な、地蔵が生きる形で手放したい、節目の日に哀悼の意を込めて設置はするが、撤去はしてもらって構わないという、
露骨に言い換えれば、4人を悼む気持ちを満たすと同時に、「体のいい厄介払い」をしたいという気持ち~事情を抱えていた人物像が、見え隠れしているのかなと。
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設置者の人となりについて妄想してみると、
・地蔵の民間信仰的な意味合い(子供の守り神)を知っており、また、おそらくは百箇日法要についての知識があり(宗教的素養)、ある程度は年配の人でしょうか。
・とりわけ幼い二人の死を悼んだことが感じられるところから、子持ち~孫持ちかは不明にせよ、子供好きな人物
・にいなちゃんや礼君を個人的に知っていた、あるいは、見たことくらいはあった人物(悼む思いも強い。地元民の可能性)
・遠方の住民の可能性もあるが、宮澤家の前に設置するのが無理と見るや、臨機応変に対岸の遊歩道を選び、宮澤家前の警察も含めて、誰にも目撃されずそこに設置した点からは、この遊歩道の勝手を知っていた人物(土地勘あり)、おそらく、散歩などでよくここを通り、事件以降、対岸から宮澤家に目を向けては心を痛めていた人物(地元民)
・運搬手段は、おそらく本体と台座の両方を、大き目のリュックかボストンバッグに入れる、あるいは、本体と台座を、片方はリュック、片方はバッグなど分けて持ち、徒歩で家を出て深夜の遊歩道に入り、場合によってはベンチに座るなど、休むふりをしながら人目のないことを確認し、地蔵を置いて立ち去った。
合計20kgにもなる本体と台座を仮に一人で抱えて来たとすると、それは、設置者の年齢や性別を推測するヒントにはなるかもしれない。
(ここまで大型のものは必要ないと思うが・・・)
・4人の魂に鎮まってほしいという、言い換えれば、この地区を祟るとかはやめてほしいという思いが少しはあったとすれば、遠方の住民ではなく、やはり地元民の可能性
・節目の日とはいえ、無許可で、言い換えれば早晩撤去されるだろう形で置いている(しかもベンチの上に置いた可能性)。そこに、「悼む気持ち」「この機に地蔵を手放したい」・・・この両方の気持ちを見て取るとすれば、まあ、そういう人物---骨董・仏像・地蔵収集癖のあるおじいちゃんが事件の数か月前に死に、屋内のみならず庭にまで溢れかえっている、価値があるとも思えない大量の遺品について、可燃ごみ、不燃ごみ、粗大ごみで少しずつ出しながら減らしていたが、地蔵・仏像のたぐいについては信心の薄い自分でも扱いが粗末になるのは恐ろしく、「こんなものを残して・・・」という嫁の嫌味に、「オヤジが楽しみで集めていたものだから、まあ、そう言わないでやってくれ」と気弱に答えつつも、その処分方法について頭を悩ませていた人物---が、上祖師谷4とか、そのあたりにいたのかもしれない・・・こう思うのは私一人ではないのではないかと。
・あの形での地蔵の設置を、「見つかり次第撤去されてもかまわない。とにかく、節目の日に、地蔵を置いてやりたい」という、その強い思いの打算なしの発露だったとみれば、そういう独りよがりといえるほどに思い込みの激しい人物、何かを篤く信心している人物
・悪気で置いたものでなかったのはもちろんだが、無許可であったこと、そして体のいい厄介払いも兼ねていたのが事実なら、その後ろめたさもあり、問題が大きくなりすぎてからはなおのこと、名乗るに名乗れない状態となっている
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妄想はともあれ、事件や事故などの現場(現場近く)に地蔵が置かれるのは珍しくはなく、例えば、有名な事件の現場に置かれた地蔵の例では、次のようなものもあると。
(2~4枚目は、〇で囲んだところに地蔵が設置されている。関連する事件名は、画像上から順に、「台東区・村越吉展ちゃん誘拐殺人事件」、「高崎市・荻原功明ちゃん誘拐殺人事件」、「柴又女子大生放火殺害事件」、「旧今市市・吉田有希ちゃん殺害事件」)
(こちらは、2014年12月30日、宮澤さん宅の前で、大声でひとり経を上げる女性の姿。事件から14年後もなお、こういった光景が見られるとすれば、2001年4月当時、百箇日の節目に地蔵をと願った人がいたとしても、不思議ではないように思うが・・・)
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地蔵底面と台座に彫られていた、「六」という文字に似た何かについて、
多くの諸先輩方の考えをベースとして考えてみるのですが、おそらくこの地蔵は、「六地蔵」のうちの一体、すなわち、合掌のポーズをしたいわゆる「宝性地蔵(破勝地蔵とも呼ばれる)」として制作されたと。
(ススキの穂を背景に、秋空の下の六地蔵。向かって左から4体目が合掌のポーズ「宝性地蔵」)
一般的に「六地蔵」とは、
・法印地蔵(両手で幢幡<ドウバン>を持つ)
・法性地蔵(両手で香炉を持つ)
・宝性地蔵(合掌)
・地持地蔵(両手で数珠を持つ)
・陀羅尼地蔵(右手で施無畏印<せむいいん>、左手で引摂印<いんじょういん>を結ぶ)
・鶏亀地蔵(右手に錫杖、左手に宝珠を持つ)
この6体のセット、とのことであり、それぞれが「本体」と、それに合う「台座」の組み合わせになっていると。
とすると、制作・販売・設置にあたっての便宜上、「本体」と、それに合う「台座」には、それぞれに組であることを示す目印(文字や記号)が彫り込まれる場合があると想像されると。
この世田谷の地蔵を「六地蔵」の一体として考えれば、この地蔵も含めて、本体が6体、台座が6個あり、6体の本体(の底面)にはそれぞれに一から六までの目印が彫られ、それらの本体と組になっている台座(の上部)にも、一から六までの目印が彫られた、
そして、この世田谷の地蔵はその際に「六」の目印が(本体と台座の双方に)割り当てられたものであり、地蔵底面や台座上部に彫られていた「六」は、「六」という文字に似た何かではなく、「六」という文字(数字)そのものだと思われ、
あまり字が上手くないと思えるのは、もしかすると、漢字慣れしていない文化圏の人間によって彫られたものではないか(輸入物)・・・
このように想像しますがどうでしょうか。
(六地蔵の本体と、それに合う台座それぞれに、一~六の漢数字を振ったイメージ。向かって左より、法印地蔵、法性地蔵、宝性地蔵、地持地蔵、陀羅尼地蔵、鶏亀地蔵。陀羅尼地蔵については、「左手は引摂印を結んでいる」と多くの解説にはあるが、写真の左手は印を結ぶのではなく、宝珠を持っているように見える。ともあれ、それぞれに六道---地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人道、天道---のいずれかを担当しており、六道輪廻する生命を、それぞれの姿で救済する役割を担うという)
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続いて、アイスの件。以下、引用。
「犯行後に冷蔵庫からカップ容器入りのアイスクリームを取り出し、スプーンを使わずにむさぼり食べた(後略) アイスの空き箱は1階、2階から計5個、見つかっている。一つは浴槽に浮いており、残りは居間の座布団の上、流し台の炊飯器の上にそれぞれ1個、1階の学習室にあった紙袋から2個、発見された。うち犯人の指紋が付着していたのは四つで、流しの上にあったアイスクリームは食べかけで結局、誰が食べたのか、判明しなかったという」・・・(『真犯人に告ぐ!』より)
上の、「1階の学習室にあった紙袋から2個、発見された」については、「1階学習室のパソコンの横に、空の容器が重ねられた状態で2個発見された」との情報もある。
「怪我した手が痛くてスプーンを持てなかった(持つ気になれなかった)ので、もう一方の手でカップを握りつぶしながら食べた」
「カップアイスを怪我したほうの手(の平か甲)に乗せてアイシングに使い、溶けて柔らかくなれば、もう一方の手で絞り出して食べた(アイシングのついでに、腹を満たした)」
「激しい運動(あるいは怪我による出血)の後で、体が冷たいものや糖分を欲していた」
その他いろいろな見方があり、どれもありうることで、同意であると。
2階の冷蔵庫から1個を取り出し、それを手に、家のどこかに移動し、何かをしながらアイスを食べ、食べ終わったらまた2階の冷蔵庫に戻ってアイスを取り出し、それを手に、また家のどこかに移動してアイスを食べ・・・という行為を繰り返していたのではないかと。
容器はそこそこに放置しており、後で触れますが、引き出しといい、クローゼットといい、カーテンといい、流さないままの糞尿といい、開けたら閉める、出したら片付けるというマナーは、少なくともこの現場ではかなぐり捨てていた様子であると。
この現場では、と言いましたが、多かれ少なかれ日常生活においてもこの傾向のある人物ではないか、と想像しますが(育ち)。
忘れてはならないのは、1階の階段真下にはみきおさんの、中2階踊り場には泰子さんとにいなちゃんの、言いにくいですが、文字通りの惨殺遺体があり、床はまさしく血まみれだったと思われ---以前の記事で紹介した屋内見取り図などをご覧いただければ、どれほど狭い範囲に遺体が横たわっていたかを想像いただけるかと---また子供部屋のベッドには祖父の良行さんでさえ「一瞬、見ただけでは(礼君かどうか)分らなかった」というほどに顔の膨張した礼君の遺体があり、
おそらくは、階段下のみきおさんや、中2階踊り場の泰子さん、にいなちゃんの遺体を踏み越え踏み越えしながら、2階冷蔵庫のアイスをとって来ては食い散らかしていた、ということで、
この犯人、日本警察が保有する指紋のデータベースには該当するものがない、とのことですが、本当に前(前科)がなかったのか、疑わしく思われてくるところかと。
『真犯人に告ぐ!』における作家・黒川博行氏の指摘によると、
「犯人は髭を生やしていない。あのアイスクリームの食い方を見ると、髭があれば、口のまわりがアイスでベトベトになるのでやらない。」
とのことで、髭を生やしている人ならではの着眼で、確かにそうだろうなと。
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続いてネット接続(まず一度目のほう)、
話が込み入っているので、詳細はウィキペディアをご覧いただきたいと。
と、そのまえに「空フォルダ」の件なのですが、わたし正直、2014年の末か2015年の初めごろまで、例えば、浴槽に書類が浮いていたとか、風呂場が何階にあったとか、家の間取りがこうであるとか、礼君に障害があったとかのことさえ知らず、
解決を願いつつも、事件についての知識は、風呂場の壁に犯人の血の手形が付いていたとか(これは本当だったのでしょうか?)、旦那さんは階段から突き落とされたらしいとか、ドスンという音がしたらしい、お金を盗まれたらしい、犯人は背が高いらしい、手を怪我してカップアイスを絞り出しながら食べたらしい、韓国製の靴の足跡があったらしい、パソコンをいじっていたらしい、翌日の朝まで居座っていたらしいとか、その程度で、
そこへもってきて、2006年頃でしたか、犯人が逮捕されていないにもかかわらず、警察が「犯人は某特定の国籍の人ではない」とアナウンスしたことで、捜査を見る目そのものが冷めてきて(決してその某特定の国籍の人が犯人だといいたいのではなく、理屈として、「なぜ犯人を検挙できていないのに、あの国の人ではありませんなどと言えるのか?」と、警察の姿勢に疑問を覚えたということ)、なにか真面目に考えるのも馬鹿馬鹿しく思われてきて、
事件に関する知識も増えず、「犯人が"空フォルダ"を作っていた」と聞いても、「か、からふぉるだ? あ、あきふぉるだと読むんだろうか・・・」と、(冗談ではなく)思っていたりして、「空フォルダ」の意味も分かっておらず、最近になって本腰入れて調べ始めて、ようやく、
「これってもしかして新規フォルダのことかーー!!」
と気づいて感動したようなありさまで、新規フォルダ(新しいフォルダ)なら、マウスのツークリック、キーボードなら一度の操作でできますが、2000年当時がどうだったかは知りません。
この事件の場合、犯人は何らかの目的をもってフォルダを作成したわけではなく、マウスをみぎひだりとクリックしているうちに、偶然できてしまったものではないか、という気がしますが、よくわかりません。
それはともかくとして、12月31日の午前1時18分から5分18秒パソコンを起動させ、ネットに接続した形跡があり(これがいわゆる一度目の接続)、みきおさんのブラウザのお気に入りに入っていた劇団四季のHPにアクセスした記録があったと。
劇団四季へのアクセスの際に、「チケットを取ろうとして失敗した形跡がある」ともいわれており、しかし、マウスからは指紋が出ている中、キーボードからは出ていないとのことで、
キーボードに触れずして、どうやってチケットを取ろうとしたのか、手袋でもしていたのか、私にはそうは思えないので不思議であると。
おそらく、劇団四季のサイトのチケット購入ページを(意味がわかっていたかどうかは別として)クリックして開いた履歴が残っており、さらにそのページ内の、本来は氏名や住所、クレカの番号など、個人情報を入力してクリックしなければいけない個所を何も入力せずにクリックし、「エラー」と出たような履歴が残っており、
そのことから警察が事件記者に、「チケット取ろうとしたのかもしれないが、できなかったようだよ」みたいなリークをした、それがいつしか、「犯人は劇団四季のチケット購入ページで、何度も数字を入力しながらチケット購入をトライしていたが、結局失敗した」というニュアンスに変えられ、語られ続けてきたのでは?・・・と想像しますが、しかしこれは妄想に過ぎず、実際どうだったかは不明であると。
これはギリシャのヤフートップページですが、何が書いてあるかはわからないと。
しかし、このページ内の画像など、興味の赴くままにリンクをクリックしていくことは、意味が分からなくてもできるわけです。
例えば私が、上のページから10回ほどリンクを踏んだとして、3回目のリンクが科学系、5回目のリンクが経済系、7回目が芸能系、9回目が格闘系、10回目がその格闘系サイトのチケット予約ページ・・・という閲覧履歴となった場合、これを解析したギリシャの警察は、
「犯人は科学、経済など、専門的な内容を含むサイトを閲覧していた」
「芸能、格闘系にも関心を示していた」
「大胆にも、格闘イベントのチケットを予約しようとした形跡がある」
という風になるかもしれませんが、実際は言葉の意味も分からずクリックしまくっただけであり、その内実は、単なる暇つぶしといったところかもしれません。
世田谷の犯人もそうだ・・・というわけではありませんが、閲覧履歴があるからと言って、必ずしも「意味を分かって見ていた」「本当に興味のある対象だった」とは限らない、とは言えるのではないかと。
妄想ではありますが、私は、この12月31日午前1時18分からの短いネット接続は、その時刻や、その他の状況(マウスから指紋、どうやらアイスを食べながらパソコンをいじっていたらしい様子)などからみて、犯人による接続とみて間違いないのでは、と想像しますが、
ネットに接続した理由は特になく、なんらかの情報を探り出そうとしていたでもなく、
怪我による出血や、今夜の寝る場所、帰りの足などを考え、現場に少し長居をすることを決めた中での、暇つぶし程度のものだったのでは、と想像します。